Diversity Without Quality
今年1月の中央教育審議会答申「令和の日本型教育の構築を目指して」は、GIGAスクール構想で急速に進む学校現場のICT化やアフターコロナを見据えて、幼児教育から義務教育、高校教育までの初等中等教育を一気通貫する形で、新しい学びの方向性が示されています。
私は、今回の答申のキーワードは「多様性」であると捉えています。
高校に焦点化して現状を観察すると、入学する生徒(入口)が多様化していること、卒業後の進路先(出口)が多様化していることが数値からも見えてきます。
入口の面では、人口減少・少子化によってそもそもの入学者の絶対数が減少してきており、高校入試を実施しているものの、多くの学校で志願者の倍率が1倍を下回っています。
義務教育とは異なり、これまで入試によって一定の学力水準を受け入れてきた高校においても、学力水準の幅が弾力化し、多様な学力水準の生徒を受け入れるようになったことが見てとれます(NHKの報道では、2019年4月時点で定員を下回っている高校は全国の4割程度)。
また、この十年間で、特別支援学級や通級指導教室などの特別な支援を受けている小中学生の数が2倍以上に増えています。この様な特別な支援を要する児童生徒は特別支援学校だけでなく高校にも進学しています。高校において発達障がい等を抱える多様な生徒に対する個別支援のニーズが急速に高まっています。
出口の面では、大学入試も多様化してきており、私立大学も含めれば、推薦入試やAO入試が4割を超えて過半数に迫る勢いです。いわゆるペーパーテストで測れる学力以外の部分を評価する仕組みも着実に広がってきています。
また、就職においても、地方創生の流れを受けて企業が集積する都市部への就職だけでなく、地域おこし協力隊や、地域ベンチャーとして起業するケースが増えてきたり、海外への就職を希望する生徒がいるなど、ローカル・グローバルに就職の選択肢が多様化しています。
このような「多様化」する生徒や進路に対応するために、新しい時代の学校教育に求められているのが学校・学習・教師の「多様性」を高める取組なのではないでしょうか。
高校ではスクールポリシーの策定・公表が義務化され、偏差値や大学進学率ではない、高校独自の特色・魅力を打ち出していくことで学校の多様性を高めていくことになります。
また、ICTの活用も踏まえて、指導の個別化・学習の個性化が打ち出されており、協働的な学びとともに個別最適化された学びを推進することにより、学習の多様性を高めていくことが求められています。
加えて、社会人等の多様な人材の参画の観点から、特別免許状制度の積極的な活用や企業人の参画を促す「学校雇用シェアリング」の運用が進められており、今後は教師(指導者)の多様性も高まっていくものと思われます。
このような「多様性」を議論する上で、意識しておかなければならない大切な視点が「Diversity Without Quality」であると私は文部科学省で学びました。
多様性を高めることはとても大切ですが、教育の目的・目標が分散化したり、教育の専門性が低下したりすれば、それは教育の質の低下につながります。
これでは、いくら教育の多様性を高めても、多様化する生徒や進路に対応することはできません。
様々な考え方や視点が学校現場に入ってくることは大歓迎なのですが、プラスだけでなく削ぎ落としていく視点、教育が本質的に大切にしなければいけない芯の部分を見極める視点が必要になってきます。
その答えは今も模索中ですが、例えば、多様な外部人材が学校現場に参画したときにも教師と外部人材とが共通言語で生徒に指導できることであったり、学習の個性化が進んで多様な探究学習が出てきても国語や数学等の教科指導とが分離せずに繋がっていることであったり、地域住民などの関係者が考える学校の魅力と教員の考える学校の魅力とが相反することなく共有できていること、などが求められるのだと思います。
その架け橋となるものを考えていく上で、私は、新学習指導要領に明記されている「教科の見方・考え方」を働かせた学びが一つの手がかりになると感じています。
教育の多様性を考えるときに「教育の質」を意識しながら「Diversity With Quality」を実現していくための方策(例えば「教科の見方・考え方」を働かせた学びの推進等)について、これからも考えをまとめて言語化していきたいです。
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