教員を目指していなくても
昨日、『これから教員を目指す方へ』という大それたタイトルで記事を書きましたが、そもそも教育については教員だけが考えるものではないよねっていうことで、今日はダラダラとまた書いていこうと思います。
学校のあり方を見つめ直してほしい
というわけで、早速ですが、学校ってどんなイメージがありますか?ちょっと質問の仕方がよくないですね。もう少し的を絞りましょうか。では、学校の授業ってどんなイメージがありますか?黒板の前で先生が子どもたちに向かって教えるっていうのがオーソドックスですよね。一人の先生が30人程度の子どもを相手に教えるわけです(小規模校はまた別ですが)。なんか、当たり前のようですけれど、これって結構めちゃくちゃなことしてません?私もこういうオーソドックスな授業はしますよ。じゃあ一人ひとりの理解度に応じた授業を展開しているかといえば、そんなの無理ですよ。30人もいたら、それぞれ抱える事情は異なりますから。しかしですね、そうだなぁ、5分くらいだったら、この一斉授業でも子ども全員の興味・関心をフルで教師側に向かせることができるとは思います。45分、50分ずっと一斉授業で引っ張り続けるのは、それは無茶な話なわけです。私は元々塾講師をしていました。だから、分かりやすい授業を展開する自信はありました。そりゃあ高いお金を払って塾に来てもらっているわけですからね、授業に自信がなければダメですよ。でもね、学校で働くようになって分かったんですが、本当にいろんな子どもがいるわけです。いくら分かりやすく教えることができるっていう自信があっても、そこにいる全員を引っ張り続けることができるのは、私には5分が限界です。
というか、そもそも教師が引っ張っていく必要があるのかっていう話です。学校では、先生がいて、子どもがいて、先生は子どもにさまざまなことを教える。もちろんそういう場だとは思います。ただ、そうやって一方通行の教育を施していきた結果、指示待ち人間が増えてしまった。だから、学校っていう場は、オーソドックスな授業も大事にしながら、もっと子どもが自ら学べる環境を整えることが大事っていうことと、子どもは有能な学び手なんだよっていう大人側の覚悟も必要だと思います。「子どもは有能な学び手」というのは、上智大学の奈須教授の言葉ですが、私は単元内自由進度学習って呼ばれるものをかれこれ3年以上研究、実践しています。中学校で。受験生相手にも実践してきました。本当に「有能な学び手」だなって実感したと同時に、これまでの自己満足の自分の授業に不甲斐なさを感じたこともあります。でも、世間は、勝手に子どもが学ぶ姿をイメージできないんですよね。常識的にそんな風景がイメージできない。まぁ実際に授業の視察とかに行って、肌で感じるのが一番早いわけです。でもね、じゃあ例えば、さっき言った単元内自由進度学習をいざやってみよう、さらに保護者向けに授業を公開しようってなったとしましょう。いきなりそんなことをしたら、混乱するわけです。なんでかって?そもそも我々がそんな授業を受けてきていないからです。でも、よくよく子どもの様子を観察してみると、確かに学んでいるわけです。日頃、寝ている子どもですら学んでいるわけです。でも、親からすれば、教えてよってなるものですよね。教えてもらった方が効率がいいと錯覚しているわけですから。でも、教えられたことなんて、すぐ忘れますよ。自分で調べて学んだことこそ、本当の自分の力になるわけですし、さらには応用できるようになっていくわけです。単元内自由進度学習っていう名称をよく見ると、「授業」っていう言葉が使われていないんですよね。授業は確かに業(わざ)を授けるという意味では教師から子どもへの一方通行でもいいと思います。でも、これからは是非、子どもが「学習に向かう」ために、教師は勇気を出して学習内容だったり、学習時間、学習場所を委ねてみてはいかがでしょうか。そして、世間も、最近の学校は変わったなぁ、見守ってみようって感じでいてくれるとありがたいです。下手に批判されると、せっかく子どものために取り組もうとしている人たちが疲弊してしまいます。世間の応援が教師の支えになります。どうかそこのところ、よろしくお願いしますね。今後、もし学園もののアニメやドラマで単元内自由進度学習の様子が出てきたら、いよいよ日本も始まったなって感じると思います。世界ではこれ、当たり前ですからね。日本は明治からずっと変わっていない。そろそろ子ども主体の教育とはなんなのか、文科の人とか有識者だけでなく、現場の先生や世間こそが考える時なのでしょう。