見出し画像

【読書】私の“諦観(たいかん)”は、会社勤めをすること#022

『からまる本』は、私の“諦観”は何か?を
考えるきっかけになった

尾石晴さんの著書『からまる毎日のほぐし方』を読んでいて、
深堀したいテーマがあった。

206頁の“人生の方向性”についての話。
このテーマで著者は、今うまくいっているが、今後広げないと考えている事業2つを例に挙げて、ご自身の人生の方向性を決める過程を見せてくれている。
やりたいことがいくつもある、時間は限られている、それは本当にやりたい事なのか?考えた結果、2つの事業を諦める、と語っている。

この決断は、まったくネガティブなイメージを感じさせなかった。
(著書でも、前向きに諦める、と書かれていた)

おや、このあきらめるは、先日学んだ“諦観”ってやつなのかな?


“あきらめる”とは“あきらかにみる”

「諦める」は、本来は仏教が語源で「 諦観(たいかん) 」と書く。
諦観とは「あきらかにみる」ということ。

普段使う、ネガティブな要素が強い「あきらめる」とは意味合いが違う。

「もう、無理だ!自分にはできない!」とネガティブな意味合いで使うというより、「これは、やり方が間違っている、このやり方をやめよう」と冷静に現状を理解し、判断した結果「あきらめる」を使うと、「あきらめる」って悪くない。

ポジティブ諦め、もうひとつの「あきらめる(あきらかにみる)」の使い方。

voicyの仏心ラジオでこのことを知った。なるほど。

自分が諦めるべきことは何なのか。
自分のことを諦めるのではなく、世界をあきらかにみて自分が何をすべきか冷静に判断する。

なるほどと、“諦める”が心に引っかかっていたら、
さらに「からまる本」で“諦める”が深く突き刺さった。

私の人生の方向性にかかわる“諦観”とは何か。

私の人生の方向性に関わる“諦め”。何かあっただろうか。
あった、『会社勤めをすること』。

子どもが幼稚園に入ったころから、周りもちらほら働きだす。
働く時間ができ始める。私も働きたくなっていた。

パートタイムにでるのか、会社に就職するのか・・・。
再び働きだすのなら、自分も家族も気持ちよく働きたい。
私が気持ちよく働ける条件とは・・・

○職場の人間関係で悩まない、気持ちよく働きたい
○子どもが体調不良のとき、自分で仕事の調整をしたい
○通勤時間はできるだけ短い方がいい

これは、1人で、自宅で働いたら実現できそう。

考えた結果、『会社勤め』を諦めて、自宅で働こう。
自宅で仕事をすれば、これらは実現しそうだという結論になった。

自宅で仕事がしたいと希望し、リスクも取りつつ、色々試行錯誤し、数年かけて、今、実現している。
『会社勤め』を諦めたから、人生変わったようだ。

大きな“諦め”がない時は、小さな“諦める”を積む

これからの人生の方向性に関わる大きな“諦め”は、今は思いつかない。
しかし、“諦める”→“できるけどやらない”と決めておきたいことが、いくつか思い浮かぶ。

仕事で、なんでもできるようになることを諦める。
→やりたいことに繋がらないスキルまで欲張って取りにいかない

手の込んだ料理を作ることは諦める。
→時間を優先する。手の込んだ料理は外食に任せる。

各地の友人、全員とつながろうとすることを諦める。
→お互い必要な時に連絡を取り合う。縁に任せる。

これらの小さな“諦め”の先に、何があるかさらに深堀してみようと思いました。


いいなと思ったら応援しよう!