哲学的【vol.262】
人生には登り坂下り坂に加え、もう1つ坂が存在する。
それは一体何だろうか。
と、勿体ぶるほどのことではないからすぐ言う。
"まさか"だ。
何だよダジャレかよ、と思ってもらってもいいのだが、これまでを振り返ってみると、"まさか"の局面に結構遭遇している。
「"まさか"その行動が褒められるとは思わなかった」などの良い面もあれば、「"まさか"このタイミングでパソコン壊れるとは思わなかった。」などの悪い面もある。
これがどういうわけか、登り坂下り坂よりも重要な人生のターニングポイントになったりもする。
運命と言うものが、日々の積み重ねで訪れるものだとするならば、自分の中に飛び込んできた、その"まさか"つまりは"意外性"が、幸か不幸かどちらに転ぶかは過去の自分によりけり。ということになる。
だからといって、"まさか"(ワンチャンス)だけ狙って生きているということではないが、これを知っているか知らないか、捉え方の1つにあるかないかでは、人生の幅は大きく変わると思う。
この世には、自分でコントロールできるもの、できないものが存在する。
果たしてそうなのだろうか。
できないものを無理矢理コントロールしようとすると、自分の精神は崩壊する恐れがある。時間の無駄だとも気づけず悩んで苦しむだけになるかもね。
しかし、何らかのコントロールできる部分が繋がっていると考えれば、「全てコントロールできるもの」として捉えてもあながち間違いではないのかもしれない。
ま、無理にコントロールするつもりもないのだけれど。
言葉って難しくて、まだまだ脳内を言語化して残すことができていない。
今日の表現も、「登り坂下り坂に加え、"まさか"に遭遇する人生で、それらに対する捉え方次第でよくも悪くもなる。また、その"まさか"が自分の日頃の行いによって誘発されるものだとすれば、もっと大きなコントロールの可否の考え方も変わると言って良いのではないか。」という自分の意見を少し砕いたもの。
このまとめさえも、何ともまとめと言い難い説明文。笑
難しいなぁ。
もっと扱いたい。振り回されてる。