観察すること
マガジン『ホームスクール、まなびのエッセンス』
#12
Essence:いま、ありのままを測る
こどもたちがまだ小学生3人組だったころ、こどもたちだけで遠出に冒険することもありました。公園で、こどもだけで出かけることもたびたびありました。
ただ、いまでこそ思うのですが、当時のわたしは確かに今よりも年若く、第1子の年齢と同じ年月の母親歴なわけです。キョウダイが多いとなにかと上の子が非常にしっかりしているように親の目には映ってしまうものです。
時が経ち、”あの頃のこどもたちと同じ年ごろのこどもたち”を見かけると、(あぁ、なんてあぶない…!)とはらはらと心配してしまうことがたびたびあります。振り返ってみれば我が家も、結果的にひたすら運が良かったのです。ただそれは偶然というにはあまりに感謝に満ち足りた日々でした。
あの頃も同じように、いろんな方が温かく見守ってくれていたはずです。
若き日のわたしは、まだそのことには気づいていなかったことでしょう。ただ、今日一日を無事過ごせたことは、「これでいい。そのままで大丈夫!」と見えない何かに見守られている安心を覚えて、その感触を信じて突き進むことができたのでした。
それでも手探りながらも次のことは気をつけていました。
親が思うほどには、子は大人ではないし、幼くもない。
子の理解と判断力に応じて、適切な態度と対応をすること
子への信用と信頼の中身をしっかり見極めて区別すること
”こどもの【成長や発達】について、充分に理解してから”親になる人はそうそういないと思います。もちろん私もそのひとりでした。こどもが生まれてから初めて「こども」のこと、「人間」のこと、その「成長と発達」のことを学んできたのでした。
ただし「こどもはこういうもの」という知識を吸収して、我が子にあてはめることとは違います。
知識がもたらしてくれたのは、まず観点や視点です。つまり視野を広げてくれるのです。固定してしまいがちな自分の目線を俯瞰して、とらえ直すきっかけに導いてくれるのです。
こどもを観察する
こども主観の「できる・できない」
親主観で、こどもを客観視したこどもの「できる・できない」
「できる・できない」に限りません。「やりたい・やりたくない」でもいいです。こどもの口から出る言葉と本音は「本当は違うかもしれない」と思いながら、気持ちの在りどころを手繰り寄せていく感覚です。
それから、こどもの「やりたい・やってみたい」の希望と、実際には、例えば身体の発達(筋力やバランス感覚や俊敏さなど)と見合っているかを見極める理由は、こどもの安全を守るために必要なことです。「どこまでできるか」の見極めは、日々の遊びのなかで発見することができます。
日々、こどもは成長しますから、「いつのまにか」の間(ま)はあまり大きく開かないほうがいいですね。そういう意味でも、1日のうちの長い時間をこどもと共に在る暮らしは最適なのでした。いつだって、こども情報を更新するのです。
こどもの「やりたくない・いやだ」の理由も、物分かりの良い親のフリはしないことです。
自信が無くて、そう口にして、反応を試しているのかもしれない。どうしたらよいのか決めかねていて、その判断を委ねたいと感じているのかもしれない。実は「大丈夫。あなたならできるよ!」と背中を押してほしいのかもしれないし、逆に、不安な気持ちを優先してよいのかどうかの迷いを手伝ってほしいのかもしれません。
そんなこころの揺れをつかみ取るには、ただじっくりとその空気を感じていることが重要かもしれません。時には間違うかもしれないけれど、大丈夫。何度でも挑戦する機会はあるし、(だんだんと精度をあげていけばいい)くらいにゆったりと構えていればいいのだと思います。
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