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教育の機会は多様にある(その4)

ホームスクーリング・センターkokage
そだちあい>ホームスクーリング教材のヒント学校教育在宅学習編
解説コラム


 『教育の機会は多様にある(その2)』を分け、【不登校特例校】以降を新たに追記しています。


【教育機会確保法の意義と活用】

・不登校は誰にでも起こり得ること
・不登校を問題行動だと判断してはならない
・「学校に登校する」という結果のみを目標としてはならない
 不登校児童生徒への支援の在り方について(通知)平成28年9月14日

 2016年にこのように明言されたことは、大変大きな一歩です。上記の通知は教育機会確保法(2016年12月公布2017年2月施行)の事実上のガイドラインであると位置づけられています。

・教育委員会・学校と民間の団体等が連携した支援の充実
・家庭にいる不登校児童生徒への支援の充実
・支援のための体制整備
不登校児童生徒による学校以外の場での学習等に対する支援の充実について(通知)平成29年3月28日

 どのような支援を講じればよいのかは調査研究報告が開示されています。
また、過去の通知内容の記述の見直し(2018/08/01記事)がおこなわれることが決定しました。法令などは最新の決定に自動的に更新されて扱われるものですが、文言を見直され、再度通知されるということになれば学校現場の周知を広めることにもつながります。多忙すぎる学校現場では通知文書が開かれることがないという現状も少なからずあるのです。改めて不登校対応の改めが浸透することにつながることが期待されます。

 学校復帰いわば登校することなく学校教育を受けることができる体制が整えられるということは、言い換えると、学校教育を在宅学習で履修することができるという意味にとらえていいかもしれないと考えることができます。

 前述(※『教育は多様にある(その2)』)に登校0日でも卒業できると書きました。1980年代、当時の登校拒否児童に対して、学校や家庭では「学校に行く」ことが必至となっていました。最終的な脅し文句は「このままでは卒業できませんよ!」というものです。不登校という状況に追い詰められ、さらに「卒業できないも知れない」という不安にさいなまれる当時のこどもたちは、想像にたやすいと思いますが、不安を動機にしておこした行動が良い方へいくわけもなく、問題は悪化したとみられます。そして文科省は通知を出しました。「卒業できませんと言ってはいけない」。それは1990年代以降「学校へ行かなくても卒業できますよ」と解釈されていきます。するとここで《就学義務違反》と《不登校》の区別があいまいになってきたのです。文科省でもこの区別をどうするのかということは大変難しい課題であると認識されているようです。
 本来の目的はそうではなかったのかもしれませんが、結果的におもわぬ「決まり」が生じたという事実は今後も起こりうることであり、それが必ずしも児童生徒にとっての最善とはいえない事態も起こり得ると念頭に置いておくべきです。

 これらは不登校が問題行動ではなく、登校する以外の方法で学校教育を学ぶ手段として通信制で在籍するという在り方を示したといっても差し支えないものです。もし保護者がこのように学校に行かないことを前向きにとらえることができるようになれば、これは大きな前進でしょう。なぜなら不登校という言葉には、学校に行かないだけという事実はさておき、「してはいけないこと」とだれもが根拠もなく信じ込んでいるからです。そこに学校の中であらたな選択肢が明らかになったのだと、そうとらえていいのではないでしょうか。不登校が、不登校でなく通信制という在宅学習の選択が可能になったといえます。
 IT学習などの学習方法の支援や情報提供を必要とする家庭におこなうことが、学校に指導されています。IT学習を家庭でおこなうことで出席扱いとする通知は、平成17年にすでに出されていましたが、環境整備は進んでおらず、またあまり知られてもいませんでした。(不登校児童生徒が自宅においてIT等を活用した学習活動を行った場合の指導要録上の出欠の取扱い等について(通知)平成17年7月6日

 このIT等を活用した学習内容が学習指導要領に準拠した内容がほとんどだったため、学校教育以外のまなびの進め方をするホームスクールの状況にそぐわない一面があります。また授業の進度に合わせた補完的学習の通信教材では、授業を受けていないと理解できない部分もあることや受講費が発生する学習塾の提供であることなどから家庭への経済的負担もありました。
 再度、知られてきた通知でもありますが、活用度は低いままです。その代わり、そのようなカリキュラムを自治体に提供する民間企業の参入が容易になってきました。公費での活用に経済的負担の軽減と、公認という保証の強みが親・保護者にとっては魅力になることでしょう。ただし、こどもにとってはどうなのかという意思疎通は不足なく必要ですし、登校しないなら「その代わりに」「せめて勉強くらいは」といった安易な代替案にならないように充分に気をつけてほしいものです。充分な休息と休養を必要とする時期において、休むことができない学校復帰へのプレッシャーになっては本末転倒です。休むことを許可するための条件にならないようにと思います。「現状、活用できるかどうか」と判断する材料が提供され、「活用する・しない」の選択肢があることが最低条件ではないでしょうか。

 しかしここでもう一度確認しておきたいことがあります。基本方針を読めば、やはり民間の多様な教育施設を積極的に学習の場をすることができるとは読み取れないのです。そこは一歩も進んでいないという印象があります。なぜなら、確保法および基本指針や通知でも教育委員会・学校と民間の団体等が連携した支援の充実をうたわれているのですが、各自治体および教職員の間では確保法施行直後の報告書のなかで「どの民間教育団体・施設と連携してよいのかガイドラインが無い」という報告がありました。


 ※最新の調査報告書を2018/09/10ここに追記します。
 『2017 年度文部科学省「いじめ対策・不登校支援等推進事業」
「学校以外の場における教育機会の確保等に関する調査研究」
―民間団体の自主的な取組の促進に関する調査研究―
フリースクール等の支援の在り方に関する調査研究 研究報告書』

 「民間の教育施設はフリースクールやオルタナティブスクールのことだと言えないこともない」と一方的にそちらの運営者は主張しています。ですが、その主張はあくまでフリースクール運営主体の解釈であり、見たいように見ているだけという印象はぬぐえません。果たして文科省および自治体の解釈はどうなっているのかを知る機会が無ければ不安がぬぐいきれません。

 「教育機会確保法にはフリースクールと連携すること」とか「休むことが重要だと書かれている」などと文章の一部を切り貼りした内容で解釈され、それを鵜呑みにした保護者が実際に学校でそのように主張したらどうなるのでしょうか。「そんなことは書かれていない」と一蹴されて終わるようなことになってはいけないでしょう。ですが、その可能性があるということです。教育機会確保法や関連する通知をどのように解釈し、どのように子と親にとって最善の環境になるように活用できるのかと各家庭が考え続け、主体となって学校と協同していくことが重要だと思っています。

【情報を得ること・求めること】

 学校といっても対峙するのはひとりの人間です。教育機会確保法は、不登校児童生徒を定義してしまいました。学校という組織がその対応のマニュアルを持ってしまったら、個として尊重されることは一層機会を失ってしまうかもしれないという懸念がありえます。ましてや、その対応の評価が、学校長の評価として教育委員会に報告する事項であるのであれば、なお一層、対話が成立するのか一抹の不安がよぎります。それぞれの家庭ではどのような対応を受け、またその変化が感じられているでしょうか。
 その不安を払拭するためにも、学校とはなにか、子の教育とはなにか、まなぶとはなにかを、子も親(保護者)も考え、話し合い、しっかりと肚に落とし込み、家庭の環境を整えるための方策を腹をくくって取り組むしかないのではと思えます。学校に子の教育を”全面的に委託する”ことをやめ、家庭を主体にその教育を担う宣言をすることになるのですから。

 教育機会確保法であれ、なんであれ、法律とは、健全な市民の生活を守るためにあるものであり、その解釈はそのためになくてはなりません。法律の条文が規律や罰則と受け止められてはいけません。どこか一部の都合のよい解釈のみだけが横行してはならないのです。それは法律の役目であるはずです。刑法と混濁し、解釈に誤解があるにも関わらず、法律違反は罰を受けるかのように受け止めている人は認識を改めてほしいものです。法とはひとりひとりの良心にもとづいた秩序を守るためのものだと認識したいと思います。
 知ること。知識を得ること。それはそれぞれのライフステージにおいて、親と子を守るために必要なことです。すべてを確実に把握する必要はありませんが、支援を受けるにも「どのような・どのように」という指標を持つには、それを説明するために、ある程度の理解は必要になってくるからです。

 具体的であればあるほど要点が絞られ、要望に近い支援提供に近づくことができます。もっとも思い込みは避け、確認しながら進めていくことも大切です。具体的にというのは、例えば「学校に復帰するには」という相談と、「不登校から進学するには」という相談と、「こどもの特性にあった学習機会を得るには」という相談では、求める支援は違います。ところが「不登校で…」で終わってしまえば、そのいずれかの相談なのかに到達するまでさらに時間を要します。把握したうえで情報を絞って提供を求めるのか、知らずにピンポイントになってしまっているのか。相談を受ける側は確認しないといけないことですが、これも見落とされることが多々あります。

 公正な情報収集はもっとも重要事項になります。なぜなら知らなければ質問もできないし、知らなければ要求することもできないのが現状だからです。膨大な情報を逐一すべて確認してくれる公務員はほぼいません。必要としていることがなにかを具体的に伝えることで、やっとそれに対応してもらえるという経験はどなたもしていることと思います。「教えてくれなかった」ではなく「あなたが聞かなかった」ということになるのです。非常に残念なことですが。また逆に情報を持っている側が伝えたいと思っていても、その本人が求めなければ、不必要な情報提示(余計なお世話)だとされる場合もあり、いずれにせよ親身になってもらえる人間関係、信頼できる人にである機会を持てるかというところにもつながるのかもしれません。それでも知りたいと思わない人に情報を届けるすべはほとんど無いといってよいのです。
 法に縛られたり、支配されることなく、活用する。そのことをしっかりと心にとめておきたいですね。

 

【夜間中学校】

 夜間中学校は、すでに学校を卒業した者も入学できることは 平成27年7月30日義務教育修了者が中学校夜間学級への再入学を希望した場合の対応に関する考え方について(通知)のなかで示されている通り、それが法律として明文化されました。この経緯には詳しくないのですがここに記録しておきます。どうやら教育機会確保法の成立によって、国立公立の夜間中学校を設立する意義が示されたようです。
 夜間中学校は文科省の見解として、現役の中学生が入学することは可能であるとされています。さらに、あらたな不登校の受け皿として期待されてもいます。夜間中学校はおもに学校に通えなかった人々が識字教育からスタートすることが多く、「中学校」という名称はそぐわないのではないかという意見から【義務教育学校】としてはどうかという見方もありました。
 憲法では保護する子女に普通教育を受けされる義務がありますが、さまざまな事情により就学が叶わなかった、あるいは叶わない者が、義務教育期間に受けるべき普通教育をまなぶ機会の提供の場となっているのです。外国籍を持つ・障がいを持つ(養護学校設置義務は昭和46年。それ以前は就学免除と就学猶予の名目でこどもの学習権がおざなりにされていました。)等々の人々にとって、まなびなおしの機会そしてまなぶ機会となっています。このような、これまでの夜間中学校の存在意義を振り返ると、突然の学齢期児童生徒の入学への対応や、中学校の学習指導要領に沿った学習課程と習熟は可能なのかなどさまざまな点で見直されるべき点が思いつきます。
 公立の夜間中学校が設立される一方で、教育機会確保法の施行後、既存の夜間中学校への現役中学校学齢児童生徒の入学許可は容易では無いという声はよく聞く話です。既存生徒への学習内容の配慮と、入学を希望する生徒への配慮と同時に保護者の学力指導への期待が一致するものなのかという疑念があります。その調整を誰が担っているのでしょうか。

【通信制中学校】

 中学校通信教育課程があります。昭和22年(1947)新制義務教育制度の開始にともない、戦中戦後の混乱期、中学校3年間の義務教育が未修了となった人たちのために、昭和23年(1948)に全国の中学や高校に設置されたものです。
 学校教育法105条に、「①中学校は、当分の間、尋常小学校卒業者及び国民学校初等科修了者に対して、通信による教育を行うことができる。」とあるのです。
 当初、日本全国に80校を越えましたが、現存するのは映画の舞台、東京都千代田区神田一橋中学校と、大阪市立天王寺中学校のみである。全教科履修でき卒業証書を出しているのは、神田一橋中学校ただ一つであるとのことです。
(※ 記録映画『まなぶ~通信制中学60年の空白を越えて~』より)
 しかしながら現場の配慮もあって、厳密な制限がないようであり、ゆるやかな存在が期待されています。法整備とそれに伴う見直しにより、この存在とその活用を制限するようなことにならないようにと願うところです。 


【通信制小中学校の可能性】

 東京都千代田区神田一橋中学校の通信制入学案内を参考にしてみますと、通信制とは「自宅学習」+「レポート提出・添削」+「面談学習(スクーリング)」+「定期試験」の組み合わせのことをいうようです。教科学習外の活動もあります。通信制高校のカリキュラムと同様だといえます。
 教育機会確保法では、不登校児童生徒は休養の必要性をふまえて、自宅で過ごすこともありだとしています。これはホームスクールの選択とは異なった視点でとらえてほしいのですが、登校せずに学校教育を自宅で行ってもよいし、そのために必要な学習支援や情報提供を各自治体や学校でおこなう義務があるとされていますから、言い換えればこれは通信制小学校のひな形の登場だと言えると考えられるのです。通信制という制度は整ってはいませんが、カタチとしては通信学習制度といえるのです。ただし現状では、不登校児童生徒のこのような学習スタイルを活用する支援制度が整っておらず、学校教員がその役割を担うには圧倒的に時間も手も足りないという現状だと思われます。
 学校現場ではICT教育が導入されつつありますが、学校に登校していなければ利用が難しいことや利用対象となる生徒にも制限があるなど、在宅学習の利用には条件が必要で現在は試験的活用が始まった段階だといえるでしょう。うまく活用するには、活用する学習者つまり生徒と保護者がその主体となって意見を提示していくことが今後重要になってくるでしょう。制度を待つ前にできることは、各学校と家庭との信頼関係を基盤とし、あるものをうまく活用していくことではないでしょうか。そのような家庭がひとつでも増えていくことで、その事実が認識され、やがて明文化され、制度につながっていくでしょう。
 ここで懸念される点は、こどもの意思が尊重されるかたちでおこなわれるものであるかを誰が評価し、監督しえるかということです。現在、学校生活について保護者PTAの声が聞き入れられない治外法権だという事実も広く知られるようになってきました。それに関しての公正な取り扱いをどのように整備していくのかという課題が見えてきているのではと思います。児童生徒への教育の提供という位置づけの住民参加を意味するコミュニティスクールではなく、住民参加、住民の学習機会となる相互関係そして公平かつ公正な教育の在り方を自治運営していく真のコミュニティスクールの存在が求められます。
 教育機会確保法(2016年)の民間教育団体との連携という文言から、民間企業の介入の可能性も拡がりました。資本主義社会である日本は、誰かが得をする仕組みを受け容れます。誰もが得をする仕組みは受け入れがたいようにできています。一定の利益の代わりに、大局面でのデメリットを促進するようなことにならないよう目を光らせる必要が出ています。しかしながらそれを誰が担うのかが明確ではありません。普通教育に含まれる学校教育と自由教育の概念も広まっていないことから、学校外のまなびの場と機会への学校教育化への懸念もあります。行政の介入の度合いが強まるのではとの懸念もあります。施行から3年の見直し期間もあります。充分に注意を払うべき必要があります。

【不登校特例校(公式の自由学校)】


 民間が運営するフリースクールなどの教育施設が非公式と位置付けられるとすれば、公式に位置付けられるのが不登校特例校といえます。平成30年現在、全国にある不登校特例校は公立私立含めて12校です。

特例校とは
不登校児童生徒を対象とする特別の教育課程を編成して教育を実施する学校
不登校児童生徒等の実態に配慮した特別の教育課程を編成する必要があると認められる場合、特定の学校に置いて教育課程の基準によらずに特別の教育課程を編成することができるー文科省HPより

 個人的な解釈ですが、一条校との位置づけとしてこのような理解ができます。

一条校:学校教育法第1条に掲げるいわゆる「学校」のこと
公式:「学校」の教育課程とは異なる「学校」
非公式:行政が案内できる公的な教育支援センター(適応教室)などの施設
認可:行政が業務委託をして民間が運営する施設
無認可:完全に民間による運営であり、行政からの補助等の対象外のフリースクールやオルタナティブスクールなどの施設
※あくまで解釈として理解しやすくするための便宜上の位置づけです。
※私的な「家庭運営」は含まれませんが、事業としての「個人運営」は含まれます。

 公式に認められる自由学校(別称:フリースクール)は学校教育法のもと、学習指導要領にもとづいたカリキュラムを基本としているのは間違いないだろうと思われます。そのカリキュラム習熟のための道すじにある程度の柔軟性と幅を持たせたものというイメージでしょうか。学校教育法や学習指導要領の基本的な方向性は変更することなく、解釈によっては既存の学校のような学校生活とは異なった学校生活を実現することが可能です。それは最近知られている公立中学校等の変革に見られる事例です。
 しかしながら、それらの運動が、オルタナティブ教育を公教育に取り入れようとする動きと重なるとき、わたしたちは巧妙な勘違いを起こす可能性があります。
 オルタナティブ教育の実践例を取り入れることで、公教育がオルタナティブ教育を実践するスクールのように「自由になる」と思わせることです。学校教育法の枠組みの中で展開するということは、現状と変わらず、行政・文科省の管理監督の下のままであり、学校・教員の自律性は確保されていくのかどうかについてはどうでしょうか。それだけではありません。学校教育の枠組みで「教育する」ために養成された教員たちの「教育観」についてはどうでしょうか。そこを変更しないという前提なのです。


【教育機会確保法はどこに向かうのか】

 教育機会確保法は2016年12月に公布され、二か月後の2017年2月に施行されました。附則3により、3年後の見直しがあります。施行から3年後の2020年2月ということになりますが、それが2月なのか2020年度までにの意味なのかはよくわかりません。施行直後はあたかもオルタナティブ教育をも公教育として容認されるかのような解釈さえ広まりました。それは法律の内容の説明が意図的にその部分を曖昧にしてきたからです。しかし翌年には、広く知られてはいないでしょうが、既存の公教育以外の多様なまなびの機会については対象外であることが知らされています。「法律があるからホームスクールやフリースクール(≒自由学校≒オルタナティブスクール)が認められた」ことにはならず、学校側は「学校に登校する以外の方法で学校教育を学ぶ機会を支援する」方向性へと決定づけられていきます。
 教育機会確保法の成立で「不登校特例校」の存在は強くなってきました。夜間中学校も同様です。しかしながらその内容は、学校教育をより強固にする方向へと向かってはいないでしょうか。すなわち国が求めるあるべき国民の姿を養成するための教育機関です。これは日本の学制の成り立ちの根本がそもそもそういった姿勢であることから、なかなか打破できない側面です。
 教育を受けること、その機会が確保されることは、国際規約として保障される基本的人権でもありながら、公的な教育の場ではそれが知らされていない事実は、世界的にも批判の的(まと)になっているのが日本の現状では無いでしょうか。


ホームスクーリング・センターkokage コラム 2017/04/15記
『教育の機会は多様にある』より最終更新2019/01/12 


【2020年6月追記】
 このnoteに含まれた複数の通知は、新通知により内容に変更があります。下記、資料マガジンを参照ください。
『不登校児童生徒への支援の在り方について (新通知) 令和元年(2019年)10月25日新通知』


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