ニャー
ニャー (
〈猫〉の国、〈猫〉の時代。いつのまにか〈猫〉になっていたらしいのだけれど猫じゃない。ミームを過ぎたようでやっぱり〈猫〉。着せ替えされても結局〈猫〉。keep it キラキラ keep it つるとんたん keep it 〈猫〉スクロールしていく〈猫〉ノイキャンする〈猫〉開闢しても〈猫〉するする滑っていく〈猫〉ずっと滑っていく〈猫〉。
〈猫〉になれないから口角上げて毛繕いしてみる、なんかわかってしまってて、でもわかっても〈猫〉になりきれないし〈猫〉にしかなれないんだなって。
どうしてお腹がすくとイライラするんだろう、
お腹がすいているのを「どうしちゃったの?」なんていわれちゃうんだろう、可哀そうをカワイイにされちゃうんだろう、〈猫〉じゃないのに。
周りの〈猫〉はどうしているの?どうして気にせずに過ごせてるの?それだけのことをどうして私の何かは気にしちゃうの?
もうなんか無罪のまま手錠をはめてほしくて仕方がなくなってくる時間があって。でも本当は手錠につないでほしいのは〈猫〉なんだけど、あっ首輪か🐈⬛
点数の関係で5分だし白くて薄くてケア味が深いから精神科に行っても〈猫〉が煮詰まってていつも通りの不気味が深くて。「環境調整をしたりストレス解消してください。朝散歩はセロトニン出ますよ。」ですって☺︎〈猫〉から〈猫〉に伝えられてもね、もう薬だけでいいよだからオンラインで受けたんだし。
カウンセラーとパフェでも食べながらだったら猫でいられるのかもって思うけど、でもカウンセラーも〈猫〉にならなくちゃいけない猫だから。
たぶん猫でいられるのって喫煙所とか水遊びとかお金のかからないタロットカード遊びとかなんだろうけど。ただ戸山公園で幽霊見たんだよって話をしたくって。)
参考
『猫の国』MAPA METAMUSE(前後ZOC)
しんでねこになる
『ナミビアの砂漠』山中瑶子
『THIS IS JAPANESE GIRL』大森靖子
P.S.
映画『ナミビアの砂漠』を受けた文章。
本当にいい映画でした。
わかりやすい映画なのにわかんなさが残る不思議な映画でした。
金原ひとみさんを好きな人ならこういう風に多かれ少なかれ捉えているだろうと思いながら、わかんなさを残したまま体験を二次創作するために上の詩のような文章を書きました。
カナが美しいのか、かわいいのか、醜いのかわからないのにも関わらず魅力のある映り方をしているため、反発的な感想やどういう家庭環境だったかみたいな考察も生まれやすいのかもしれません。
何にせよ、ずっと滑り落ち続けていたものが一時的に滞ってるのを一緒にぼーっと見るみたいなラストシーンが本当に良かったです。
関係していないのにも関わらず関係していることになっているものを眺める時間を過ぎて、関係してもいいのかもと思えるラスト。
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