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ニャー ( 〈猫〉の国、〈猫〉の時代。いつのまにか〈猫〉になっていたらしいのだけれど猫じゃない。ミームを過ぎたようでやっぱり〈猫〉。着せ替えされても結局〈猫〉。keep it キラキラ keep it つるとんたん keep it 〈猫〉スクロールしていく〈猫〉ノイキャンする〈猫〉開闢しても〈猫〉するする滑っていく〈猫〉ずっと滑っていく〈猫〉。 〈猫〉になれないから口角上げて毛繕いしてみる、なんかわかってしまってて、でもわかっても〈猫〉になりきれないし〈猫〉にしかなれないん
いつもより人が多い。それにコスプレをしている人をたくさんみかける。黄色と黒の半纏なのかベストなのかを着ていたり、片目だけ覗く銀色の髪の人たち、赤色の吊りスカートをきた女の子、頭に付けた目玉、みたいなものがたくさん流れる。 いつもだったらそんなに人がいないお店が並んでいたり、黄色と黒の上りが立ち上っていたり、そこまで社交的でもなさそうな日本料理屋の主人が黄色と黒の半纏を来て、人を呼び込もうとしていたりする。 そういえばここはゲゲゲのまちだったかと思わされた。これまでにも時々
人の意志や自由とはなんなんだろうと思うことが増えてきた。それは自分自身がふわふわしていること、というよりもゆらりゆらりとしていることが多いことが関係しているのかもしれない。 人、特に弱っている人と話してるときの言葉を振り返ってみると、決定論的な書き方も非決定論的な言い方の両方だったり、時に混ざってもいるし。 圧着と剥離なのか、何かに張り付くこと、そこから剥がれ落ちて、風の流れに沿いながら、当てのようなものを持ちながらも当てが当てにならずに漂うことの繰り返し。 ふわふわ感
いつもより伏目がち 換気扇がまわっている 換気扇がまわっている 二回ほど見たから ここには二つあるんだそう 三つかも 右へ回してはいけないみたい 左へ回したら流れるみたい あらかじめと貼ってある休日を覚えられたことがない 久しぶりの油性ペン 野菜タップリタンメンでしょ。 オレンジジュース 財布を置いてトイレに行ってもたぶんいい 色褪せてなんのレンジャーなんだかわかんない あの火ではパラパラになりすぎるはず 餃子まではたべたことなかった チャーシューはたま
喫煙所でおじさんが、私たちには権利と義務があるからね、権利を主張するだけじゃなくて義務を果たすこと、と喚いていたのを、それなりにさもありなむと聴き流していた。 ここ最近政治のニュースを目に留める機会が増えてきた。 その中の一つとして兵庫県知事選を精神科医が精神分析的な視点でとらえ直す文章がLine ニュースで流れてきた。 すぐ読めて面白い文章だった。 そして何より驚いたこととして、人間の欲望を捉えるうえで精神分析が使いやすいことはわかるが、まさか精神分析が、さらにはリベラ
記憶と私の関係は不思議なものだ。 三人称的には私とは習慣そのものであるとともに習慣の相関物、または同一のものとみなせる記憶そのものであるといえ、記憶に私は埋没している、または記憶は私に埋没している。 しかし、一人称的には、記憶を眺める私というものがあり、私と記憶とは眺めることができるほどの距離があるようにもどうしようもなく感じる。 それは、インスタレーション作品を分け入りながら鑑賞しているときに、鑑賞しているものそれ自体が作品になっているかのようなものなのだろうか。 ぽつ
ぱおんに捧げる華なくて 口腔はア[a]に至らなくて 目腔はェ[Ə]のままで 代わりckSの代わりの枡劃くまでで 発声練習もさくらんぼ結びもえんえんえーんえーーんったっつったってね 引き締まる気がするから 摩擦に飽きたから 打撃が必要だから いざという時に左前脚くんや右後脚くんが出てきてくれる気がするから 紙を噛むのに飽きたから 出家はトキメキのために過ぎないのだから キックボクシングはじめました オイコスとしらすくるみが欲しいです バナナは匂いが苦手です 参考 映画 百円
「誰かが倒れてると思ったけどそれは私だった」は頻度こそ少ないけれどやってくる。一緒にやってくるのは、水辺の唄を、緑の油絵を、青い目がほしい人をどこかに描いていたことだとか。 何かを思い出すときそれが近いのか遠いのかがいつも分からない。眠りから起き出すのは、布団からやをら這い出すのは、無理やりになのか自然になのか区別がつかない。 無理やりを嫌った時間が長くなるにつれて、無理やりを嫌うことを嫌うことも少なくなってきた。というよりも嫌いが薄くなってきた。基本的に嫌うことは間違い
ここ最近、認知言語学、学習の研究者の今井むつみの本を読んでいる。 今井むつみの本や論文を読んでいると、「スキーマ」という言葉が何度も登場する。たとえば、『学力喪失』によると、スキーマとは、経験から導出した暗黙の知識を指すらしい。(52p) 今井むつみの著者に限らず言語学周りの本を読んでいるとこのスキーマや類似の概念にたくさん出会う。 たとえばスキーマと似た概念としてフレームとスクリプトという用語もある。認知言語学分野の鍋島弘治朗の『メタファーと身体性』の第7章において
ツッコまれて赦されたい 『オタク文化とフェミニズム』(田中東子)を読んでいる中で、「男性たちは女性を消費することに、戸惑いを覚えることはないのだろうか?」(215-216)という言葉を見つけた。 そのとき思い出したのは、「粛清!!ロリ神レクイエム☆」(しぐれうい)という楽曲だった。 「粛清!! ロリ神レクイエム☆」はイラストレーターで趣味としてVtuberを始めたしぐれういが内輪ノリで作った曲が一億回以上の再生を生み出した驚異的な作品だ。 どうしてこんなにも再生され
私は楽しい感覚を持っている。 私は楽しい感覚を持っていた。 私はたぶん日常的感覚を持っている。 私はたぶん日常的感覚を持っていた。 私はきつねうどんとたぬきうどんを区別できない。 私はきつねうどんとたぬきうどんを区別できなかった。 私はタバコを吸っている。 私はタバコを吸っていた。 私はXXXをしている。 私はXXXをしていた。 私がXXXな性癖を持っていると書いたとして、 本当にXXXな性癖を持っているというふうに思われるかどうかは、相手の想像をある程度予想したう
ただ見たものを思い出しているかのように 時間的なイメージとして ゲップ。 松屋は味噌汁付きで安いから 「それはお構いなくってよ」 歌舞伎町タワー前段差寝ているおばさん イタイ痛い本当に苦しいノイキャン おばちゃんのいるコインランドリー幻覚のは幻覚にしたがるの お大事にねと去っていく警備の人たち くっさい髪 献血NGな薬 瓶でのアルコール投与 本当に痛いよね 出産はクールジャパン 生まれる前の臭い 臭いよね 手頃な金属バット ランジャタイの顔出戻らず 裏から持ってこられた
全てのものは原理的に移り変わりうる。 その原理すら移り変わりうる。 そんなことはみんな頭に入っている。 日本人は特にたぶん他の国の人よりも身体でわかっている人が多い。 だからこの動画の仮説と反論も、 理想や現実の期間限定性、つまり、硬直性というか粘り気の程度を問う話であることは内容に限らず原理的に決まっている。 そのうえでの話。 東浩紀と落合陽一は未来はどんな社会になるかを話す中で、お互いの主張を認めながらも、 東浩紀は人間の影響を無視できないといい、 落合陽一は非人間
さきほど家族旅行が終わった。 家族から解放されたことで、離れられたことからの安堵感とともに寂しさが少しだけ身体に残っている。 そのままビールを口に含み、枝豆をつまみながらこの文章を書く。 いつもと違い普通の日記というものをただの日々の振り返りと呼べるようなものを書きたくなった。これまでの自分の文章はそのような普通の文章がなかったように思う。 それは自分の嗜好ゆえにポップなもの、つまり、なんとなく目で追いたくなってしまうリズムがなぜかあるような文章を書きたいと思ってきたからだ
女的表象、動物感。 罪悪感溢れるけれど罪悪切り離した蹌踉めきへ。しれっと隠れるおねむの時間に。 タバコすら忘れて鍵かけず抜け出しなけなしの祖母の一万円握って全家へ お釣りは9900となんだっけ豪胆さ?いや惨めさ忘却欲しさのウィンストンの似つかわしさ?🔰の方が安上がりで良かった? 寄生贈与過多私たちのほとんどは慣性のままに学べなくなった言葉を吐かなくなった。 煙だけが瞬くばかりで、私たちは眩暈を否認した。 虫過激なソフトタッチのまま追い出す私たち。寄生虫抜け出す徒歩15
嘘ヲ吐クナヨ問われた儘に日頃の表情を鏡映るを視るかの様思ひ出だし何だか嘘を吐いて居る気したけれど實は胃熱ぽく目少し乾くに重ね何よりただ頭冷やりとだけ 誰かと云うだけの誰か神妙な面持ちで如何にも殊勝なこと云う素振り少なくとも其れ誰かにとって大事な何かを訊かれた場合であれ唖々儘よ其れが其れ何れが阿礼等と答える程度何とかすけれど實のところ合ったかもしれぬ否阿礼いや荒れが・・・自惚判らぬものだな繰還し畢竟紫煙より眉間ばかり熱ぽく頭やはり冷やりのまま両目擦れたまま胃中心半回転し点鼻薬遠