
祈りの言葉
祈りの言葉を持つ人たちに、どこか憧れを抱いていた。心の大きな拠り所があるのはうらやましい。三蔵法師玄奘がお経を唱えながら砂漠を越えたように、私も困難なとき、何か唱えたい。
かくいう私も、幼い頃キリスト教の幼稚園で二年間お祈りしてきた身であるのだが、ついに文言を暗記するには至らなかった。
30代のとき母園でいっとき働いたときには覚えたが、辞めた途端にまた忘れてしまった。どうも私にはなじまない言葉だったらしい。
激痛の多い体と、乱れやすい心に悩んだせいだろうか。私になじむ、拠り所となる祈りの言葉がほしい――いつからかそんなふうに願っていた。
*
4月。父の葬儀の一切が終わった、その翌日。私は朝から腹痛の気配を感じていた。それはだんだんと強くなり、悪寒をともなった。熱はない。――これはきっと、ひどくなる。
過去何度かひどい腹痛を起こしたときも、血圧が低下するせいなのか、よく悪寒に襲われた。
今回の腹痛は、父が倒れてから葬儀までの、極度の疲労とストレスのせいだろう。母は「とにかく休みなさい」と私に言い残し、用足しへと出かけた。
早速部屋で休むことにするが、その前にまず不安要素をひとつずつ対処する。
寒気がしたら首筋あたためろ――これは父の教え。すぐにカイロを貼り、首にタオルを巻く。それから、ゾクっとしたらすぐ飲みなさい、と常備されている漢方薬を飲む。これは母の教え。
ストレスや胃の不調を感じたとき、飲酒の前後にも飲むといいよ、と言われて常備している漢方薬も飲む。これは行きつけの漢方薬局のおすすめ。実際よく効く。
お腹にもカイロを貼り、部屋のストーブをつけて、布団へもぐる。寒気は止まらないが、ガンガンにあっためて汗をかけば、治まるはず。
胃と腸の境目あたりに嫌な感じがある。経験上、これは吐くなり出すなりすればスッキリする。
そういう見通しのもと布団の中で悶え続け――やがて暑くなって布団をはいだ。発汗による悪寒退散、成功である。
しかし悪寒の代わりに、今度は脂汗を浮かべてもがく。腹痛が一向に治まらない。
ゆらり、と立ち上がり、勝負をつけるためトイレへ。下から出る気配はない。ならば上からだ。
初めこそ喉へ指を入れたが、一度吐いたら、あとは根こそぎ出し尽くすまで止まらなくなった。
母が帰ってきた。家に入った途端、私のオエオエが聞こえたらしく、母がトイレへすっ飛んできて、ドアを叩きながら叫んだ。
「大丈夫が⁉︎ これ! カギかけんな! 二人なんだがら、これからカギはかけなくていいがら!」
こんなに血相変えた様子の母は初めてだ。少々驚きながらカギを開ける。
トイレのカギはかけない。
我が家の新しいルールができた。
そうだな、二人なんだよな。
父がいないことを実感し、嘔吐で潤んだ目がまた濡れる。
お昼には母のあたたかい素麺を食べるまでに回復したが、一週間後、今度は夜中に同様の腹痛、嘔吐に襲われた。翌日母と地元のクリニックで診てもらい、点滴と薬のおかげでその後腹痛は起こらなくなった。
あれから4ヶ月経つが、あのときの母の鬼気迫る声とトイレのドアを叩く音は、いまだに忘れられない。
*
それ以来、私には日課ができた。
「今日も一日、平穏無事で過ごせますように」
毎朝唱え、父に手を合わせている。
母と二人になってから、平穏無事であることが何よりの願いとなった。
「今日も一日、無病息災、無事故無違反、平穏無事で過ごせますように」
唱える言葉は、運転する日や体調に合わせて時々増える。父の苦笑いが目に浮かぶ。
運転中、前の車を追い越そうか、このままでいようかと迷ったとき、「無事故無違反」を思い出して、無事にうちへ帰れそうな方を選択した。
ふと気がつけば、手を合わせ祈ることがすっかり染みついている。毎朝の唱える言葉が増えてきたので、最近は全部ひっくるめて、「つつがなく暮らせますように」と唱えている。
探し求めていた祈りの言葉は、案外平凡で、穏やかな日々を願うものだった。
だけど、これ以上壊れてしまわないように、欠けてしまわないように、と思う気持ちは、切望に近い。
だから私は、祈り続ける。
今日も一日、つつがなく暮らせますように。
見守っててね。
今日も一日、つつがなく終わりそうです。
ありがとうね。
明日も、つつがなく暮らせますように。
それから――
早く世の中が治まって、お姉ちゃんたちが一日も早く、お父さんに会えますように。