2023.01.02〜目の見えない白鳥さんとアートを見にいく〜
自分の中に偏見なんてない、と誰だって思いたいと思う。
「目の見えない白鳥さんとアートを見にいく」は、自分の中のそんな願望を軽々と打ち砕いてくれる本だった。
だってそもそも、この本を手に取り「興味深い」という感情を抱いた時点で、私は「目の見えない白鳥さん」と自分の間に、線を引いていたのだろうから。
この本は、筆者の川内さんが全盲の白鳥さんと出会い、彼と全国各地の美術館めぐりをしながら対話をした日々の記録が綴られている。
白鳥さんは、当時気になっていた女性と美術館でデートをしたことをきっかけに、美術鑑賞の世界に足を踏み入れた。
興味を持った美術館に電話をかけ、当日のアテンドを依頼し、アテンドさんとの対話を通じて美術鑑賞を行う。断られてしまうことも多かったようだが、簡単には諦めず、その後二十年ほど美術鑑賞にどっぷりと浸かっていくこととなる。
筆者と白鳥さんの最初の出会いも美術館だ。三菱一号館美術館「フィリップス・コレクション展」を、共通の友人である佐藤麻衣子さんと3人で回り、白鳥さんは筆者と佐藤さんの会話から絵画を楽しむ。
「白鳥さんに、自分の観ている絵をどうやって伝えればいいんだろう」
本を手にとった自分と同じく、筆者も同様の疑問を抱えていた。が、白鳥さんは「鑑賞対象に対する正確な情報」以上に「鑑賞をしたその人が一体何を感じたのか」を楽しんでいる。
何を表現しているのかわからない作品への戸惑いや驚き、それを人と共有し合うことで気づく新たな発見など、作品から浮かび上がる「見えないもの」も、白鳥さんの鑑賞対象なのだ。
そもそも、たとえ視覚情報を取り扱える人でも、本当に「見えて」いるのかは、怪しいところである。目に入った情報は脳によって処理され、自分に都合よく映し出される。
誰も誰もがその人だけのフィルター越しに世界を捉えている。だからほんとうは「同じものを見ている」という考えこそが幻想なのだろう。
見えている、見えていないで白鳥さんと自分とを線引していた筆者が、自分自身も作品を正確に見えていなかったのだと気づく場面で、わたしもハッとさせられた。
作品の中では、白鳥さんの半生や、障がいを持つ人の生きづらさなども記されている。読めば読むほど、自分がいかに当事者に対して無理解な人間だったか思い知らされ、正直読み終えた後は一周回って「これから私は、どう向き合っていけばいいのかわからない……」と呆然としてしまった。
でもそうやって、知っていくこと、そして考え続けることを繰り返していくしかないのかもしれない。
白鳥さんとの鑑賞を通じて、世界の新しい見方を発見できる。
とても、とても貴重な一冊だった。