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「ラストマイル」は本当にケン・ローチなのか

大ヒット中の映画「ラストマイル」感想の中に、「ほとんどケン・ローチ」というものが、それなりに見られます。あまりヒット映画には興味のないひねくれ者ではありますが、ケン・ローチと聞けば見ないわけにはいかないです。週末の映画館は、かなりの賑わい。「ラストマイル」は本当にケン・ローチなのか?そんなモチベーションで来てるのは、絶対に僕だけだと思う。


そもそもケン・ローチって誰?

そんな人ももちろんいるだろうし、そういう人の方がマジョリティだろう。

イギリスの監督、ケン・ローチ。御年88歳。
社会派として知られ、パルムドールを2度獲得。
辛辣な発言でも知られ、サッチャー首相が亡くなった時の「彼女の葬儀を民営化しよう。競争させて、一番安い値段の入札を受け入れよう。彼女が望んできたことです」という発言でも知られています。

日本で公開されている最新作は「家族を想うとき」で、この作品で委託契約で働く個人の宅配業者の劣悪な環境と、それによる家族の崩壊を描いた。
「ラストマイル」はケン・ローチ、という感想はそこから来ているのだろう、ということは理解して観始めた。

「ラストマイル」は、ケン・ローチではなかった

2時間8分の映画は退屈せずに見られた。いくつかのシーンでは息を呑み、いくつかのシーンではうっすらと涙ぐんだ。エンターテイメントでありながら、Amazonに依存する私たちの生活を支える人たちの姿を描く。そして彼らが起こすわずかな抵抗。エンディングの米津玄師の透明感溢れる歌声を聴きながら、満足感は高かった。でも何か引っかかる。
満足感?

ケン・ローチは決して満足感などは与えない。全作品の中で、ハッピーエンドは片手で数えられるほど。多くの人の夢は破れ、ようやく手に入れた家は燃え、主人公の葬式で終わる映画もある。

伝わってくるのは、監督の「これが現実だ」というメッセージだ。正義や理想が勝つことは少なく、状況は恐ろしく悲観的だ。エンドロールで音楽が流れることは殆どない。ケン・ローチにとって、映画は決して現実を忘れさせるものではない。映画と現実を観る人にシームレスに生きてほしいと彼は考えている(はずだ)。解決策を示すことはない。ただ、問いかける。この現実を見て、どうする?と。

僕は「アンナチュラル」も「MIU404」も知らない。たぶんドラマのファンならば、もっと楽しめたのかもしれない。そして、そういう楽しみ方で来た人たちの中で、Amazonとかの便利さが、どんな社会構造で成り立っているのかが伝われば、それはいいことなのかもしれない、とは思った。

でも、最後ら辺の宅配業者の抵抗、みたいな描き方は引っかかった。精緻に描いてきた困難な状況を「勇気を出して声を上げれば変えられる」と急激に反転させた瞬間に冷めた。
行き詰まり、出口のない状況をエンタメ的な物語にくるんでしまうのは、危険かもしれない。

なぜならば、そんなことは現実では起きないから。

「ラストマイル」は、どちらかと言えば「エルピス」に近いかも。

満島ひかり演じる主人公は、Amazon的な会社の「中の人」として現れる。人を消費し尽くすような働かせ方には違和感を感じていながら、割り切って働く優秀な女性。そんな風に物語は始まる。

そして描かれるのは「内側からの反抗」だ。止まらないベルトコンベアをどうするのか。もはや誰の為ともわからずに、大衆の欲望のように暴走するベルトコンベアをどう止めるのか。抽象的に言えば、物語はそのように進む。

思い出すのは「エルピス-希望、あるいは災い-」だ。思い通りにいかない状況を変える為に、眞栄田郷敦演じる若手ディレクターは、放送VTRを差し替えるという「暴挙」に出る。「中の人」が、一度だけしかできない反抗。あるいは、一度だけならできる反抗。そんなことをしても状況は変わらない。そんな冷めた目線を変えられるか。「エルピス」でも、一瞬状況は好転するが、それでも全ては変わらない。
大きな社会や組織の矛盾を前に、個人は何ができるのか(あるいはできないのか)。その無力感をどう振り払えばいいのか。そのモヤモヤした感じが「エルピス」の魅力でもあった。

社会のリアルをベースにしながら、ふんだんにエンターテイメント性やドラマ性を盛り込み、少しだけリアリティを度外視して進め、ある程度のハッピーエンドで物語を閉じる「ラストマイル」

映画レビューでの高評価は、多くの人が「期待した」満足感を得たことを意味する。その意味では極めてハイレベルな映画なのだろう。
でも、と書きたくなるのが悪い癖だ。映画館を一歩外に出た時に、火野正平が演じた宅配業者のような存在を、人はどれだけ覚えているだろうか。
「火野正平の演技、めっちゃ良かったね」
それだけで終わらないだろうか。

難癖を付けるわけではない。2つの人気ドラマのスピンオフという要素を持つ「ラストマイル」はそもそもにおいて「人気ドラマ」の世界線であり、そこに社会的なネタをぶつけてくるセンスは相当なものである。
だからこそ気になる。
脚本家、野木亜希子にとって社会的な問題はテーマだったのか、舞台装置だったのか。

満島ひかり演じる主人公は、ある種のスーパーウーマンだ。それゆえに観る側は問われない。
私だったらどうしよう、とは。
自分が死ぬか、下請けが死ぬか、そんなベルトコンベアの世界をどうすればいいのかとは。
気付きは与えるかもしれないけれど。

「ラストマイル」は、もしかしたら是枝裕和なのか?

逆に言えばそこら辺が「ラストマイル」の、ある種の巧みさなのだろう。メッセージをどこまで前面に立たせるか、そのことによって届かなくなる人も確実にいる。

「エルピス」の渡辺あやもそうだし、もっと言えば是枝裕和が20年近く戦い続けている戦いもそのようなものだ。

福山雅治や広瀬すず、あるいはフランスや韓国という話題性。それによってマジョリティの興味や関心に応えながら、その中に「自分の作りたいもの」を練り込んで、さらにはシリアスな映画を日本で作れる環境を若手の為に作っていく。

そういったタフな戦いの中から生み出された、強かな「商売性」。そうしなければ表現の場すら失われるかもしれない。ラストマイルのヒットもそういった戦いの成果なのかもしれない。

「これは、ケン・ローチなのか?」と言う謎モチベーションで観始めた「ラストマイル」

見事な「社会派的エンターテイメント大作」でした。野木さんの次の作品が楽しみです。 

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