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家族

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いつもたいへんなときに支えてくれる家族という存在について書いています。子育てで悩んだことや、つまの心の病気とのかかわりなど、「自分とこだけじゃないんだ」と思いつつ読んでいただけれ…
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2021年8月の記事一覧

母がほんとにいなくなったと気づいた瞬間

こんなに悲しいはずなのになんで涙が流れないんだろう そんなことを考えたことがあります。 自分の年齢のせいなのか、無意識に対面を気にしてしまう性格になってしまったのか、それは自分でもわかりませんでした。 緩和ケア病棟に転院し、最高気温を更新する真夏の病室で、母は意識のないまま苦しそうな呼吸をつづけていました。 母は、まるで私たち家族をあきらめさせようと、あえて苦しい呼吸を何日もつづけてくれたのかもしれません。 近くの病院だったので、亡くなるまで毎日2回、ときには3回、病

音楽療法の授業で気づいた父の心

以前、脱サラするとすぐに心理カウンセラーのセミナーを受講するために、鳥取県から大阪に毎週通いました。 カウンセラーになりたくて通ったわけではなくて、妻や私を苦しめた心の病気について知りたいと思ったのが受講動機でした。 たくさんあるカリキュラムの中に「音楽療法」の授業がありました。 自分が音楽をやっているために、特に強い関心があった授業です。 この授業が、父に感謝を言葉で伝えることのきっかけになりました。 受講前には、心地よい癒やし系の音楽を聴いて、傷ついたり疲れたりし

感謝できるまで待とうね

感謝をすることで自分も周囲も幸せになれる。 感謝できることは幸せ。 誰もが知っていることですね。 けれど、感謝できない心理状態のときもあります。 なんでこんなに理不尽な出来事が襲ってくるんだろう。 からだも心もボロボロになってしまった。 なんでこんなに生きづらいんだろう。 そんなときには、心の底から感謝する力が失われています。 感謝する力が心に満ちるまでの時間が必要です。 何年も前の話ですが、私の妻は長らくうつ病でした。 「どうしてこんなことになってしまったんだろ

母の入院で教えられた思いやり

母が急に意識をなくして病院に運ばれてから亡くなるまで、毎日病院に行きました。 もう9年前になります。 夜になって、病院の玄関から待合室を通り、病室に向かいました。 意識がないまま苦しみつづけている母のことを考えながら歩いた廊下は、かつて私が救急隊員として何百回も病人やけが人をストレッチャーに乗せて搬送した、見慣れた場所でした。 夜なのに、診察室の前の長イスには数人の人が座っていました。 薄暗い照明の下で、その人たちの表情は見えませんでした。 その時ふいに、不安そう

母が教えてくれた やさしさの意味

昨日は、97歳になった父の血液検査の結果を聞くために、兄と待ち合わせて病院に行きました。 「肺に影がある」 と、CTの映像を見つめながら医師がいった言葉を兄から聞いて、 ついに来たか! そう思いました。 97歳まで生きられたなら万々歳ではないか。 それでも、本人の望みどおり100歳まで生きてくれたら、というのが子どもとしての願いです。 ずいぶん待たされたあと、ようやく医師の説明を聞きながら、9年前に母が倒れたときのことを思い出しました。 当時から聴力が落ちていた兄と