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死後は存在するのか科学的に考える
noteを二週間続けていることを褒められてうれしい、たっつんです。
今日は死後というビッグタイトルをつけました。読んでいただければ嬉しいです。
近年、死後は存在しないとするのが日本では一般論でしょう。
死後はあるよねなど、日本で言っていると危険思想を持っている人だと認識されます。
自分も社会人と話した時に、死後の話をした時に「死後に興味あるタイプですか?」と聞くと怪訝な顔をして「私は一般的な日本人なので」と言って誤魔化されてしまいました。ともすれば、死後はないと宣言することが相手に「自分は危険ではない」ことを伝える記号になっているのです。さらには死後がないという主張が知の象徴であるかのようになされています。それには時代背景がありますよね。
本当に死後の世界は存在しないのか、科学的な考え方をしてみましょう。
日本は宗教に対してどのような価値観を持っているか。
「死後はある!と決めつけ、論理的な説明なしに盲信している」状態ではないでしょうか。
科学の世界では原因と結果を非常に重視します。
ある結果から何の原因で起こったか。どう考察できるか。改善できるか。新しい原因と結果をどう見つけるか、が科学です。
結果には必ず原因があります。記事を見た。という結果に原因がないはずはないのです。ここまでみられている方々は自分でクリックしてみられているはずです。
自分が生きているという結果にも必ず原因があるのです。原因はタネと同じです。タネは小さいくせに途轍もない力を秘め、環境によって力を発揮します。そしてタネをじっとはしておりません。変わり続ける世の中では、いつの間にか蒔いた種のよる結果が引き起こるのです。(浪人しているので耳が痛い)
勘の鋭い方ならお分かりかと思いますが、科学的に考えて、【原因→結果】なので今の自分(原因)が存在するなら死後(結果)は必ず存在するのです。
死後はないと主張することは、原因があるのに結果が起きない、結果が起きたのにのに原因がないとする、非論理的な見方になってしまうのではないでしょうか。
いくら多様性の時代だと言ってもこれは考え方の一つというよりは論理的に考えてもあまりに当然だと思います。
現在も新幹線内で書いており、大阪に戻ることが楽しみです。