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成功法は答えではなく「考具」
column vol.966
昨日の記事で、良きコミュニケーションの方法について
セオリーは参考にしつつも、毎回どれだけ相手のことに興味を持ち、気遣って考えられるかがポイントなのではないでしょうか?
ということをお話しさせていただきましたが
それはビジネス全般「成功法」については同じなのではないでしょうか。
世の中、さまざまなノウハウが本や動画で紹介されていますが、あくまでもそれは参考にするためであって、それを鵜呑みにしても活かせない…
そこから自分なりに考えて身になるもの。
お釈迦さまだって、「最後は私の言葉ではなく、あなた自身の考えを信じて行動しなさい」と言っているぐらいです。
〈PRESIDENT Online / 2023年3月13日〉
今日はいかに考えることが大切かについて、そしてその難しさについてお話ししたいと思います。
法と自分自身を「灯明」とする
お釈迦さまが涅槃(ねはん/悟りの境地)に入られる時、弟子の阿難(あなん)が次のような質問をしたそうです。
お釈迦さま亡き後、私たちは何を拠り所にしたら良いのでしょうか?
自分が信じている絶対的な存在が不在になる日を思い浮かべ心配になったのでしょう。
それに対してお釈迦さまはこのようにお答えになったそうです。
「自分自身を灯明としなさい」「法を灯明としなさい」
この話が「自灯明・法灯明」の教えにつながったそうです。
普通であれば「私が教えたことを思い出しなさい」と言ってしまいそうな気がします。
しかし、弟子が自分自身を信じること、そして真理である法を拠り所にしなさいと説かれたわけです。
私はこのお釈迦さまの言葉は素晴らしいなと思ったので、この話を知人2人にしたのですが…、2人揃って
えーっ、そんなこと言われてもなぁ…、ずっと付き添ってきたんだし、最後は「私の言ったことが正しいから、信じて行動しなさい」って言って欲しいかも
という反応が返ってきたのです…(汗)
恐らく私の記事を読んでくださっているのは、noterさんが多いと予想していますので、読んでいる方のほとんどが2人の回答にピンと来ないかもしれません。
自発的にnoteをやっている方々なので、皆さん自律型人財だからです。
さまざまなノウハウを参考にしながらも、自分自身の頭で考えていくということに慣れている方々が大半だと思います。
しかし、実はここにギャップがあって、私の知人のように「確固たる正解が欲しい」という人の方が多数派であると予想しています…
そのメカニズムについて、まずは少し触れさせていただきます。
大衆には「簡略化」しないと伝わらない
19世紀末に活躍したフランスの社会心理学者ギュスターヴ・ル・ボンは、『群衆心理』の中で次のように指摘しています。
思想は、極めて単純な形式をおびたのちでなければ、群衆に受け入れられないのであるから、思想が一般に流布するようになるには、しばしば最も徹底的な変貌を受けねばならないのである。
やや高級な哲学思想や科学思想にあっては、それが群衆の水準にまで漸次くだって行くには、深刻な変化の必要であることが認められる。
この変化は、特に、その群衆の属する種族如何によるのであるが、常に縮小化、単純化の傾向を持つ点では変りないのである。
〈現代ビジネス / 2023年3月18日〉
つまり早い話が、多くの人は簡略化して分かりやすく伝えないと理解できないということです。
例えば、オリラジの中田敦彦さんの「YouTube大学」は難しい話を簡単に理解できるということで人気を博していますが
〈中田敦彦のYouTube大学 / YouTube〉
中田さんのチャンネルのみならず、YouTubeではさらっと分かる内容でないと成り立ちません。
一方、簡略化するためには多くの要素を省かないといけません。
その副作用として、どうしても表層的な理解しか得られないものになってしまうはずです。
例えば「マッチ一本家事のもと」という言葉があります。
これは、「マッチ一本でも扱い方を間違うと大火事になるぞ」という意味ですが、さらに抽象化すれば「何でもちょっとした気の緩みが大事になる」ということで、火事だけの話に留まらないはずです。
しかし、人によっては「マッチ一本」とフォーカスされ過ぎてしまうので、もしかしたら「今はマッチなんて使わない時代だから、古い話だよね」となってしまうのです。
簡略化が表層化(知識の習得)を生み、本来伝えたかった本質的な考えに到達できずに風化してしまうことはたくさんあると思います。
なぜなら、きっと今の若者がこの標語を使うとは思わないからです。
標語とは分かりやすさを優先するからこそ、表層的に捉えられ、時代とともに忘れがちになるというデメリットもあるのです。
重要なのは「考え続けること」
では、なぜ簡略化しないと多くの人たちに伝わらないのでしょうか?
脳科学の中野信子先生は『脳の闇』の中でこのように仰っています。
脳は自分の体の中で、わずかな重量パーセントを占めているだけなのに、リソースは実に5分の1から4分の1も使ってしまうという浪費家である。少しでも楽をしたいと常に願っている、働くことの嫌いな臓器である。
〈脳の闇 / 新潮新書〉
そうなのです、人間の脳は基本的にはサボりやすい臓器。
だからこそ、哲学、宗教、イデオロギー、成功法など、明確な答えが必要なのです。
これを信じたら良い
これはこれで、人には必要ではある。
その上で、仏教をつくったお釈迦さまはこのように話します。
自分自身を灯明としなさい
…やはり、答えとするものを鵜呑みにせず、自分で考えて自分なりの答えを導くことを勧めています。
自分の得た知識や知恵は、答えではなく「考具」。
「考える道具にする」ことが肝要なのではないかと感じています。
著書に『検診や治療に疑問を感じている方! 医療の現実、教えますから広めてください!!』の著者であり、「武蔵国分寺公園クリニック」院長の名郷直樹さんも
判断や行動は重要ではない。その多くはどちらでもよい。重要なのは考え続けること
と仰っています。
〈日刊ゲンダイヘルスケア+ / 2023年3月24日〉
人生は上手くいかないことが多い。
上手くいっていると思っていたものも、「こんな人生で本当に良かったのかなぁ…」と思うこともあるでしょう。
仮にそうだとしても、それを肯定するためにはどうすれば良いかを考える。
成功法も自らの失敗も、全ては考えるための道具。
脳がサボりやすいことを受容して、その上でできる限り考えることで、考えていなかった自分との差をつけていく。
そんなことを意識することが重要なのではないかと最近、個人的には思っています。
どれだけ分厚いノウハウ本であっても、それらは全て著者の簡略化した表現に過ぎない。
もちろんサボることも大切にしながら(笑)、少なくても自分なりの答えを常に見つけるようにしたいと、日々考えています😊