「身体を動かすことが得意で体力には自信があった」という体育会にありがちで安直な理由で飛び込んだフィットネス業界ですが、最初は大手スポーツクラブのアルバイトからのスタートでした。

コナミスポーツ アルバイト入社

年齢も25歳だったので、正社員で入社できそうなところを探して何社か応募して、メガロスをはじめとした大手クラブにも採用通知をいただきました。
が、僕はコナミスポーツクラブ目黒青葉台店のアルバイトスタッフとして入社しました。
フィットネスクラブでは、マシンジム・スタジオ・プールの三種の神器が揃っている業態を「総合型」、プールがない業態を「ジムスタ型」と呼ばれています。
僕が入社した目黒青葉台の店舗は、総合型クラブで、更に治療院、飲食店、スパ(温浴施設)を兼ね備えた大型複合施設でした。
当時のコナミの複合型施設は、府中、新百合ヶ丘、入間といった郊外で
出店されていましたが、この業態を都心への出店するのは初めてで、「失敗するともう都心に出店できなくから、敏腕マネージャーが来て指揮をとる」ということを面接の時に聞いていました。
更に、新店のオープニングスタッフなので、アルバイトという末端の立場でも、店舗を立ち上げていく過程を生で見ながら、自分のそこに参画できることは勉強になるし、その経験は必ず役に立つだろうと思い、コナミスポーツ入社を決めました。

2001年3月1日グランドオープンだったので、僕らオープニングスタッフは、1月から研修が始まりました。
2月途中までは施設も完成していなかったため、既存店の新百合ヶ丘や府中に研修を受けにいきました。
会社概要から始まり、接客マナー、マシンジム、スタジオの指導研修、プールの水泳指導やアクアプログラムの研修、そしてマシン搬入の手伝い、案内POP作成といった細かいセットアップまで、毎日忙しくて思いのほか大変でした。
ですが、丁寧にじっくり時間をかけて研修を受けられたのも、オープニングスタッフならではだったので、フィットネス業界で初めての勤務地と選択したことは正しかったと思っています。

BODYCOMBATとの出会い


この目黒青葉台店はオープン当初、人員が少なかったこともあり、僕らスタッフは、マシンジムやスタジオの指導と、水泳やアクア系の指導、全てを担当しなければならず、全員で水の中にも入るし、陸にも上がるという「両生類」でした。笑
僕は体育大学出身者でありながら、水泳はあまり好きではありませんでした。
大学で水泳も単位を取得し、海浜実習でも遠泳や人命救助、ライフセービング等もやりましたが、好きではなかったので仕方なくやっていました。
そんな奴だったので、アクア系のプログラムは嫌だな、めんどくさいな、と思っていたんですね。

そんなオープン前に、スタジオプログラムのスタッフ向け体験会があって、この時に「BODYCOMBAT」に出会います。

BODYCOMBAT
キックボクシング、ムエタイ、空手、テコンドー、ボクシング、カンフー、MMAといった、さまざまな格闘技の動作を、音楽に合わせて行うプログラムで、レズミルズというニュージーランドの巨大なクラブから発信されています。今では全世界100ヵ国以上、2万クラブ近い店舗で行われている、世界最大規模のプレコリオプログラムです。

※コリオ
 コリオグラフィーの略語で、音楽につけられた動作、振付けのことです。

※プレコリオ
予めコリオグラフィーが決められているプログラムのことです。
一定の品質を保つためにコリオグラファーが音楽を選び、動きを作ります。


僕は、このBODYCOMBATを初めて受講した時に衝撃を受けました。
フィットネス業界初心者の僕は、スタジオに関してはエアロビクスのイメージしかなかったので、元々そんなに興味を持っていませんでした。
でもBODYCOMBATは、動きは大好きな格闘技だし、とにかく楽しい。
僕は元々格闘技に興味があって好きだったので、大学のバスケットを引退してからの2年間は、ボクシングジムに練習性として通ったり、空手道場に入門して、格闘技もやっていました。
また、ロックバンドを組んでいたこともあり、ヴォーカル&ギターを担当して作曲もするほど音楽も好きだったので、このBODYCOMBATはスムーズに入っていけました。
そして、音楽に合わせて身体を動かすことがこんなにも楽しいことなんだと知り、テンションが爆上がりしました。

レズミルズプログラムのインストラクターはライセンス制で、養成研修を受けて試験に合格しないとクラスを担当できないので、僕は当時の上司に、
「コレやりたいです!ライセンス取りに行かせてください!」
と早速掛け合いました。
が、上司は僕がアクア系の指導を嫌がっているのを知っていたので、
「プールはやりたくないなんて我儘を言っている奴に、好きなことだけやらせるわけにいかない。プールである程度結果を出したら考えてやる。」
と言われました。
理屈がちょっと意味わからなかったし、ムカつきました。笑
でも悔しかったので、苦手だった水泳も克服しました。
グランドオープン後には、4泳法のレッスを全て担当できるようにして、アクアビクス系のプログラムもできるようにして、その後立ち上げるスイミングスクール事業も主要メンバーになり、プライベートレッスンの指名もトップになるまで水の中のことはやり切りました。
そして、もう一度上司に
「水は制覇しました!僕を陸に上がらせてください!コンバットの研修に行かせてください!」
と直談判して、ようやく研修に行かせてもらうことができました。

次回予告

めでたく研修には行かせてもらったのですが、スタジオ指導経験のなかった僕は、グループの指導やプレコリオの指導の難しさに直面します。
次回は「BODYCOMBATライセンス取得からクラスを担当するまで」についてお話したいと思います。
今回も最後までお読みくださり、ありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?