105.「日本の資本主義の父」とは?
こんにちは!
宮崎です。
105日目の投稿です。
2024年に20年ぶりに刷新されることになった新紙幣ですが、新しいお札では、千円札に「北里柴三郎」、五千円札に「津田梅子」、一万円札に「渋沢栄一」が描かれるそうです。
2021年時点ですでに刷新の情報が確定してから、実際の運用の開始までに3年要するというのもすごい話だなと感じつつ、新紙幣のデザインに入っている偉人の方について調べてみました。
本日のタイトルにも書いている「日本の資本主義の父」と呼ばれているのは、新一万円札に描かれる「渋沢栄一」さんのことだそうです。
渋沢栄一さんの功績としては、数多くの企業の設立に関わり、約500の企業を育て、約600の社会公共事業に関わった人物で、幕末から昭和までを駆け抜け、「士魂商才」を説いた、時代の先駆者だったそうです。
現在放送中のNHK 大河ドラマ『 青天を衝け 』は、渋沢栄一さんを主人公としたドラマということでも話題のようです。
活躍した時代としては、慶応3年10月14日(1867年11月9日)に江戸幕府第15代将軍・徳川慶喜が政権返上を明治天皇へ奏上した「大政奉還」が実施された影響を受けて、1868年に留学していたフランスのパリから帰国してからが日本での活躍の始まりだったそうです。
帰国後 静岡藩の勘定組頭となった渋沢栄一は、フランスで学んだ知識を生かし、静岡藩の資本を元本にして、商社と銀行を合わせた「商法会所」を立ち上げました。
商法会所で実際に行っていたのは、藩が政府から借りた「石高拝借金」と「商人の出資」を資本金として、お茶・養蚕・米などの生産に必要なものを買う資金の貸し付けを行ったり、肥料や製品を買い取るためにも使いました。
誰でも出資することができ、出資金額は自由。そして商法会所に利益が出れば、出資金額に応じて配当金が出されるというような事業をされてそうです。
※事業を見ても分かりますが、出資に対して利益から配当を出すこともあり、「商法会所」は日本で初めての株式会社と言われたりもするようです。
商法会所を立ち上げた年に、当時 政府の財政・会計に携わっていた大隈重信に手腕を買われ、民部大蔵両省で働くことになりました。
民部大蔵両省に入った後は、矢継ぎ早に様々な事業の立ち上げに携わります。
鉄道の敷設
富岡製糸場(官営模範工場)の設置
郵便制度の創設
度量衡の統一
租税改革
新貨幣制度の設置
国立銀行条例
1973年には、官ではなく民として日本の経済発展に寄与することを決意し、政府を辞職し、民間実業家へと転身して行きます。
民間実業家となった渋沢栄一が最初に着手したのが、「第一国立銀行(現:みずほ銀行)」の設立だったそうです。
金融から着手した後も、様々な分野で日本経済の発展に尽力し、下記のような企業の立ち上げにも携わって来られたそうです。
東京海上保険(現:東京海上日動)
東京瓦斯(現:東京ガス)
大阪紡績(現:東洋紡)
東京株式取引所(現:東京証券取引所)
王子製紙(現:王子ホールディングス)
東京ホテル(現:帝国ホテル)
日本鉄道会社(現:東日本旅客鉄道)
共同運輸会社(現:日本郵船)
東京電灯会社(現:東京電力ホールディングス)
など
記載されている企業を見て驚きですが、今でも日本経済の中心にいる企業ばかりで、日本経済の発展に多大な貢献をしてこられたことが伺えます。
また、教育に対しても大きな価値を感じており、下記の大学の設立にも携わったそうです。
一橋大学
東京経済大学
日本女子大学
東京女学館
また、晩年は社会公共事業にも力を入れるようになり、「東京養育院」「東京慈恵会」「日本赤十字社」の設立に貢献したそうです。
渋沢栄一さんの功績を見れば見る程、本当に今の日本の中で誰もが知っているような多数の事業に貢献したことが分かり、凄まじい貢献度合いだということを感じまくりでした。
また、渋沢栄一さんの人物像としても、【 私利私欲で誰かが利益を独占することを嫌い、多くの経済活動、社会活動にかかわり、日本の社会全体の利益を重視し、発展していくことを目指した人物 】だと言われているようで、実際の貢献度合いを見ても本当にそういう方だったんだろうなとは想像出来るなとも感じました。
新紙幣発行までにはまだ3年がありますが、渋沢栄一さんが居ないと今日の日本経済はないんだろうなと感じた時間でした。
僕自身も日々自分のやるべきことをやって、目標達成をして行けたらと思います。
宮崎