生きている (ヨハネ4:43-54, 申命記4:1-4)
◆看取る悲しみ
あめゆじゆとてちてけんじや
この言葉は衝撃的でした。東北の言葉は、九州人の私には馴染みがありませんが、この苦しく切ない言葉が、精一杯の命の言葉だということは伝わりました。多くの人の心を掴んだこの言葉は、宮沢賢治の詩「永訣の朝」に、括弧付きで幾度も登場する、妹の言葉です。危篤の妹の口から、「雨雪をとってきてください」と漏れる。26歳の賢治が、24歳のトシの死の床にいる風景です。
尤も、本当の臨終のときには、賢治は押し入れに顔を突っ込みわんわん泣いていた、とも言いますから、この詩そのものは、美しく描いたものであると言うことができるでしょう。
しかし、賢治の眼差しは、実に辛いものがあります。愛する妹を自らの目の前で見送らねばならないという場面です。それは、映画『火垂るの墓』(野坂昭如原作)でも印象的でした。14歳の清太が4歳の妹の節子と逃げ回りますが、栄養失調のため、先に節子が絶命します。清太は自らの手で節子を荼毘に付し、その場を沢山の螢が飛び交うのでした。やがて、清太も野垂れ死にします。2人の命が螢のようにはかなかった、という風景をも小説は描写していたのでしょう。
これらは、昔の話だけで済むものではないし、物語の中だけであるのではないでしょう。災害は毎年、襲います。地震あり、火災あり、とくに豪雨による洪水は、毎年日本のどこかを襲います。いえ、世界各地でも同様です。忘れかけているかもしれませんが、コロナ禍という疫病により、一時ヨーロッパの教会が、遺体置き場としてたくさんの棺桶に溢れていた映像を、私たちはきっと見ていたはずです。悲しみを見つめる眼差しは、いまも少しも変わることはありません。
私の母は、最期の時期をホスピスで過ごしました。禅寺の娘であった母が、まさかキリスト教のホスピスで過ごすことになろうとは、本人は予想していなかったことでしょう。すっかり細くなった手を握りながら、母を見つめる私も、いくらかは、他の悲しみの中にある人と同じ思いを、少しでも経験していたことになるでしょうか。
それでも、母は老齢でした。「順番やけん」と、福岡の親は口にするものです。だから、我が子を喪う親の悲しみは、また比較にならないものであることでしょう。妹でも同様ですが、子を、というのは悲痛でたまらないものだろうと思います。
そうした我が子を犯罪者の気紛れや衝動により殺された人の声が、しばしば報道されます。それに対して罵声を浴びせるような者も、世の中にはいるということが、私には悪魔性にしか感じられません。災害や事故で子を喪う親の、まさに腸がちぎれそうな思いというものには、かける言葉がありません。「いったいどうして……」と運命を呪う気持ちに、私は向き合う心も知恵もありません。「どうして神は……」と問われれば、沈黙して共に涙するばかりです。
義父は、生前、犯罪ではありませんが、幼くして喪ったお子さんを弔い続けました。簡単に時が解決するわけではありません。どんなにか辛い思いを抱えて生きてこられたのだろう、と思います。
◆ガリラヤにて
今日お開きした聖書は、ヨハネ伝の4章です。ヨハネと称されるこの著者は、しばしば理由や背景をよく説明します。教会で、そうした解説が求められていたのかもしれません。もちろん、福音書の各記者もそうした面がありますが、恐らく他より後に書いたとされるヨハネ伝では、時代的な背景があったのかもしれません。一層注釈が必要だ、と。
イエス自身、「預言者は、自分の故郷では敬われないものだ」と考えていた、とヨハネは説明します。イエスの故郷は、生まれたのはベツレヘムだとされている場合もありますが、ナザレとも伝えられ、ガリラヤ湖の近くで成長したことは確実です。結局その湖で仕事をしていた漁師たちを、多く弟子に招き入れます。
だから、故郷ガリラヤ地方では、とイエスは気にしたのでしょう。しかし、どうやらこの場面では、イエスはガリラヤで歓迎されたようです。ヨハネはその理由について、エルサレムでイエスが何をしていたか、その活躍を見た者がいた、と説明しています。
変な喩えですが、地元地方で注目されなかった歌手が、東京でスターになったような感じでしょうか。イエスはカナに戻ってきました。同じガリラヤ地方でも、ガリラヤ湖のずっと西の山地にあるようです。以前、水を高級ワインに替えるという、最初の奇蹟を起こした町です。そこに、今回の依頼人が訪れます。
ガリラヤ湖の西湖畔にある、カファルナウム。そこは後にイエスの地元での基盤になる地だったようですが、やってきた男は、「王の役人」であったと書かれており、その息子が重篤な病気だったというのです。
この「王」というのは、時代的にはヘロデ・アンティパスであるように思われますが、この人物は厳密に「王」という位にあったわけではない、と言われています。でも、厳密な意味でなくとも、そう呼ばれていたと考えるとスムーズに動けます。それよりも「役人」というのが微妙な訳です。「王の者」という程度の意味のこの語は、王にかなり近い立場の人を意味する模様です。
だとすると、一介の預言者の許を訪れるのは、少々危険であった可能性があります。ヨハネ伝ではあのニコデモというファリサイ派の重鎮がすでに登場していますが、イエスの噂を聞いて、命懸けで訪ねる人がいた、という話です。すでにその時点で、私は「信仰」というものを感じます。
それは、子を喪うことを最大限の悲しみと想像する、私たちにも通じる切実さがあった、ということなのかもしれません。子を思う親の心は、一縷の望みを抱えて、噂の預言者の許に急いで来たのです。
◆イエスの癒やし
一応「役人」という訳を使いますが、これはかなりの立場の人物だ、という理解で読んでいきましょう。役人は、息子が死にかかっていたために、「癒やしてください」とイエスに願いました。これだけでも、立場を捨てて、危険を冒して、勇気のある依頼だったことでしょう。普通は、部下を寄越すはずです。そういう例も、福音書にはあります。
けれども、イエスの答えはつれない。はっきりと、「役人に」言った、と記されている答えがこうでした。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない。」気がつきましたか。「あなたがた」なのです。役人の部下がいたとしても、話し手は役人一人であってよいはずです。これは、役人一人に対して告げているのではないことを意味するものだろうと思います。周囲の面々に、そしてまた、私たちに向けて、突きつけていると受け止めるべきだと思うのです。
この役人は、ショックを受けて然るべきでした。しかし、めげません。あくまでも畳みかけます。「主よ、子どもが死なないうちに、お出でください」と、イエスが来ることは前提となっているかのように、「いますぐに」来てほしい、と願うのです。イエスが来るか拒むか、それを問題にしているのではありませんでした。時間が問題なのです。時間との勝負です。切羽詰まっていたのでしょう。
ここでイエスの態度が変わりました。「信じない」という言葉を、その役人に対しては撤回するかのように、今度は否定的な言葉は使いません。肯定の言葉、生かす言葉を役人に告げます。「帰りなさい。あなたの息子は生きている。」これは、生きるようになる、という意味ではありません。いま現在、生きている、と言っているのです。死に至る病ではなかったことになります。
ヨハネは記します。「その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」と。イエスが言ったから、その言葉を信じたのでしょうか。私はそうは思いません。この役人の中に信仰を見たイエスが、言葉を発したのであり、その言葉は、当然役人は、信じるはずのものでした。信じる者の霊に応答したイエスの言葉を、その者はそのままに信じた、ということだと思うのです。
私の中の信仰の姿勢は、そういうところにあります。私が無理矢理信じるのではない。但し、私の信仰に応えて神は言葉をくださる。だから私は、それを握りしめるのです。
役人はイエスから離れ、家に急ぎ帰ります。その帰る途中で、奴隷であろう家の者からの報告を受けます。カナからカファルナウムは、山を下るような形になるでしょうから、役人の足取りは速かったはずです。他方、家の者は、しんどい思いをして上っていたことでしょう。主人に報告します。「生きています。」
ヨハネは、息子が快方に向かった時刻と、イエスの言葉の時刻とが一致していたことを記します。だいぶおまけのような気もするのですが、イエスの言葉の力によるものであることを示すためには必要だったと言えるでしょう。それは、役人が「信じた」ときでもありました。信じたとき、奇蹟は起こるのです。
役人ばかりではありません。その家族も、このイエスの信仰の輪の中に入ったこと、そしてこれがイエスの見せた第二のしるしであったことを、ヨハネは記録しています。
◆生きている
故郷ガリラヤの人々は、エルサレムでイエスの業を見たから、イエスを歓迎しました。しかしそれは、イエスが求めるものとは違いました。「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言った通りです。そして、イエスが口にしていたという、「預言者は、自分の故郷では敬われないものだ」という証言は、決して間違っていたのではなかったことになります。
役人に対して、「あなたがた」と言ったのは、本当は役人に対してではなかったのだ、と私は思います。しるしを見てから信じるのか、と問うたことに対して、役人は、そうではなかったであろうことに注目しました。イエスを信じてここまで汗をかき上って来たのです。危険を冒して来たのです。変な見つかり方をしたら、失職するかもしれないし、途中で賊に襲われるかもしれません。でも、イエスは必ず来てくださることを信じて、そして癒やしてくださることを信じて、イエスに会いに来たのです。
役人は、イエスが来なければ、息子が死んでしまうことを知っています。「死なないうちに」来てください、という役人の願いに対して、イエスは「生きている」と応えています。ここに、イエスに会いに来ること、イエスが言葉をくださること、イエスに会う者は生きていること、そのような恵みを私は受けます。これは今日のお話の中での、最重要点だと考えます。私たちは、イエスに会いに行くのです。すると、イエスは言葉をくださるのです。そのような形でイエスに会う者は、生きているのです。命があるのです。
但し、ここで子どもが一度死んでしまったとしたら、もしかすると、イエスの十字架の死と復活とがそこに重ねられて理解されていたかもしれません。でも子どもは、死を経験してはいません。ずっと「生きている」のでした。死んだのではありません。ずっと「生きている」のです。イエスは、生きている子どもを、死に渡しはしませんでした。イエスの言葉の内に、イエスの力の内に、子どもを護っていたことになるでしょうか。命の中に「生きている」姿を、私たちは微笑ましく、また嬉しく見つめます。
◆対偶
死んだのに生き返った。そのようなエピソードも、福音書にはあります。このヨハネ伝では、ラザロの復活が有名です。イエス・キリストの復活というときと同じように「復活」と呼ぶので気を付けなければなりませんが、ラザロの場合は、イエスの復活と同じものではありません。しかし、ラザロが死から命へと移ったことは、イエスの与える永遠の命のための秘密とパラレルになっていると思います。永遠の命は、死の向こうにあるのです。
今日、悲しい話から始めました。近年、死はますます生活から遠のく傾向にあります。家で看取るのが当たり前だった時代は大昔、すでに半世紀ほど前にその割合は逆転しました。但し、最近は病院で亡くなる割合は4人に3人ほどだそうです。80%を超えていた20年ほど前より減少しています。どうしてだかお分かりでしょうか。それは、10人に1人ほどが、「施設」で亡くなっているからです。「病院」と「施設」とを合わせると、戦後間もなくの時代の自宅死の数字になってしまいます。
役人の息子のように、もう死を待つしかない、死に向かっている、という状態を、私たちはどのように想像しましょうか。病気でしょうか。怪我でしょうか。心の病から、自らの人生に幕を引くこともあるでしょうか。老いて体がもう回復が利かないようになってゆくことでしょうか。事故や事件、あるいは災害を想定しないとすれば、私たちは、死への坂道をずるずると下り転がる様子を想像するとよいのでしょうか。
愛する人が衰えてゆくのを知るのは、悲しいものです。もう「良くなる」ことが見込めない場合、私たちはやるせなくなります。確かに自らも歳をとるとガタがきます。自覚しています。かつての自分とは違ってしまったことを知ります。しかし、深刻な状態にならなければ、それなりにその不自由さにもどこか「慣れ」ながら、ごまかすように毎日を過ごします。なんとかうまく、ガタが来た自分の体と付き合っていくことが、それなりに上手くなります。
しかし、愛する人がそうなってゆくのを間近に見るのは、辛いものです。もういつ事切れても不思議ではない状態で、しかし命は続いている。残された時間はどのくらいだろう、と不安な思いを抱えながら、せつない気持ちで接するしかないのです。
けれどもそのとき、見落としてはいけないことがあります。まだ「生きている」のです。命があるのです。光あるうちに光の中を歩め、との教えが息を吹き返します。まだ「生きている」のです。
この場面で、イエスは「信じなさい」とは言いませんでした。けれども、実質イエスは「信じなさい」と言っていたのかもしれない、と私は思います。それは、あの言葉です。「しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と、イエスが「あなたがた」のこととして言ったものです。
「しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」は、「Aでないならば、Bでない」という構造をとっています。論理学の初歩として、命題が真であるとき、その命題の「対偶」も真であることは、高校生の学習範囲に入ります。
たとえば「それが動物でないならば、それは猫ではない」は、正しいと思われます。これの「対偶」は、「それが猫であるならば、それは動物である」ですが、これも正しいと言えるでしょう。同様に、「しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」の「対偶」は、「信じるならば、しるしや不思議な業を見る」ということになります。
役人は、信じていたからこそ、息子の身の上に、しるしを見たのです。ヨハネも確かに「しるし」と記録しました。もちろん、「不思議な業」でもあります。イエスを信じて山を上ってきた役人は、イエスがただ来てくださること、それも早く来てくださることだけを願いました。イエスが癒やすであろうことを信じていたと思うのです。死なないうちに来てくだされば、それでいい。しかし、イエスは「言葉」だけを渡しました。役人は、その「言葉」を連れて帰ることによって、イエスの癒やしがなされることを信じていたに違いありません。
私たちは、イエスに会いに行くのです。すると、イエスは言葉をくださるのです。そのような形でイエスに会う者は、生きているのです。命があるのです
◆栄光の命
1:イスラエルよ、今、私が守るように教える掟と法に耳を傾けなさい。そうすればあなたがたは生き、あなたがたの先祖の神、主が与える地に入り、これを所有できるであろう。
2:あなたがたは、私が命じる言葉に何一つ加えても、削ってもならない。私が命じるとおり、あなたがたの神、主の戒めを守りなさい。
3:あなたがたは、主がバアル・ペオルでなさったことをその目で見た。あなたの神、主はペオルのバアルに従った人をすべて、あなたの中から滅ぼされた。
4:しかしあなたがたの神、主に付き従ったあなたがたは皆、今日も生きている。
もうひとつ、旧約聖書の言葉を受け取ることにします。申命記4章の初めです。もう、あまりくどくどと申し上げることはしません。旧約の世界ですから、律法を守れ、とモーセは迫ります。そうすれば生きる、と信じています。神でないものを信じて従った者は、滅びました。「しかしあなたがたの神、主に付き従ったあなたがたは皆、今日も生きている」と、申命記は私たちによい知らせをもたらします。
異教の神々や偶像を拝まなかった「あなたがた」は、「今日も生きている」ではないか。旧約の出エジプトの旅の中です。滅びないでいま生きていてよかったなあ、そういう程度で受け止めても、もちろん問題はない場面です。約束の土地を与える、という希望がまだあってよかったなあ、そんなところなのかもしれません。
しかし、新約の時代になり、イエス・キリストがいまや「永遠の命」を与えるという約束を信じて、地上を旅する私たちです。私たちが「生きている」のは、ガラテヤ書の言葉を借りれば、「生きているのは、もはや私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです」(2:20)ということになります。
役人は――さらに切実な言葉で迫れば、父親は――、息子が「生きている」ことを願いました。父である神は、息子であるイエスに対しても、「生きている」ことを願わないではいられなかったはずです。しかし、イエスが「生きている」ことを、父は一度踏み潰しました。イエスを見殺しにしたのです。ただ、そこには「立ち上がらせる」こと、すなわち「復活させること」が伴っていたのが、普通の人間とは異なります。
新約以来、神を信じる私たちは、イエスを通して神を知ります。神と出会います。ならば、あの息子の「生きている」を超えて、「死んでなお生きる」ところにまで、引き揚げられていることになるでしょう。
ラザロの復活は、肉体的な死をその後また経験することになるでしょう。役人の息子も、それを免れることはできないでしょう。しかし、「私を信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネ11:25)の言葉を、私たちは受けました。それでも、目に見えること、人間の知恵や知識を優先しようとするマルタに対して、イエスは「もし信じるなら、神の栄光を見ると言ったではないか」(11:40)と言ったのでした。
このヨハネ伝は、イエスの十字架の業を、幾度も「栄光」という名で呼びます。ギリシア哲学では「人間の思い込み」のようなものを表すことさえあった、この「栄光」という言葉は、ここへきて、人間の考えを超越した、神の業としての「栄光」となりました。「生きている」ことは、さらに止揚されて、いまや「死を超える命」のところにまで達するようになっています。私たちは、そうした恵みの世界に生きています。すでにここは、神の国の一部であるのだと思います。
◆改革
役人は、イエスを信じていたからこそ、カナまで苦労してやってきました。イエスは、役人に対して確かに「あなたがたは、しるしや不思議な業を見なければ、決して信じない」と言いました。しかし、それはきっと役人をターゲットにぶつけたのではないだろう、と私たちは受け止めてみました。役人は恐らく信じていたが故に、「主よ、子どもが死なないうちに、お出でください」とイエスに求めた、そのように私たちは読みました。これに対してイエスは、信じるべき言葉を返しました。「帰りなさい。あなたの息子は生きている。」
あなたの息子は「生きる」、というようなふうには言いませんでした。もっと客観的に、「生きている」という状態を示しました。「生きる」という変化が伴っていたとすると、「死んだ」という不幸があって、それでもなお「生きるようになる」というふうに聞こえたかもしれません。あるいは、これから生きてゆくという、何らかの動きを背景にもつ意味に聞こえたかもしれません。しかし、「生きている」は状態です。あるいはまた、継続的な、もしかすると永遠をも指し示す可能性すらある言葉です。どうあっても「生きている」のだ、とイエスは強い言葉を与えたのでした。
この言葉を、私たちも強く受けています。さあ、自分の持ち場に戻るのだ。あなたの大切なひとは、生きているのだから。私たちがもしそのように言われたら、どんなに勇気がもてるようになることでしょう。愛するその人は「生きている」、いえ、その人は神により「生かされている」と言うべきなのかもしれません。
「死なないうちに、お出でください」と役人はイエスに言いました。イエスが来れば死なない、との強い信仰が、そこにあったと思います。しかしイエスは、一緒に行くことはありませんでした。一緒に行くまでもありませんでした。言葉があったからです。神の言葉が、「生きている」と断言したのです。「生きる」というような変化も要りません。「生きるであろう」という予想ではありません。現に、確かに、本当に、「生きている」と断定したのです。
それは、神とその役人との間に、関係ができたからだ、と見ることもできます。神との関係の中で、神が主体となって、人は「生きている」のです。イエスだって、自ら復活したのではなくて、神により「復活させられた」のですから、私たちもまた、神により、あるいはまた神の言葉により、生かされるのです。そうして、私たちは「生きている」。
ルターの宗教改革から500年の記念式典が開かれたのは、もう7年も前のことになります。カトリックとルター派とが共に礼拝を捧げる、新たな扉が開かれたと考えたいものです。私はプロテスタントに属すると言えますが、ルター派だというわけではありません。大きな歴史的役割を果たしたことは間違いありませんが、ルターの意見や決めたことが唯一正しいのだ、というようには思いません。少なくともそれがすべてだとは言いません。
ただ、宗教改革の出来事から、人間は新たな道を与えられたのだろう、とは思います。それは、カトリック教会の側もまた、与えられたのだということだろうと信じます。聖書を信仰の書として人生と人類の指針になるものだ、と信じている者たちは、その言葉によって「生きている」のです。私たちは、信じます。信じるならば、神の業を知る、そして神の栄光を見る、そのようにイエスは言ったのです。
礼拝では、神との交わりを経験します。神と出会って救われた者たちが、共に信仰の喜びを胸に、神との交わりを通じて、神を礼拝します。「宗教改革」と日本語では訳されていますが、元来の呼び名は「改革」だけだとも見られます。500年前の歴史的な出来事で「改革」は終わったわけではありません。私たちはいまもなお、「改革」してゆくのでなければならないと思います。礼拝毎に、新たに気づかされることを通じて、教会は「改革」されてゆくのです。そして何よりも、私自身が、あなたが、新しくされるという経験を重ねてゆくのです。私たちは日々新しいのです。私たちは、常に「改革」されます。かつて救いのときに、全世界が180度違って見えたように。実は自分が180度違う方向を向いただけなのですが、そのときとは質的に違うにしても、私たちは礼拝で「改革」され続けるのだろうと思うのです。