復興への道 (イザヤ62:6-12, ルカ13:1-5)
◆陸の孤島
2011年の東日本大震災は、東北を中心として、甚大な被害をもたらしました。地震だけでも被害は甚大であったのに、それに加えて津波が沿岸各地を襲いました。筆舌に尽くしがたい情況について、私は九州から、何も知るところがありませんでした。無責任にこのような形で触れることを、まずお詫びしたいと思います。どうしても、あることについて、お話ししたいと願ってのことです。傍から見ている者が、知ったような口を利くことは、厳に慎まなければならないことだとは考えておりますが、実際それをしてしまうことについて、自分を呪わしく思うものです。
どうしてそれに触れつつ話すのか。あるテレビ番組をご紹介したかったからです。NHKの「新プロジェクトX」です。かつて「地上の星」として、いろいろな人にスポットライトを当てた番組が、2024年に再びつくられるようになりました。
さる10月12日の放送で、この東日本大震災の、ある被災地の人々が取り上げられたのです。そこは、岩手県釜石市鵜住居(うのすまい)という地域。沿岸地もありますが、山間部もあります。直接津波を激しく受けなかった場所でも、事態は深刻でした。
それは、能登半島の地震にもありました。交通路が断たれると、地域が陸の孤島となってしまい、物資が届かなくなるのです。人が通えなくなるということは、物資を運ぶこともできなくなる、ということです。
津波により、言葉は悪いですが、瓦礫により道路が塞がれました。人々は孤立し、どうしようもなくなりました。支援物資の知らせはありました。しかし、それが届く気配はありません。
地元の建築業者が立ち上がります。道を拓かなくてはなりません。建築業者には、重機があります。悲しいけれど瓦礫となった人々の家や物をどけて、新しく道を切り拓くために、全力で働きます。ただ、無闇にどければよい、というものではありませんでした。潰れた家屋の中に、あるいはまた流されてきた人もいるでしょうか、遺体がそこかしこに隠れています。遺体を重機で潰すわけにはゆきません。
そこで動いたのが、地元の消防団員でした。遺体を捜し、収容に走ります。すぐにはどけられない遺体があれば、そこに旗を立てます。ここは重機を通すな、という目印です。見通しは、一週間ほどかかるものでした。旗の立つところ、重機でもすぐには動かせないようなところを避けて、支援物資を運ぶ道を通すルートを決めました。かつて道路だったところがすぐに道として使えるわけではありません。潰れた家がどんと道の真ん中に動いてきていたら、さすがにすぐには動かせませんでした。
◆被災の現実
物資が届かない間も、人は食べなければ生きていけません。いわゆる炊き出しが始まります。限られてはいますが、食料品はまだあります。そのために「おにぎり部隊」が編成されました。量的な問題が懸念されましたが、地域住民の人数から考えると、なんとか賄えるだろうか、と思えました。
ところが、思わぬ事態が起こります。他の地域から流れてきた避難民が加わり、予想した人数を超えてしまっていたのです。これでは足りない。しかし、人には食べるものが必要だ。まるでトリアージのような判断が求められます。精神的にも追い込まれ、「おにぎり部隊」の方々は苦境に立たされます。そして、孤立した場所に喘ぐ人々に、危機が訪れました。
しかし重機は働きました。「命の道」が少しずつ拓かれてゆきます。地域の人たちが声をかけ合い、互いに気遣い、協力して、その時を待ちます。「愛するふるさとのために」できることを、それぞれが正に懸命に営んでいました。
六日間の戦いは、道の開通へ辿り着きました。支援物資が届きます。これで問題が解決されたのではありませんでしたが、命はつながりました。それでも、その時には皆が必死で生き抜いていたのだ、と当事者たちがスタジオで振り返っていました。「あの当時は涙を流す暇もなかったけれど」と「おにぎり部隊」の女性が口にしました。「いま13年経ってこうして見返すと、涙が零れてきます」と、目に涙を浮かべていました。
この「新プロジェクトX」は、「孤立集落へ 命の道をつなげ ~東日本大震災 6日間の闘い~」と題して放送されました。放送ではこのように、安心できる結論がもたらされましたが、この放送については、厳しい声もありました。「東日本大震災で亡くなられた消防団員の遺族は、死者多数による財源不足を理由として、補償金を半額に値切られました」という書き込みが見られました。
災害は、とくにこのように大規模な震災となると、行き届かないことが多々あり、隠れたところで泣いている人をつくるのです。その後も尽きない様々な災害において、その被災地では、表の報道に出てこない背後に、知られない現実があるということに、外の人たちは気づかねばなりません。気づこうとしなければならないものだと思い知らされます。
◆復興
朝の連続テレビ小説、通称「朝ドラ」で、このとき「おむすび」という題で始まっていました。その中で、阪神淡路大震災の場面が登場しました。神戸にいた主人公の家族は被災します。家族はさしあたり無事でしたが、姉の親友が亡くなりました。そこから、家族の形が変わってゆきます。家族は実家のある糸島に移ります。福岡市近郊の農業地です。いまは九州大学もそこに移り、学園都市としても今後発展してゆくことでしょう。
私は阪神淡路大震災のとき、京都にいました。震度5でした。この地震によって、震度5も強弱の区別が付けられるようになりましたが、私にとっては未曾有の揺れでした。その後、故郷の福岡に移り住んだところ、福岡での福岡西方沖地震でも強い揺れを経験しましたが、これは横揺れでした。兵庫県南部地震の揺れは、京都の私のからだをも真上に突き上げるものでした。もし物が落ちてきていたら、命はありませんでした。
そのときに見たもの、対処したことについては、またいずれどこかでお話しできるかと思います。ただ、神戸は大好きな街でした。美しい街でした。その傷ついた姿を見る勇気がないままに一年が過ぎ、やっとなんとか訪ねてから、実家のある福岡に住まうこととなったのです。
「がんばろう神戸」の声が響きました。当時神戸をホームとするプロ野球オリックス・ブルーウェーブのその年のスローガンとなりました。イチローがいました。野球などやっている場合だろうか、と思えるほどの中で、選手たちは、地元の人たちの希望となるべく野球を続けました。その年にパ・リーグで優勝、翌年にリーグ連覇と、日本シリーズ優勝に輝きました。神戸の「復興」のシンボルのようになっていたのは確かです。
けれども、簡単なことではありません。「復興」と口で言うのはたやすいかもしれませんが、いったい目の前の風景をどうすればよいのだ、というような絶望と悲しみの中で、被災地の人々は生きてゆかねばなりません。どれだけ時間と労力と、またお金を使っても、汗を流しても、涙を流しても、少しも変わったようには見えない現状がそこにあるのです。
東日本大震災では、津波という水の力の恐ろしさも知らされました。日本人は、相手に忘れろと迫るときによく使う、「水に流す」という言葉をもっていますが、簡単に「水に流す」などと言ってはいけないものだと思わされます。
「復興」の厳しさを体験した人々や世代の強さといったら、生温い私のような者は全く立ち向かうことができません。百年前の関東大震災のことは殆ど歴史の中にしかないかもしれませんが、灰燼と化した関東が立ち上がったのも奇蹟のようです。それなのに、その二十年後には戦争のために、再び東京が壊滅しました。太平洋戦争後の復興は、まだ過去にはなっていないと思います。焼け野原となり、敗戦国として、連合国の占領下、人々はどうやって生きていったのでしょうか。戦前の価値観が否定され、新たな世界像がもたらされる中で、人々はどう変えられていったのでしょうか。
いまもなお、テレビドラマや映画では、その時代のことがよく描かれます。忘れてはならないことだと思います。知らないで済ませてはいけないことだと思うのです。
◆イスラエルの復興
聖書の世界はどうでしょうか。イスラエルの地にも地震はあったらしい。アモス書の冒頭はこうなっています。
テコアの羊飼いの一人であるアモスの言葉。それは、ユダの王ウジヤの治世、ならびに、イスラエルの王ヨアシュの子ヤロブアムの治世に、イスラエルについて幻に見たものであり、あの地震の二年前のことであった。(アモス1:1)
「あの地震」と書くだけで人々に了解されたのです。かつては日本人も、「関東大震災」をそのように位置づけていたのでしょう。今は「東日本大震災」でしょうか。もはや「阪神淡路大震災」も、30年という一世代を経たものとなってしまいました。
しかしイスラエルでは、地震による被害よりも、もっと大きな、ショッキングな災害がありました。戦争です。しかも、まともな戦いすらなされず、大国に一方的に占領され、イスラエルの象徴でもある神殿が無惨に破壊され、祭具などが略奪されたのです。
さらに、国のブレインたるエリートたちは、遠い敵地に連行されました。「捕囚」となったのです。有能な指導者のいないままに、遺された人々は、破壊されたエルサレム神殿を見て、呆然としたことでしょう。それの再建など、誰もまともに考えられないことでした。なんとか生きていくしかない。「復興」という言葉は、その程度のレベルのものでしかありませんでした。
しばらくして、外地から指導者が戻ってきます。神殿を再建しようという声が起こります。他方、地元にいた人々の中には、再建に反対し、妨害する者も現れました。そこにあったのは、一部の人々による情熱だけでした。
でも、イスラエルは、なんとか復興します。ささやかな神殿を建て直しました。それを見て、過去の神殿を知る老人たちは大声で泣いた、とも記録されています。となれば、その再建には、「神の後押し」があった、とでも言うべきでしょうか。
イスラエルは、復興します。こんな復興は、昔話であるかもしれません。いまの阪神や東北は、懸命に復興してきました。あるいは復興をしてゆくことでしょう。2019年に焼け落ちた首里城は、遠くない将来に建設は完了するようですが、2016年の地震で石垣が崩れた熊本城の再建は、2050年までには難しいと聞きます。
2024年の元日に地震に見舞われた能登を中心とする地域は、その後の豪雨被害も重なり、復興には十年単位が必要だと見られています。まずはいまそこに残って暮らす人、やむなく避難していった人をどう助けるか、生きてゆくか、を重視しなければなりません。まずは命、生活。それを度外視して、何が「復興」なのか、という次元であるのかもしれません。
偉そうにこのようなことを呟くことを、どうか許して戴きたいと思います。傍から分かったようなことを口にすることは、決定的に間違っているのだ、と自分では考えています。辛い立場にある方々を傷つけることを口にしていることを、許してください、と軽々しく言うことも弁解はできません。ここから今日は、時間的にも距離的にも遠い、イスラエルの復興を見つめることにします。しかも、先ほどのユダの神殿再建に関するバビロン捕囚(紀元前6世紀)ではなく、北王国イスラエルの滅亡となったアッシリア捕囚(紀元前8世紀)のときに神の言葉を語った、預言者イザヤを取り上げます。
◆道を切り拓く
預言者イザヤ。「予言者」とは書かず、日本語ではなぜか「預言者」という漢字を使います。普通の「予言」は、「予め言っておくこと」を意味しますから、未来のことを言い当てると私たちは理解しています。聖書の場合、そういう意味ではありませんから、「神の言葉を預かる」ものだと私たちは解釈しています。
ところが、英語で「予言者」と「預言者」は、特に区別されているわけではないようです。「預言者」という語は、漢訳の聖書に由来していると言いますが、漢字の「預」の文字は、「予」の旧字体の別の形である故に、中国語でも「予言者」と「預言者」とには違いはなかった、という話もあります。それによると、日本語独自の「預かる」の読み方を都合好く説明に使った、ということなのだそうです。
アッシリア側の記録によると、北イスラエル王国の30,000人近くが移住させられたといいます。これらの人々は、イスラエルの地に帰還できたのでしょうか。実のところ、よく分かりません。その150年ほど後に、南ユダ王国から15,000人ほどと推測されるユダヤ人がバビロンに連行されたと言いますが、こちらは、それから半世紀余り後に、バビロニア帝国の後を支配したペルシア国王キュロスにより、一部がユダヤの地に帰還することになりました。アッシリア捕囚の人々も、そこに混じっていた可能性があります。
イザヤは、その遥か後の出来事を、恰も「予言」したかのようにここに記しています。それにしては、あまりに具体的過ぎるし、キュロスという名前を言い当てるというのは、殆ど超能力じみています。普通に考えて、そのような固有名詞や細かな描写は、現実にバビロンから人々が帰還した後のことを知る者が書き加えた、と理解する方が自然でしょう。但し、イザヤが事前に骨子を予言していたことを否定する理由も、たぶんありません。
イザヤは、イスラエルの復興を語ります。「主がエルサレムを建て/これを全地の誉れとされるまでは/主が休まれないようにせよ」とまで言います。安息日すら無視するような言い回しで、イザヤは全く無茶を言うのです。しかし、この主の働きは、人間の手を通して成し遂げられるはずのものでした。
10:通れ、通れ、城門を。民の道を整えよ。/築き上げよ、築き上げよ、大路を。/石を取り除け。/もろもろの民に向かって旗を揚げよ。
「石を取り除け」という言葉が、私に対して、これまでと違った風景を呼び起こしました。そう、重機こそそこにはありませんが、釜石で孤立した集落に支援物資を運ぶために瓦礫をどけ、道を切り拓いた人々の姿が重なって見えてきます。
「石を取り除け」「旗を揚げよ」と人々に呼びかける主の声を、イザヤは伝えます。その結果、「あなたの救いがやって来る」のです。結局イザヤに付されたこれらの言葉は、後のバビロン捕囚までをも含んでいるのでしょうから、荒らされたエルサレム神殿の再建までを見通しているような恰好になっていると思われます。
イザヤという預言者を筆頭として、イスラエルの民には、神の言葉を預かる者が絶えず続きます。その人たちは、城壁の上に立って「見張り」をしています。そして主の言葉を語ります。復興が成し遂げられるまで、「決して黙ってはならない」とイザヤは鼓舞する主の言葉をぶつけます。
確かに、人が努力します。人が尽力します。しかし、歴史の出来事は、人と神との関係の中で行われます。預言者は、そして神を信じ従う者は、その確信の下で、すべての出来事を見ています。イザヤの言葉は、そのように神との間で交わされた結果、私たちにもたらされました。聖書の言葉は、こうして私たちに届けられ、私たちがまた神との関係の中に生きるように、と励まします。
敵にとことん破壊され、国は荒れ果てました。人々は復興からも遠ざけられました。それでも、復興は必ずある。聖書には、こうした慰めが、随所に鏤められています。あなたがどんなに壊されても、あなたがどんなに絶望を味わっても、必ず復興する。聖書は、あなたを立ち上がらせる言葉を有っています。
◆復興と滅び
ただの気休めではありません。歴史は確かに奇蹟を呼び起こしました。破壊された町は蘇ります。主が、休みなく働かれたからです。人間は諦めると沈黙しますが、「黙ってはならない」ということで、沈黙する必要をなくします。神との常に向き合っている預言者は、ますます沈黙することがありません。
壊れた町は復興します。決して見捨てられることはありません。再び作物が収穫されます。果実が実ります。もう敵に潰されることはありません。どんな災害からも、壊滅することはありません。旧約聖書の預言の書は、人間の背信に対する厳しい裁きも叫びます。しかしまた、豊かな回復があることを励まします。目の前の瓦礫の状態から、復興があることを告げてくれます。
聖書の記事は、遠い世界の出来事のように、これまで聞こえてきたかもしれません。しかし、こうして聞くことによって、私たちの現実と隣り合わせであったと気づかされます。さらに言えば、それは人間一人ひとりの心や魂における暗い状態、心が折れ、魂が砕けた状態から、立ち直ることへとつながってゆくものだと信じて止みません。
ただ、無根拠に「なんでも復興する」、と楽観視できるようなものの言い方を、私はしたくありません。聖書はしばしば両面を示します。不愉快な場面をも射程に置きたいと思います。少しばかり上手に聞いて戴く必要がありますが、ルカ伝13章にも目を移してみます。ピラトがガリラヤ人たちを虐殺した件をイエスに知らせた者がいました。イエスは答えます。
2:「そのガリラヤ人たちがそのような災難に遭ったのは、ほかのすべてのガリラヤ人とは違って、罪人だったからだと思うのか。
3:決してそうではない。言っておくが、あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。
4:また、シロアムの塔が倒れて死んだあの十八人は、エルサレムに住んでいるほかのすべての人々とは違って、負い目のある者だったと思うのか。
5:決してそうではない。あなたがたに言う。あなたがたも悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」
ちょっと聞くと、災害に遭った人はその人が悪かったからだ、というふうに聞きとってしまうかもしれません。実際、震災のときに、現場でそのようなことを叫んでいたキリスト教の恰好をした集団がいたという噂もありました。もちろん、イエスがそのようなことを言っているとは思えません。ルカは、罪と悔い改めを強調する記者です。「あなたがたも悔い改めなければ」と明確に触れています。悔い改めない者は、神の国における滅びが待っているに違いないことを伝えているのだ、と理解したいと私は思います。
◆復興の約束
悔い改めないならば、復興どころではありません。「復興」でなく「不幸」となることでしょう。日本という国が、戦後復興を経済的に果たしたのは確かです。しかし、教育勅語をGHQの手前引っ込めたところ、同時に哲学も宗教もお構いなしの教育を始めてしまいます。教育課程に「哲学」をもたないというのは、少なくとも西欧社会では考えられないことです。経済でも政治でも、哲学を知らないままに、欲望の原理が御者となっていることにすら気づかないような社会を呼び込みました。それではいけない、と精神的なことを持ち出そうとすれば、一気に戦前の思想や道徳に戻ろるのがよい、と傾き始める始末です。
まるでぼやきのように突っ走りましたが、同調できない方も、もう少しお待ちください。私たちは、政治をどうのこうのと言っているのではないのです。いまここで目の前に掲げたいことは、今日行くであれ政治であれ、何にしても見かけよりもずっと中身が荒廃しているかもしれない、ということです。この社会は、何かおかしい。そう感じる人は少なくないと思いますが、「まあこんなもんだ」と安心してしまわないように、目を覚まして見張っていることを大切にしましょう。
でも、それにも増して、荒廃しているもの、崩壊が危惧されているものというものがあることを、私は知っています。私自身です。皆さまにとってもまた、自分自身です。いちばん危ういのが、自分だということは、私たちはきっともう分かっていると思うのです。でも、認めたくない。自分の拙さの本質については、気づくこともない。判断するのが自分自身ですから、自分がおかしい、と判断することには本当は不自然な理論が加わっているのです。私は、自分自身がおかしくなっていることについて、自分では判断することができないのです。
自分の顔を鏡で見ると、こんな顔だったのか、と嫌になることがあります。自分の声を録音して聴くのは、誰もが抵抗あると聞きます。他方で私たちは、「人の振り見て我が振り直せ」という諺も知っています。その「人の振り」は、聖書の中で突きつけられるはずだ、というのが私が常に語りたい福音です。聖書の物語の中に自分自身を見ることができる人は幸いです。
自分の欠点については、気づきにくいものです。だから自戒して、傲慢になるまいと警戒してばかりいると、そこを突いてくるカルト主教のような存在もあります。うまい具合に利用され、操られてしまうかもしれません。
自分自身は、立派な人間だと自慢できるようなものはないが、ひどくけなされるようなことをしてきたわけではない。それなりに社会生活をしてきた。社会貢献もしたつもりだ。自負があること自体が悪いわけではないと思いますが、そこに油断が忍び込む可能性は十分にあります。実のところ自分は荒れ果てている。そのことに気づかないとしたら、直しようがないのです。
まずは、どこが破壊されているのか。どうすればそこを直し、かつての生活基盤に生まれ変わることができるのか、痛感したいと思います。しかしただ痛みがあっただけでは、キリスト教会が伝えたい福音にはなりません。福音は、あなたが罪に死に、復活の命に移ることを望んでいます。自分の罪を知り、そのことに押しつぶされようになりながら、キリストが生きるというエッセンスに委ねることができたら、キリスト者の信仰は、いま改めて、生き生きと蘇るだろう、と信じて止みません。壊れたあなたの心も、必ず復興するという約束が、ここにあるからです。