復活の聖餐 (ヨハネ6:30-40, レビ17:10-14)
◆記念としての聖餐
コリントの信徒への手紙一11章
23:私があなたがたに伝えたことは、私自身、主から受けたものです。すなわち、主イエスは、引き渡される夜、パンを取り、
24:感謝の祈りを献げてそれを裂き、言われました。「これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい。」
25:食事の後、杯も同じようにして言われました。「この杯は、私の血による新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこれを行いなさい。」
26:だから、あなたがたは、このパンを食べ、この杯を飲む度に、主が来られるときまで、主の死を告げ知らせるのです。
教会生活を送っている人には、きっと聞き覚えのあるフレーズです。「聖餐」「主の晩餐」「聖体拝領」などと呼び慣らされている、あの儀式の始まりによく読まれます。「聖餐式」と呼ばれることもありますが、これ自体が「式」ではないので、以下「聖餐」と呼ぶことにします。
これは食事のことです。しかし、特別な食事です。パンとぶどう酒、と基本的に捉えられています。しかし体質や年齢からアルコールを飲めない人もいますし、教会に運転してきた人に、微量でもアルコールを提供するのは、市民生活上問題となり得ます。いまは「ぶどう汁」として、つまりぶどうジュースを使うところが多くなりました。この要請のために開発されたのが「ウェルチ」というメーカーのぶどうジュースです。そのことについては、後でも少し触れます。
さて、先の聖書箇所は、パウロの手紙の中に一部です。この言葉の中で気になるのは、パウロが「主から受けたもの」とあるところです。パウロはイエスと地上で直接は会ったことがありませんから、どうやって受けたのだろう、と不思議に思います。さらに興味が湧くのが、この場面の記事が、福音書にもあることです。もちろん多少は言葉が異なりますが、マタイやルカの福音書には、イエスの生涯として、この場面が描かれているのです(マタイ26:26~マルコ14:22~ルカ22:15~)。
福音書とパウロの手紙となると、歴史的に、最初に書かれたのはパウロの手紙の方であることが分かっています。そうなると、パウロが先にこのように記していたのを、イエスの物語として福音書を書いたときに、採用したと考えるのが自然です。しかしそれは、パウロを真似したと決めつける必要はありません。パウロはパウロで、教会に伝わっていたイエスの最後の食事の場面の出来事を聞いた、と考えるほうが自然であろうと思われます。
パンが裂かれ、それから杯が与えられるとき、どちらにも「私の記念としてこれを行いなさい」と言われています。「記念」です。と、耳で聞くと違いが分かりませんが、「祈念」という書き方があります。これらはどう違うのでしょうか。
8月6日、広島では「平和記念式典」が開かれます。同じ9日には、長崎で「平和祈念式典」が行われます。3日違いの原爆投下を覚える式典で、「記念」と「祈念」とが別々に使われているのです。
「記念」は、思い出を強調する言い方でしょうか。「祈念」のほうは、「祈り」という字が使われていますから、宗教的な意味合いがある、と凡そ理解されているようです。長崎はキリシタン、そしてカトリック教会の街でした。
聖書はこのように「記念」と訳しています。もちろん教会堂は宗教施設ですが、イエスは祈れ、とここで言っているのではありません。イエスを記憶しておく、思い出す、そういった心の働きを述べているに過ぎません。そう言えば、教会用語として「覚える」というのがあります。「祈りに覚える」とか「覚えて祈りましょう」とか言って、それを忘れないようにしておくことです。いったい何を暗記するのだろう、と不思議に思った人もいるのではないでしょうか。
今日は、この「聖餐」を覚えます。聖餐は、「キリストの体」と「キリストの血」という、二つの要素から成り立つ礼典です。
◆パン
まず、「キリストの体」のほうに目を向けましょう。イエスが自分のことを「命のパン」と呼ぶ場面があります。
35:イエスは言われた。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。
イエスは、多くの人々にパンを与える奇蹟を起こしたのでした。各福音書にこの場面はありますが、このように「命のパン」と呼ぶのはヨハネだけです。ヨハネは五千人いた、と記しています。弟子たちは、対岸のカファルナウム、恐らく伝道の拠点だったところへ向かいます。イエスがいないまま、弟子たちは舟に乗ります。漁師たちがいますから、舟を操るのはお手の物です。そこへ、イエスが湖上を歩いて近づきます。恐れる弟子たちに、イエスは「わたしはある、恐れるな」と言うので、弟子たちは舟にイエスを迎え入れようとします。間もなく舟は目指す地に着きました。ここだけでも、長い説教ができそうですが、いまは関わりません。
続いて、群衆が弟子たちとイエスがいなくなったことに気づき、イエスを捜してカファルナウムまで群衆は追いかけます。イエスを見つけましたが、イエスは、人々の心理を見抜きます。神の業の証拠としてイエスの奇蹟を見たわけではない、ただ単にパンが欲しいだけなんだろう、と思惑を暴きます。しかし非難したのではありません。そこで、「永遠の命に至る食べ物」があることを説明します。それを得るためには、「神がお遣わしになった者を信じること」が必要だと言うと、群衆は、信じるために証拠を見せてほしい、と迫りました。だって、出エジプトを果たした民に対して神は、天からマナを降らすという神の業を、起こしてくださったではありませんか。
イエスは、それはモーセが与えたのではない、と言って、神が「天からのまことのパン」を与えることになる、と説明します。「神のパンは、天から降って来て、世に命を与えるものである」と。人々は、それをください、いつもください、と願いました。なんだか、人の愚かな側面が次々とあぶり出されたような場面ですが、たぶん私がそこにいても、その程度のことしか言えなかっただろうと思います。イエスは、これに応えて、先ほどの言葉を明らかにしました。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない」と。
「命のパン」というのは、もちろんひとつの象徴です。どうなのでしょう、私たちにとって「パン」というものには、最大級の切実さは感じないかもしれません。いっそ「米」と呼んだら、分かりやすいかもしれません。日本の教会でも、そういう意見が出たことがあったそうです。でも、もはや米減らしの時代には、パンでも、少しばかりの想像力を伴えば、大丈夫ではないでしょうか。
イエスはパンを五千人に配ったのです。パンは、食べ物の象徴です。ローマでは「パンとサーカス」といって、食べ物と娯楽という、人民を操るための餌のようなものを示す言葉がありました。詩人ユウェナリスの言葉だと言われています。こうしたものばかり求めて、政治に対して無関心になってしまっている市民の有様について警告しています。
人々は、パンをくれる政治家に従います。いまもそうです。政治というものが、経済政策をすべてとしてしまうのです。どんな権利よりも正義よりも、経済が優先されるのが、世情ではないでしょうか。
◆血
イエス自身が「命のパン」だということは、イエスが十字架でその身を犠牲にしたことを思い起こさせます。そのとき、イエスから血が流れていた、ということも重要な点だと考えられています。聖餐というのは、結局この血を象徴するぶどう酒の杯を口にすることも含むのですから。ただ、それについては不思議な律法が、旧約聖書にあります。レビ記17章の規定です。
11:肉なるものの命、それは血にある。私はあなたがたの命の贖いをするために、祭壇でそれをあなたがたに与えた。血が命に代わって贖うのである。
12:それゆえ、私はイスラエルの人々に言った。『あなたがたの誰も血を食べてはならない。あなたがたのうちにとどまっている寄留者も、決して血を食べてはならない。』
この規定は、現在のユダヤ教にも生きていて、本筋の信徒は、厳格な食事規定「カシュルート」に従って生活しています。血を徹底的に抜いた特別な、食べてよい食べ物「コーシェル」に合わせた食事をとっていますし、そのための認定された店が設けられています。
血は命だから、飲んではいけないのだといいます。近代医学の見解はまた違うかもしれませんが、しかし概ね血が重要であることは当たっていると言えるでしょう。「瀉血」という治療方法についてご存じに方もあろうかと思います。もしかすると、感染症や特定の疾患に関わる、当時かの風土における知恵であったかもしれませんが、イスラエルの民は、これを神からの規定であると認識し、守り伝えたことになります。
聖餐においては、イエスの「血による新しい契約」であることが強調されていました。もちろんそれは、直接血を飲むということではありません。そう言えば、朝ドラ「ブギウギ」の林部長は、マムシの生き血を飲んで活力を得るなんて言っていましたが、けっこう珍重されたものでしょう。スッポンの血なら、わりと話に聞きます。それなりに栄養価はあるらしいのですが、ユダヤ人からすると、とんでもないことなのです。
イエスの血を飲むなどというのは、ひとつの象徴ではあるのでしょうが、それを聞いた当時の部外者からすれば、呆れるほどの冒涜に聞こえたことでしょう。もしユダヤ教徒でなくても、生き血を飲むというのがおぞましいことに思われるのは当然です。
◆命
それは、先の「命のパン」にしても同様です。「私が命のパンである」というのが象徴であるにしても、パンがキリストである、という信仰が外部に聞こえたときには、それが人肉を食らうことのように思われても仕方がなかったと思われます。カニバリズムだと忌避され、それがまた迫害の根拠になっていった可能性があるかもしれません。そしてこの場面の後に、弟子たちがたくさん離れて行った、という記述があるわけですが、もうご尤もと言わざるを得ません。
しかしイエスの弟子たちは、パンとぶどう酒で儀式を行っていました。このぶどう酒、現代では車を運転する人も口にしていたはずですが、ごく少量であるために問題とされなかったのでしょうか。ただ、アルコールが本当にダメな体質の人もいます。19世紀後半、アメリカの医師トーマス・ブラムウェル・ウェルチ博士は、未発酵のワインから、ぶどうジュースを製造する方法を見つけました。20世紀初めの禁酒法の時代(1920-33)、特にこれは脚光を浴び、爆発的に広まったと言われています。
私がかつて導かれた教会でも、かつてはぶどう酒そのものでしたが、その後ウェルチに変わりました。これにより、未成年の聖餐も、運転者も問題にならなくなりました。それはそれでよかったと思います。しかし、アルコールの有無に拘らず、ぶどうの飲み物は、血そのものではありません。血の象徴のはずです。その血は、命です。
11:肉なるものの命、それは血にある。私はあなたがたの命の贖いをするために、祭壇でそれをあなたがたに与えた。血が命に代わって贖うのである。
レビ記17章を、この聖餐の杯にあてることは、強引かもしれません。しかし私はキリストの流した血に、命を見ています。同様に、命のパンとしての体もまた、命を戴いていることに違いありません。
35:イエスは言われた。「私が命のパンである。私のもとに来る者は決して飢えることがなく、私を信じる者は決して渇くことがない。
聖餐ということで、私たちはキリストの命を受けているということになります。結局は、「命」を受けるというための儀式であると理解できるわけです。父なる神は、イエスを通して、人間に命を与えようとした、そこに集約されてよかろうかと思います。
◆共に食す
これは、教会の礼拝の中でなされる以上、一定の所作なり形というものができていくことになります。そして、それは教会という集団の中でなされることになるはずです。個人で食べても、飲んでも、聖餐と呼ぶのは難しくなります。信じる者たちの集いのなかで、「共に食す」という社会性が、そこにこめられていると言えるでしょう。
たとえば創世記43章で、いまやエジプトの宰相となったヨセフの許に、ヨセフの兄弟と父ヤコブとが訪ねて行く場面があります。そこで、エジプト人がヘブル人とは共に食事をすることはなかった、と書かれているのを見ます。それなのにヨセフが彼らと共に食事をすることについて、兄弟たちは疑問を呈している様子はありませんでした。
イエスはその伝道旅行中、罪人たちと共に食事をしている、ということで、さんざん悪口を叩かれました。イスラエルの教師たる者が、律法規定に違犯してまでも、罪人たる者たちと大いに飲食しているのはけしからん、というわけです。
聖書が描く場面やその詩などには、共に食することの喜びや恵みがいろいろ書かれているように見受けられます。この聖餐という儀式でも、私たちは共に食すことのつながりを覚えることかと思います。キリストの弟子たる者は、決して独りではないこと、自分だけの信仰をわがままに貫いているのではないこと、そんな絆を感じて然るべきなのでしょう。
日本人でも、「同じ釜の飯を食う」という言葉があります。仲間意識です。戦陣に向かう武士は、水杯を交わしました。生死を共にするという誓いでもあります。戦陣というのは昔のことばかりではありません。近代の戦争のときにも、この水杯は活きていたといいます。いえ、この日本では、救護班要員として戦地に赴く看護婦たちもまた、互いに水杯を交わしていたことが報告されています。
共に食すということには、象徴では済まされない、命がかかっていた場合があるのです。教会での聖餐に、果たしていま私たちが、どれほどに「命」を感じているか、もう少し省みる必要があるのではないか、と考えます。
◆死と復活
プロテスタントは、カトリックが保ってきた七つの秘蹟の中で、二つだけを「礼典」として残しました。洗礼と聖餐です。このうち洗礼は、一人のキリスト者にとり、一度きりです。一部浸礼を重んじる派では、受け直させるところもありますし、カトリックもそうであったでしょうか、その他いろいろあることでしょう。しかし、概ね一度です。
他方、聖餐は主日毎に繰り返されます。いまやプロテスタントではそれが緩いということはすでに確認しましたが、それでもとにかく、洗礼と異なり、聖餐は幾度も経験していくことになります。
先週、洗礼を溺死と見立てて、死ぬことにそのエッセンスを覚えました。それは、カイロスとしての決定的な一度きりの出来事でありました。一度なされる「救い」の始まりでした。一度かつての自分に死ぬこと、そして新しい命に生かされることへの道が始まることになります。
その命への道が、今度は聖餐の中に取り上げられている、そのように見えてきます。「食べる」ということは、ひとが一生繰り返す営みです。日々食べて私たちは生きています。一度食べて終わり、ではありません。聖餐は、繰り返されなければなりません。だから、カトリックは毎回「聖体拝領」を欠かさないわけです。
プロテスタントはどうでしょうか。千差万別でしょうが、中には年に3回というところもあります。毎月一度というのが多数でしょうか。いえ、全く分かりません。特にコロナ禍で、迂闊に食べ物を渡せないということが3年間続きましたので、さらにどうなっているのか、不明です。中には、言葉だけで聖餐の実体の伴わないプログラムを行っていたところもあるようですが、月に一度形だけするというのであれば、いっそのこと毎週したらどうでしょう。信仰的には、毎週が聖餐という気持ちで取り組むところがあっていいような気がしますが、実際私が知らないだけで、そういうプロテスタント教会もあるのかもしれません。
地上生涯の最後の晩餐として、このように行え、ということで、聖餐の仕方が伝わっています。パンはイエスの肉、杯のぶどう酒はイエスの流す血を象徴しているというようにしか理解できないでしょう。
24:感謝の祈りを献げてそれを裂き、言われました。「これは、あなたがたのための私の体である。私の記念としてこのように行いなさい。」
25:食事の後、杯も同じようにして言われました。「この杯は、私の血による新しい契約である。飲む度に、私の記念としてこれを行いなさい。」
コリント書第一でパウロが記していた言葉は、最初にお読みしました。イエスの「記念」だというところに着目しました。これも洗礼と同じように、死を意味するものだ、という理解が通例だと思います。けれども今日、私はここに、命を見出しました。牽強付会と言われても仕方がないのですが、レビ記17章と重ねて、これを見たからです。
11:肉なるものの命、それは血にある。私はあなたがたの命の贖いをするために、祭壇でそれをあなたがたに与えた。血が命に代わって贖うのである。
14:すべての肉なるものの命はその血であり、それが命の代わりとなる。それで、私はイスラエルの人々に言った。『いかなる肉なるものの血も、決して食べてはならない。すべての肉なるものの命はその血だからである。それを食べる者は絶たれる。』
血を食べる者は絶たれるとは言いましたが、血としてぶどう酒を飲むことは、それには該当しないと思われます。本物の血ではないからです。そこで、むしろそれは命だ、という強調に、むしろ目を向けたいのです。そこで、このヨハネ伝においても、これが命にまつわるものである、という証言を受け取りたいと思います。
39:私をお遣わしになった方の御心とは、私に与えてくださった人を、私が一人も失うことなく、終わりの日に復活させることである。
40:私の父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、私がその人を終わりの日に復活させることだからである。
聖餐の中に、永遠の命と復活につながるものを覚えます。私たちは、死の洗礼と、復活の聖餐とで、神によって永遠の命への道が備えられていることを知るのです。
◆祈念したい
さらに今日私は、共に食することのうちにも、「命」を感じることを省みる提案をしました。キリストの弟子たる者は、孤独にはならないということでした。もしも、生身の人間と共に食することがなかったとしても、がっかりする必要はありません。イエス自らが、共に食事をしてくださると信じればよいのです。
しかし、もしも見えない形であったとしても、キリスト者は、キリストの許にあるわけで、キリストとつながっている限り、互いにつながっているということにもなります。そのつながりによって、私たち一人ひとりは枝から栄養を供給される如くに、生きる力を与えられます。主によって、一人ひとりが生かされています。もし信仰にある人間の交わりがそこにあるなら、互いに主からの言葉を語り合うことができるし、主からの言葉を語り合うことによって、他のひとを生かすこともできるようになります。
キリストの名において、キリスト者は仲間なのです。その仲間に迎え入れるためには、洗礼という儀式が必要でした。それは形だけのものではありません。かつての自分に死ぬという儀式です。自分が自分の罪により死ななければならないということを、心の底まで感じること、そして悔い改めること、そこにイエス・キリストの十字架が迫ってきて、その罪の赦しを与えられること。そうして「救い」を欺瞞なく全身全霊で確信するということを経験した者は、共通の場に置かれたことを知ります。仲間となります。仲間であることが、救いの確信と共に継続していることを互いに確認するために、聖餐を必要とするのです。
この仲間は、皆受けています。主イエスの血による救いを受けています。洗礼は、もはや単なる水によるものだけではありません。それだけで救いとなるわけではないのです。聖餐の血と肉も、救いに関わってきます。そのとき、聖餐は、命を受けるものとなり、主の日毎に、キリスト者の命を支え、育んでゆきます。
このイエスの与えた救いを、キリスト者は、片時も忘れず身にまとってゆくのです。
私たちキリストにある者は、罪に死に、神の命に生かされてゆきます。これはもう、ただの「記念」ではなく、祈りの伴う「祈念」であるはずです。いつもキリストを覚え、神に与えられた命を知り、それを経てこそ、自分が神から呼ばれたままに、何かを始めて、あるいは続けてゆくことになるのです。