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『阪神・淡路大震災から私たちは何を学んだか』(阪本真由美・慶應義塾大学出版会)

阪神淡路大震災から30年を経るときに出版された。被災者の悲しみや苦労は、当時には同情や寄り添う気持ちを大いに受けたが、次第に薄れてゆく。他の地域でも震災と呼ばれるものや、豪雨などによる災害も相次ぐ。だが震災の地獄絵は、人の心にずっと残る。被害こそなかったが、私もあの揺れを京都で体験し、体はいまなお覚えている。
 
本書はその地震の被災者の姿を辿るというようなものではない。地震のメカニズムを説こうとしているわけでもない。「私たちは何を学んだか」という問いかけは、続く副題において、「被災者支援の30年と未来の防災」という姿勢へとつながってゆく。
 
これは「防災」と呼ばれる分野への、冷静な眼差しによる研究の本である。恐らく敢えて、と言うべきであろう。感情的なものを排除して、とにかく行政なり団体なりが、被災者に対してどのように動くべきなのか、あるいはまたどのように備えておくべきなのか、ということを徹底的に追究しようとしている。このような研究や提言をする人が、確かに必要である。そこに耳を傾け、またそれを尊重する社会でありたいと思う。
 
前提として、あの阪神淡路大震災においては、災害対策は「失敗」だった、というところから始まる。人々の意識からすれば「まさか」という言葉で代表されることになるだろうが、社会として、また行政としては、「まさか」で済まされるものではない。そういう視点である。
 
本書は、1995年の阪神淡路大震災をベースにして、トルコの二度の地震、2004年のインドネシアの地震、それから2011年の東日本大震災を取り上げながら、都市をはじめとした災害対策について、特に公的なレベルでできること、しなければならないことを検証し、将来に備えるための提言をしようとしている。もちろん、記憶に新しい能登半島地震にも、必要に応じて触れている。
 
それらの一つひとつをここに列挙するわけにはゆかないが、公的なものを考えるにあたり、この本が今後活かされてゆくことを願いつつ、簡単にご紹介できたらと思っている。
 
防災計画の「想定」はどうだったか。災害が発生して、地方自治体はどう動いたか。救助に動いたのは誰だったか。避難所の運営はどうだったか。生活再建への歩みは流れたのか。復興政策はどう営まれたか。人材の育成は進められていたのか。支援が活かされるためにはどうすればよいか。阪神淡路大震災から、こうした視点で見直しがなされている。
 
続いて、1999年のトルコのマルマラ地震と、2023年のカフラマンマラシュ地震において、国がどう動いたのかを検証し、日本が見倣うべき点を挙げる。
 
2004年の地震はインドネシアのみならず、広くインド洋を襲ったが、起きてしまった災害については、そこから教訓を得る形で、活かすという方向で捉えるべきであろう。クラスター制度が特にここで挙げられ、国際連携の重要さが検討される。
 
それから、東日本大震災である。ここには、地震の規模の爆裂さもさることながら、津波対策という大きな課題が与えられることになる。避難の迅速さが生命を救うという事態である。瞬時にして圧死を迎えた阪神淡路大震災と異なる点である。また、阪神での教訓は、確かに活かされた面があったとしながらも、あまりに広範囲な被害の中で、地域毎に立ち上がっていかなければならない現実が待ち受けていた。
 
最終章は、能登半島地震を振り返る。物資は比較的迅速に提供され、ボランティア団体の動きも早かったという。ただ、自治体間の動きや協力に少し手間取った点は課題であるようである。専門性からしても、地域だけでの対応では不十分であり、地方自治体による対応での限界が明るみにされた、というような分析である。
 
視点は今後の「防災」へと向けられる。私たちは、これまで、あるいはいま苦しんでいる人々の助けにも走らなければならないが、今後どうするか、を考えることも必要である。著者は「減災復興政策研究」を専門としている。その立場からできることを、精一杯してくれている。正にその分野を専門として、他ではできない研究と提言を、これからも続けて戴きたい。
 
巻末に「附録」として、「災害支援のためのガイド」がいい。通常一般にあまり知られていない角度からの情報もここに並んでいる。行政職員向けの資料も紹介されるし、この分野で学びたいという人への案内もある。実際に支援をどうしたらよいか、という道も紹介されており、簡単な叙述でありながら、様々な可能性を見せてもらえる。
 
若干悲惨な被害の写真があるので、被災者の目には厳しいところがあるかもしれないが、適切な図表が随所に置かれ、一冊の資料としても有効な役割を果たすことができるだろう。「防災」という事項は、災害そのものを防ぐことはできないにしても、やむを得ない事態以上の災いを防ごうとする、人間の悲願を示しているのかもしれない。生活レベルでの意識も重要だが、社会が、被災者の生活を守るように動くために、また動けるために、本書が役立つことを願っている。

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