『箱舟に8時集合!』
(ウルリヒ・フーブ作・イョルク・ミューレ絵・木本栄訳・岩波書店)
図書館で選んだのは偶然ではある。だが、大当たりだった。岩波が児童書についてはよい仕事をしていることは知っていたが、これは見事な作品である。
2007年にドイツで出版されている。ドイツでも大人気で、世界でも何十カ国と広く読まれているそうだ。
そもそもタイトルが、あの伝説の番組「8時だョ!全員集合」をもじっているようで、知っている者からすれば気恥ずかしいような気がしないでもないのだが、実は原題にもほぼそのように書いてある。「集合」こそないけれども。
仲が良いのか悪いのか、よく分からないようなペンギン3羽がいた。ひとりが、ちょっとだけ小さい。実はこれも伏線である。3羽は、互いに魚臭いとお互い様のけんかばかりしていたのであった。一匹のチョウがそこに現れる。チビペンギンがそれをつぶしてやる、と言うと、別の奴が「汝、殺すなかれ」と言う。神さまがそう言うのだ、と。
こうして、作品の舞台背景ができてくる。作者は舞台俳優から脚本や監督をするようになった人だという。その感覚がよく出ている。舞台では、ストーリーに関係する要素を、小出しにしてちゃんと提示しておくのである。それから、これは聖書に基づいた話である。よく味わっていくと、神についての話し合いもあれば、聖書のスピリットを実によく描いていると言える。問おうと思えば、実に深い神学的な問題も潜んでいると見なすこともできる。つまり、おとなも思わず唸ってしまうということである。
そのチョウを、意図せずしてつぶしてしまったチビペンギン。天国に入れなくなるという不安を懐く一方で、神さまはそんなこともう忘れているに違いない、と抵抗したり、神さまなんていないから、などとふてくされる。3羽のけんかは続く。チビペンギンは絶交だと言ってどこかに消える。残された2羽は、神さまを見たこともないし、チビペンギンの言うことも一理あるなどと話していた。
そこへ白いハトが現れる。口の利き方の乱暴なハトであるが、このハトは神の使いとして、忙しく働く者であった。神さまが、人間や動物が争ってばかりなので堪忍袋の緒が切れたらしく、大洪水を起こすのだ、と2羽に知らせる。2羽は、生き残る生き物の中に選ばれたのであった。ノアの箱舟には、2羽分のスペースがあるとハトは告げ、2羽にチケットを渡す。そして、8時に集合だ、と言い残して去って行く。
さて、ここまでが全体の5分の1ほどの流れである。ここから2羽がどうするか、それは直接本書を開いてお楽しみ戴きたい。もちろんこの後にノアの箱舟の聖書の話が生かされている。さらに、先にも触れたように、随所に聖書の知識が関わるばかりか、考えようと思えばけっこう深い問題が隠れていることにもなる。
しかし、場面は舞台にすれば本当に生き生きと、厭きさせないものとして展開するし、対話がどんなに弾むものか、それは一読しただけでお分かりになるだろうと思う。なにより、その会話が面白いのなんの、それは訳者の腕前でもあるだろうが、原作が面白くなければもちろん出てこないタイプの面白さである。軽妙で、また実にタイミングよく事件が起こるし、それぞれのキャラクターが、それぞれに必要な役回りを演じていて、私は電車の中で思わず声が出たほどである。確かにこれは、舞台である、と思った。
そして伏線が後々に効いてくる。最初のうちには私の心のうちに疑念があったのだが、いつしかそれを忘れてしまうほどに物語にとりこまれていった挙句、結局その疑念がオチに関わってきて、してやられた、と額を叩く始末。
こんなふうに言ったところで、何を言っているか、伝わらないであろうと思われる。しかし、お読みになれば、きっとよく分かって戴けるだろうと思う。もちろん、聖書をご存じでなくても、この物語は楽しめるだろうと思うけれども、ご存じであれば、なおいっそう笑ったり、腕組みをしたりするのではないだろうか。
とぼけたペンギンたちの絵は、まだ無名だった人を一躍有名にすることとなった。物語にぴったりと合った、絶妙な絵となっていると言って間違いない。
この物語は舞台を頭に思い浮かべさせる、と言ったが、最後にもう少しだけ付け加えると、舞台背景が変わるという点は異なるが、吉本新喜劇の展開とノリを、私に感じさせてくれた。起こったトラブルと、そのヒヤヒヤ感、また最後のとんでもない展開に、ほっとさせる人情話、いやはや、これが面白くないわけがない。
クリスチャンが、こういう物語で聖書を楽しみ、また、聖書を知らせることが、もしかしたらいま必要なのかもしれない、とも思わされたのであるが、これは蛇足だっただろうか。