「あまりに旅に時間を費やす者は、最後には己の国でよそものとなる」
地元を離れて20年くらい経っているので、だいぶよそものになってる。
親元を離れてからも20年くらい経っているので、実家に帰ると、なつかしさや安らぎも感じるけど、違和感もかなり大きくなっている。
留学や移住で海外に行った人は、母国に帰ると逆カルチャーショックを受けるというけど、元いた場所から離れるとそういう感覚になるものらしい。
私はどちらかというと「よそもの」の立場を楽に感じる。
組織に属したくない。
コミュニティに縛られたくない。
親の転勤で引っ越すことが多かったから、「地元どこ?」と訊かれても、ざっくりとしか答えられない。
これは私の性格の問題もあるけど、「地元の友達」というのもいない。
「幼馴染」という存在への憧れがある。
地元がないからといって、不満に思ってるわけではない。
大学院に進学したので、社会人になってからも同期は基本的には年下が多く、「気を遣わせたら悪い」という大義名分で同期とも距離を置いていた。
その後、転職すると、さらに同期たちの年齢差は広がり、浮いた存在になっていった。
でも、私はそれが楽だった。
「一匹狼」という立ち位置が楽だった。
個別の人付き合いは嫌いじゃないけど、特定のコミュニティの中に組み込まれて振る舞わないといけないのは苦手だ。
責任や面倒なことから逃げてるだけなのは、自覚がある。
そろそろ地に足のついた生き方をしないといけないとも思っている。
こういうことを考えていると、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』という考え方が頭に浮かぶ。
著書を読んだわけではなく、倫理の資料集で読んだ程度の知識しかないけど、すごく納得できたんだよね。
私は「自由」が好きなのかもしれないな、と。
「自由からの逃走」は、ユダヤ人を迫害していたドイツ人に対するフロムの分析なので、自分とは状況はまったく違う。
ただ、「自由を与えられても人はグループに属することで安心を得る。自由ということから逃げたがる。」という分析が腑に落ちた。
独りは時として苦しい。
どこかに属していた方が楽だ。
自分で判断しなくていいし、みんなに合わせておけばいい。
その気持ちも分かるけど、私はやっぱり自由がいい。
ただ、人間は社会的な動物なので、私は自由になりすぎず、責任や成長から逃げないようにしないといけないなと思ってはいる。
こんな流れで書くとは予想していなかったけど、「自由からの逃走」はいつか書きたいなと思っていた。
最近、ずっと読みたいと思っていたエーリッヒ・フロムの『愛するということ』という本を買ったものの、まだ1ページも読めていない。
読める時に読み進めたいな。
◇ ◇ ◇
さて、こんなことを書くのはおこがましい感じもしますが、ちょっとだけ…
今回が連続投稿としては200記事目になります。
ちゃんと読んでくださってる方々がいて、時にコメントまでくださって、「こんな自己満足な記事でいいなら、もっとお届けしたい」なんて思いながら、毎日投稿しています。
ただ、最近ちょっと忙しくなってきたのもあって、ペースダウンすることを考えています。
文字数を減らすのか、時々「つぶやき」程度のものにするのか、投稿する日を減らすのか、まだ決められていませんが、そんなことを考えています。
それだけお伝えしたくて。
有名人じゃあるまいし、こんな宣言、どうかとも思ったんですが…
皆さんの記事ももっと読みたいし、コメントももっと早く返したいんです。
ちょっと時間の使い方を工夫してみます。
いつも読んでくださっている皆さん、本当にありがとうございます!
自分で決めたことなのに、なんだか朝から切なくなっております。
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