「自分で考えろ」を絶対に言わない
仕事で何か質問や相談をされた時、「自分で考えろ」と答えて一蹴する人は一定数いる。私も言われたことがあるが、私はこの言葉に長い間相当に苦しめられてきた。だから私は絶対にこの言葉を口に出さないと決めている。
私は幼い頃から相談が苦手だ。前にも記事にしたことがあったと思う。共働きの両親のもとに生まれた末っ子で、常に親や兄弟の顔色を伺いながら生きてきたのが大きいと思っている。相談をしなくて、病気がかなり進行した状態で見つかったこともある。それ以降、何かあったらすぐに言ってほしいと強く言われるようになった。
そんな私が社会人になって、会社という船に乗り、社会という大海に出た。海のことはおろか、船のことさえも分からないことばかりだった。分からないことばかりで、何が分からないのかも分からず、毎日混乱していた。でも仕事を続けるには、周りの大人たちに質問や相談をしなければならなかった。質問も相談も苦手だけれど、そんなことは言っていられなかった。仕事への意欲を見せるためにも、積極的に質問も相談もするように心掛けていた。
けれど、返された言葉はいつも「自分で考えろ」という一言だった。自分で考えるにしても、考え方そのものが分からない私は、何もかも失敗ばかりだった。失敗しては怒られ、なんで確認しないんだと事あるごとに指摘された。
ここには誰も私に教えてくれる人はいない、頼れる人はいない、そう感じるようになった。元々苦手と感じていた相談も質問もより一層できなくなり、エネルギーを外に出すまいと自分を抑えるようになった。そして、何があってもそれを外に出してはいけない、抑えなければいけない、そんなプレッシャーに押しつぶされて、脳は常に混乱状態で、結局は「自分で考える」力も失っていった。もう仕事に行くだけで精一杯だった。考える余裕なんてなかった。私はどこでなにを間違えたのだろうか。もちろんそんなことは誰も教えてくれない。自分で考えなければならないからだ。
今となっては、事あるごとに「自分で考えろ」と言う人に対しては、暗に「自分は頼るに値しない人間だ」とアピールしているんだな、と解釈できるようになった。また、いちいちそんなことを言っていたら効率が悪くて仕方がないので、さっさと教えて、さっさと仕事を進めるのが組織人として当然だと思う。
何より、自分はこれまで自分で考えてここまでやってきた、という思い込みは捨てた方がいい。自分がどれだけ周りの人に支えられ、助けられてきたのか自覚する必要がある。分からないなら、そのことに気付いていないだけだ。仕事ができる人は、圧倒的に周りを巻き込みながら成長している。
自分の力で考える必要があるのは、もっと別のことにある。それを自分で考えなければいけない。
おわり
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