常に不登校予備軍だった話 #4
学校に行きたくない病が発症してから、初めて私は本当に学校を休んだ。
朝起きて少し具合が悪いと感じたんだ。体調不良を訴えたら休めた。
休んでしまえば、そこまで具合も悪くない。休めさえすれば、後は普通に過ごせる。
これに味をしめて私は次の日も同じように具合悪いアピールした。
やはり休めた。
その後、元気に過ごす私に祖母は
「それだったら学校行けるんじゃない?」
と突っ込んだ。
私は無言になった。
次の日、同じ手は通用しなかった。
何だかんだと説得され、3年生の兄に
「一緒に行こう」
と促されイヤイヤ学校に向かう足取りは重かった。
そんな風に度々、仮病を使うようになった私。
ある日、毎度お馴染み憂鬱な給食時間。
先生は基本給食を残す事を良しとしない。
頑張って食べていた結果。
「うちのクラスは少しも残飯を出していない。
学校一綺麗に食べる」
給食センターの方にお褒めの言葉をいただいたと悦に入り、私たちにも自慢げに語った。
皆も喜んでいるのだろうか?
私の心は重くなる。
それはつまり
「これからも残さず食べろ」
という圧だ。
毎日、口の中に押し込むように入れる給食は
人間の最低限の味覚さえ奪っているんじゃないかと……
美味しい
という感覚さえ感じなかった。
そんなある日、どうしてもご飯を食べれない事があり、先生に恐る恐る伺いに行った。
「仕方ないね。水道の水を少し入れてきて」
皿にこびりついた米粒を、ふやかす為に水を入れるように指示をする先生。
だけど、少しってどのくらい?
なんて、ボーッと考えながら蛇口をひねる。
このくらいかなぁ?水をとめた瞬間、頭に衝撃を感じ、痛みと驚きで振り返る。
と、同時に
「少しでいいって言ったでしょ?」
私の手から皿を奪い取り水をこぼす。
そして怖い顔して去って行く後ろ姿を見つめ
あっ、間違ってたんだ。と悟った。
だから学校は嫌なんだ。