見出し画像

捨て子と拾い親━━洋の東西

 日本ではかつて、一人の子供に実の両親(生みの親)や養い親以外にも複数の「親」がいました。取り上げ親、乳付親、名付け親、生まれて最初に他人に抱いてもらい、その人を抱き親と呼ぶなどです。
 抱っこされて外出した時に、初めてあった人のことを行き合い親と呼ぶ地域もありました。全く見ず知らずの偶々出会った人でも「親」と呼んだのです。

 拾い親という風習は、昭和の頃まであったようです。大藤ゆき氏の『児やらい 産育の民族』(岩崎美術社)に、その例がたくさん載せられているので、その中から一部ご紹介します。(この本の初版は1945年なので、地名も現在と違うかもしれませんが、そのまま載せます。)

 拾い親の風習は、子育ちの悪い家に子が生まれた(前の子供が死産や夭折した)とか、親が厄年とか、人(家族?)が死んだ年に生まれたといった場合、丈夫に育つようにといったん赤ん坊を捨て、それを拾い親に拾ってもらうというまじないです。おそらく、生みの親のもつ悪運や厄をいったん子供と切り離し、よい運をよびよせるのが目的と思われます。

 拾い親はあらかじめ頼んでおくことが多いようです。また捨てる場所も座敷で行われることもありますが、外に捨てられることもありました。
 熊本県阿蘇地方では、近所の子育ちのいい家の戸口に捨てます。その家にはお礼の酒など持っていくそうです。
 長崎県松浦群樺島では子だくさんの家に拾ってもらいます、拾い親のことをモライ親と呼ぶそうです。
 群馬県勢多郡東村では、三本辻(三叉路)に捨てます。拾い親には子供運のよい人に頼み、拾い親と子供は親戚づきあいをするといいます。
 埼玉県秩父市では、病弱な子は辻に捨て、拾った人から二銭くらいで買い戻す真似をします。

 辻、三辻、四辻、橋の上、橋の下などが捨て場所になったりもします。辻や橋は異界との境であり、危険な場所でもあります。あえてそんな場所に捨てるのは、そのことによってのちの災いを避けるということらしいです。
 また、氏神様の境内とか塞ノ神の前に捨てられる例もあります。子をいったん神様にあげ、その申し子にするという考えからです。

 厄年の親から生まれたとか、虚弱児とか、兄弟が早くに死んでいるなどは、悪い縁を切るという意味でも理解できますが、あまり利巧すぎたり美しすぎたり歩き出すのが早すぎたりしても、捨て子にするというのです。これはどういうことでしょう。

 人並み以上の能力を持った子供は、かえって将来危難を招くのではないかとみられていたのです。
 双子なども、昔は異常なこととされて、捨て子にされたそうです。埼玉県深谷市では双子の拾い親のことを養い親というそうです。


 このような変わった風習は、いったいいつからあるのでしょうか。
 日本で最初の捨て子と言えば、伊弉諾尊、伊弉冉尊が国生みで最初に産んだ蛭子ひるこ尊でしょうか。不具の子だったので、葦舟にのせて流されました。(次に生まれた淡洲あわしまも、子供の数に入れなかったとあります。流されたとは書いていませんが、やはり捨て子にされたのでしょう)

 蛭子に拾い親はいないようです。ただ、のちに海のかなたから依り来る神、恵比寿という福の神に変身します。釣り竿と鯛を抱えて、座っている神様です。

 蛭子については、世界を創造する神、あるいは大洪水の後に生き残った兄妹が夫婦になって産んだ最初の赤子が不具者だったという話の一つのバージョンで、このような神話は世界中にあります。

 蛭子を捨て子、拾い親の習俗の原型と考えていいのかは微妙ですかね?  
 ただ、不具というだけで葦舟にのせて流してしまうのは、何か呪術的な訳がありそうな気もしますが…。


 少し脱線して、漫画の話。

 『どろろ』(手塚治虫原作)の百鬼丸というキャラクターも、魔神の呪いにより蛭子のような不具者として産まれ、川に流されてしまいます。彼には寿海じゅかいという拾い親が現れます。そして、魔神に奪われた体の部分を取り戻すために、魔神を倒す旅に出ます。
 百鬼丸も異能の子ゆえに捨てられたのです。



 歴史の上で拾い親の習俗を見てみると、有名なのは豊臣秀吉と淀殿の子でしょうか。
 第一子は幼名をすて、または棄丸(捨丸)といいました。これも捨て子は丈夫に育つという民間信仰からきていますが、わずか二歳で亡くなってしまいます。(拾い親は、不明です)

 第二子の幼名はひろい、または拾丸といいました。この名も拾われた子は育つといわれていたからです。この時の拾い親は、家臣の松浦重政がつとめました。
 この拾がのちの秀頼です。


 『南紀徳川史』によると、徳川吉宗は親の厄年に産まれたので、誕生すると三叉路に捨てられました。拾い親は刺田比古神社(和歌山県和歌山市片岡町)の宮司でした。刺田比古神社は別名「吉宗公拾い親神社」というそうです。


 日本以外の国に子供の厄除けに捨てる真似をしたり、拾い親がいたりという変わった風習があるでしょうか。どこかにあるかもしれませんが、筆者は勉強不足で今のところ知りません。

 捨てられた子が異能の人だったという話はあります。一番有名な話は『旧約聖書・出エジプト記』のモーセでしょう。
 モーセの生きた時代は紀元前16世紀とも紀元前13世紀ともいわれ、はっきりとしません。

 エジプトのファラオは国内で人口を増やしていたヘブライ人に警戒し、新生児の男児をすべて殺すように命じました。生まれたばかりのモーセは姉のミリアムの手によって、パピルスで編んだ籠に入れられて、ナイル河に流されました。エジプトの王女が河から拾い上げ、モーセ(「川から引き上げられた」の意)と名付けられ、王宮で育てられることになりました。
 その後のことは端折りますが、やがてモーセはヘブライの民を引き連れて、エジプトを脱出し、シナイ山で神の啓示をうけるのでした。

映画『十戒』(1956)
でモーセを演じるチャールトン・ヘストン
wikipediaより
ナイル河から拾い上げられるモーセ
wikipedia より

 ササン朝ペルシャの伝説に、ザールという英雄の話があります。

 ナーリマン家は王家に仕えた武人の名門でした。当主のサームはやっと産まれた息子が、老人のように白髪だったことを恥じて、部下に命じてエルブルズ山脈の麓に捨てさせます。

 山には神の使いの霊鳥スィームルグが棲んでいました。スィームルグはひなの餌にしようと、白髪の赤子を巣に持ち帰りますが、なぜかひなたちは赤子を食べようとしません。
 スィームルグはこの不思議な赤子をやわらかい肉の汁で育てます。

 つまり、霊鳥が拾い親、養い親になったのです。やがて、赤子は美しくたくましい青年に育ちました。

 一方、サームは息子を無慈悲に捨てたことに悩んでいました。夢のお告げで息子が生きていることを知り、神に許しを請い、遂に息子と再会を果たします。

 息子はザールと名付けられ、やがてイランの宿敵カーブール(アラブ人の国)の王女と大恋愛の末に結婚して、両国の懸け橋になるのです。

スィームルグとザール
wikipediaより

 ギリシャ神話では、半神半人の英雄ヘラクレスが野に捨てられ、女神ヘラの乳で育てられます。
 またオイディプス王も神託により山に捨てられ、コリントスの王に育てられます。

 こうしてみると、世界にも捨てられる子供がおとなになって英雄になるという話はあるものの、これが捨て子、拾い親のような風習に結びついてはいませんね。
 
 

 どうも、日本の拾い親の風習は世界から見るとかなり変わっているようですね。いったいいつからあるのでしょうか。室町以前にもあったのでしょうか。謎ですね。


 

いいなと思ったら応援しよう!