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将門を祀る?兜神社(中央区)
東京メトロ東西線の茅場町駅で下車。平成通を日本橋川に向かって少し歩くと東京証券取引所のビルが見えてくる。
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そのまま川の方へ進むと鎧橋がある。
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ここは江戸の昔、鎧の渡しがあったところだ。この鎧の渡しには次のような謂れがあった。
伝説によると、かつてこの付近には大河があり、平安時代の永承年間[1046~53]に源義家が奥州平定の途中、ここで暴風・逆波にあい、その船が沈まんとしたため、鎧一領を海中に投じて龍神に祈りを奉げたところ、無事に渡ることができたため、以来ここを「鎧が淵」と呼んだといわれています。また、平将門が兜と鎧を納めたところとも伝えられています。
この鎧の渡しの傍に鎧稲荷と兜塚というものがあったという。これがのちに兜神社になる。この鎧稲荷は平将門を祀っていたという。
兜塚には複数の伝説がある。
一つは前九年の役で、源義家が奥州平定に向かう際に岩に兜をかけて戦勝祈願をして、それからその岩を兜岩と呼ぶようになった。
あるいは後三年の役のとき、義家が奥州から凱旋帰還するときに、記念として兜を埋めて塚とした。
また、平将門を討った藤原秀郷が首を京へ運ぶ途中、罪滅ぼしに将門の兜を埋めて供養した。この塚は昔「甲山」と呼ばれていた。
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国立国会図書館デジタルアーカイブ
八幡太郎源義家は鎧を水に投げ込んだり兜をかけたり埋めたり、ここに来るたびになにがしか足跡を残している。というか、義家さんいくつ鎧を持っているんだ!
そんなことよりも、平将門である。鎧橋の説明では将門が兜と鎧を納めたと説明されていたが、どうやら本人がここに来たわけではなく、藤原秀郷が兜を埋めたという話だ。すると将門を祀っていたという鎧稲荷も秀郷が建立したのだろうか。
鎧稲荷と兜塚は魚河岸に出入りする漁師に信仰されたという。
東京証券取引所の横の道を行くと、右手に日証館の白いビルが見えてくる。ここは元々渋沢栄一の邸宅があった場所で、後に渋沢のオフィスがあったところという。その建物は関東大震災で無くなってしまったが、昭和三年[1928]に東京株式取引所によって、跡地に建てられたのが日証館(最初の名称は東株ビルヂング)である。
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戦後、取引所が進駐軍に接収されたときは、ここが取引所の代わりになった時期もあったそうだ。現在でも複数の証券会社が入居するオフィスビルである。
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その日証館のわき、首都高速道路の高架に挟まれた場所に兜神社がある。とてもこじんまりとした社だ。
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明治四年[1871]鎧稲荷と兜塚を合祀し、源義家を祭神として兜神社が創建された。鎧稲荷の祭神は将門ではなく倉稲魂命(稲荷神)である。
明治七年[1874]祭神は源義家に替わり、向島の三囲稲荷神社の摂社福神社の祭神、大国主命と事代主命が勧請され合祀された。これは当時、兜町一丁目の地主が三井家であったためで、三井家の守護社の三囲稲荷神社から神様をお迎えしたということらしい。
明治十一年[1878]に東京株式取引所(東京証券取引所の前身)が設立され、兜神社の氏子総代となった。
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兜神社は幾度か建て替えられ、その度に位置を変えたが、首都高速の建設に伴い、今の場所に社殿が建てられたのは昭和四十六年[1971]のことという。
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手前の石ではなく、後ろの大きい岩
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兜というより烏帽子のような形をしている
義家も将門も明治になって祭神ではなくなったが、今でもゆかりの神社であることはよく知られている。というより、この神社がお稲荷さんだといっても、知らない人も多いのではないか。
東証が氏子総代ということもあり、商売の神様として周辺の証券会社の信仰も集めているという。
因みに、ここに社務所などはなく、御朱印は日本橋日枝神社で授与。御守などは東京証券取引所(西口)で授与されている。(東京証券取引所は土日祝日と年末年始は休みなので、ご注意されたい)