ドラキュラ ノート(4)
犠牲者、あるいは保護される者(前)
ロセッティと死せるリジーのためのパヴァーヌ
『ドラキュラ』が書かれた当時、ストーカー一家はロンドン、チェルシーの高級住宅街の白い瀟洒な家、セント・レナーズ・テラスに住んでいた。
彼らの隣人や客にはジェイムス・マクニール・ホイッスラー*1、ジョン・シンガー・サージェント*2、ウィリアム・S・ギルバート*3、マーク・トゥエイン*4、アルフレッド・テニスン卿*5などなど、そうそうたる著名人がいた。
*1 アメリカ出身の耽美主義の代表的な画家。版画家。
*2 アメリカ出身の画家。肖像画家。
*3 イギリスの劇作家。詩人。イラストレーター。
*4 アメリカ出身の作家。『トム・ソーヤーの冒険』など。
*5 イギリスの詩人。
そして、隣人にダンテ・ゲイブリエル・ロセッティがいた。ロンドン生まれのラファエル前派の画家であり、詩人としても有名だった。
ロセッティの妻リジー(エリザベス)・シダルは、帽子屋の売り子をしていたところをウォルター・デヴェレルという画家に見いだされ、モデルになった。やがてラファエル前派の画家たちも彼女をモデルに絵を描くようになる。
例えば有名なところでは、ジョン・エヴァレット・ミレイの『オフィーリア』である。
ロセッティも早くから彼女をモデルにしたが、間もなく二人は交際を始める。ロセッティはリジーにほかの画家のモデルをしないように約束させる。
彼女を独占したかったのか。当時は絵画のモデルは売春婦と同然とみられていたので、リジーもロセッティの妻になれると期待して従った。
ところが、ロセッティは彼女となかなか結婚しないどころか、ほかのモデルの女性や、ラファエル前派の仲間の愛人と付き合うなど彼女の心を傷つけるのだった。
特にジェーン・バーデンには未練があったようだ。ジェーンもラファエル前派の画家たちのモデルをしていて、ロセッティも作品を残している。
交際を始めて十年がたってもロセッティはリジーと結婚しようとしなかった。やがてリジーは健康を害して、アヘンチンキを常用するようになる。その副作用でうつ病になり、ますます病状は悪化した。
ロセッティとリジーが結婚したのは、1860年5月23日。ロセッティの誕生日だった。
前の年にジェーン・バーデンがウィリアム・モリス*6と結婚して、ロセッティもようやく未練を断ち切ることにしたようだ。(実際はその後も未練たらたらだったらしいが)
*6 詩人、作家。特にテキスタイルデザイナーとして有名。
この時すでにリジーの健康状態は良くなかった。翌年の5月、待望の赤ん坊は死産だった。1862年2月、絶望と悲しみからアヘンチンキを過剰摂取しリジーは32歳の短い生涯を終えた。自殺とみられるが、当時は自殺者は教会に埋葬することを拒否されるため、事故死ということにした。
ロセッティは妻に対する想いを詩に綴り、彼女の棺にその詩を入れて埋葬した。
彼女の死後、ロセッティーはブラックフライヤーズ橋のそばの家から、チェルシーのストーカーの邸宅の隣に引っ越したのだった。
リジーの死から七年後、ロセッティは自分の詩の全集を編むことになり、彼女の墓に入れた詩を取り戻したくなった。そしてなんとそれを実行する。
1869年10月、ハイゲートの墓地に眠るエリザベス・シダルはその眠りを妨げられた。死んだ後までこの仕打ち。
さすがにロセッティは自身で妻の墓を開けることはできず、友人のチャールズ・オーガスタ・ハウウェルに頼んだ。
棺のふたが開けられると、彼女の遺体は全く腐乱していなかったという。しかし、棺の外の空気に触れた途端、みるみるその美しい姿は無残に腐敗した。
ロセッティの友人であり隣人だったストーカーは、このエピソードを聞き、『ドラキュラ』のなかで、ルーシー・ウェステンラの墓を暴いて婚約者のアーサー・ホルムウッドがその胸に杭を打ち込むシーンに取り入れたのではといわれている。
東欧の民間伝承によれば、自殺者は吸血鬼になる可能性があった。
ところで、アヘンチンキは当時鎮静剤として使われていたが、ルーシーの母親も主治医から処方されていた。ドラキュラはルーシーを襲うために、邪魔な使用人たちをアヘンチンキで眠らせるのだった。
作中でアヘンチンキを出したのは、やはりリジー・シダルの死が念頭にあったからなのだろうか。
また、ロセッティの友人(恋敵)で、ジェーン・バーデンと結婚したウィリアム・モリス。モリスとは、ルーシーに求婚する三人の男性(他はアーサーと、ドクター・シュワード)のうちの一人と同じ苗字だ。偶然ではないだろう。
ロセッティの母親がフランチェスカ・ポリドリというのは、なんというめぐりあわせか。そう、バイロンのプロットをもとに『吸血鬼』という小説を書いたジョン・ポリドリはロセッティの叔父だったのだ。
こうしてダンテ・ゲイブリエル・ロセッティはその出自からして、『ドラキュラ』誕生に手を貸す運命にあった・・・のかもしれない。
Fact is stranger than fiction.
事実は小説よりも奇なり(バイロン『ドン・ジュアン』)