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ちっちゃな頃からワーカーホリックで-酒ドラッグセックス以外の依存症-
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トピック
◇ちっちゃな頃からワーカホリックで
◇酒ドラッグセックス以外の依存症
◇克服の難しさ
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◇ちっちゃな頃からワーカホリックで
15で不良と呼ばれることはもちろんなく…
私は、昔から学業に熱心に取り組む方だった。
特に中学生〜社会人でうつ病になるまでの間は顕著だ。
中学高校では部活をやる学生のように、放課後や休日も学業にのめり込んだ。
大学では、生活費や学業に必要なお金をバイトで稼ぎつつ、それ以外の時間は専攻の課題や趣味の勉強に費やしていた。
本来、学年が上がるとほぼ大学に行かなくて良くなるらしいが、私は週5-7日で大学にいたと思う。
(専攻が芸術であり、4年間週4日は必修であったことも要因ではある)
社会人になっても、目標設定された資格取得の勉強に退勤後や休日を使って取り組んでいた。
勉強など「なすべき事」とされているものに熱心でいる限り、世間や親はとやかく言わない。
親は別段褒めるでも誇るでもなかったが、進学や成績で問題を起こさなければ私を放っておいてくれた。
教師や上司からも「よくできた子」「熱心な学生」扱いされた。
私も周りも、それを問題だと感じていなかった。
反面、人と遊んだ記憶はあまりない。
友人と出かけることも時たまであり、年数回である。
そもそも、他人とつるむ習慣もなかった。
人とつるんでいないので、誘うことはあれど誘われることはない。
より良い成果を出すことある、よりできるようになること以外、私の目には入っていなかったのだ。
休みなくずーっと活動し続けることが、私の普通で当たり前であった。
◇酒ドラッグセックス以外の依存症
アダルトチルドレンが依存的になる、というのはよくあることだそうだ。
代表格は酒・ドラッグ・セックス(恋愛)であろう。
アダルトチルドレンは恋愛がうまくできない、もよく聞く話だ。
私はこれらへの依存はない。
では、私は依存症のない比較的健康なアダルトチルドレンなのだろうか?
そんなことはなく、長らく私は「なすべきタスク」に依存してきた。
学業や仕事に熱心になり成果を出す事、それらは社会的に肯定されている。
否定ばかり繰り出す親も、社会的に承認された事柄に黙々と取り組んでいる間は私を放っておいてくれる。
学校や職場では、熱心に取り組み成果を出していれば「熱心な学生」「優秀な人員」として扱われ、お咎めなしだ。
社会的承認のない「自分が楽しいだけ」の事では、いつ誰に否定や攻撃を喰らうか分かったものではない。
文句のない何かに1人で黙々と取り組んでいる時、私は他者からの攻撃から自由で、解放されていられたのだ。
私は現実の自分を守るためにワーカホリックになり、現実世界から逃避した。
こうして、私は立派なワーカホリックとして、依存にも気が付かず、誰からも問題視されず十数年を過ごし、そして最後のトリガーをきっかけに、うつ病になった。
過去に「「頼られると嬉しい」が分からない」という記事を書いた。
この「頼られても嬉しくない」という感覚も、私の依存症になった原因に関係があると感じた。
私は、
頼られるという「評価」のためではなく、
放っておいてもらえるという「無視」のために、
頑張っていたのだ。
頼られる事によって自分を無視してもらえないのではあれば、私にとっては本末転倒だったのではないかと思う。
◇克服の難しさ
うつ病の治療において、医師から度々「自律神経のバランスが大切だ」と言われた。
活動的になる交感神経と、リラックスする副交感神経をうまく切り替え、両方を使っていく必要があるという話だった。
うつの調子が良くなると、私は活動的になる。
用事を済ませたり、勉強や趣味に集中する。
反面、何もせず休んだり、ゆっくりヨガをする時間を取らなくなる。
そのように数週間を過ごし、あとからぶり返してやや不調になる、のパターンをここ1年繰り返している。
私は今まで、ずーっと交感神経をカッカッさせて休みなく活動してきた人生だった。
そして、それが楽しかった。
だから、それがベストで理想だと考えてしまっている。
私は、酒やドラッグや恋愛に依存できなかった。
だから他の手段として、ワーカホリックになった。
でも楽しかった。
できる事が増えること、ものが完成していくこと、知的好奇心が満たされること。
楽しかったし、それができる人間が好きだった。
それが自分だと思っていた。
だから、それは正常ではないと気が付いた今も、ふと気がつくとワーカホリックに戻ってまう。
戻りたいと思ってしまう。
私は、立派な依存症だろう。
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わき目など見なくて済むように
「否定しかできない、肯定がない母」「頑張るのは否定されないため」の話はこの辺りでも触れてます。
自分がかつてそうしたように、自分と似た側面を抱える誰かを探す人に、届けば良いなと思ってnoteを書いてます。
自分もそう感じたことがあった、似た経験をしたけど違う気持ちを覚えたとか、コメントで話してくれると嬉しいです。