
スッタニパータ 第1章『卑賤者』 Vasalasuttaṃ(ヴァサラ・スッタ)第127偈
原文
「Yo katvā pāpakaṃ kammaṃ, mā maṃ jaññāti icchati;
Yo paṭicchannakammanto, taṃ jaññā vasalo iti.」
訳
「悪しき行いをしながらも、
『誰にも知られたくない』と願う者、
隠れて悪事を働く者、
その者を、卑賤者と知るべきである。」
話の背景
この偈では、「真に卑賤者(vasalo)とは誰か」を示すものの一つとして、
「悪事を隠し、己の行いを認めない者」 が挙げられている。
仏陀は、「人知れず悪をなした者が、その行いを隠蔽しようとするならば、
生まれではなく行いによって真の卑賤者となる」と説いている。
これは、誠実さと自らの行動への責任 を強調している。
注釈・補足
「悪しき行いをする(Katvā pāpakaṃ kammaṃ)」
「Katvā(カトゥヴァー)」:「行った」
「Pāpakaṃ(パーパカン)」:「悪しき」
「Kammaṃ(カンマン)」:「行い、業」
これは、「道徳的に間違った行為をすること」を意味する。
仏教では、悪行(十悪業など)は輪廻の中で苦しみを生む原因となるとされる。
「誰にも知られたくないと願う(Mā maṃ jaññāti icchati)」
「Mā maṃ(マー マン)」:「私を~しないでくれ」
「Jaññāti(ジャニャーティ)」:「知られる」
「Icchati(イッチャティ)」:「願う、欲する」
これは、「自分が行った悪事を隠し、
誰にも知られたくないと願う者」を指す。
悪事を認めず、責任を回避する態度が非難されている。
「隠れて悪事を働く(Paṭicchannakammanto)」
「Paṭicchanna(パティッチャンナ)」:「隠された」
「Kammanto(カンマント)」:「行い、業」
これは、「公には見えないように、密かに悪事を働く者」を意味する。
不正を隠している者は、表面的には正しく見えても、
その心には悪が根付いている とされる。
「卑賤者(Vasalo)」
「Vasalo(ヴァサロ)」:「卑しい者、徳のない者」
仏陀は、「生まれによって人は卑賤者になるのではなく、
行いによって卑賤者となる」と説いている。
この偈では、「悪事を隠し、自らの行為に責任を持たない者こそが真の卑賤者である」
ことが強調されている。