
スッタニパータ 第1章『卑賤者』 Vasalasuttaṃ(ヴァサラ・スッタ)第116偈
原文
「Kodhano upanāhī ca, pāpamakkhī ca yo naro;
Vipannadiṭṭhi māyāvī, taṃ jaññā vasalo iti.」
訳
「怒りや恨みに囚われ、
他人の善を嫉み、
邪見を抱き、偽りに満ちた者、
その者こそが、卑賤者である。」
話の背景
この偈は、「卑賤者」とは生まれによるものではなく、
「悪しき行いをする者こそが卑賤者である」 という仏陀の教えを示している。
仏陀は、怒り、嫉妬、邪見、偽りに満ちた者を、
真の「卑賤者(ヴァサラ)」と定義している。
これは、仏教の平等思想を強調する重要な教えの一つである。
注釈・補足(Suttanipāta-aṭṭhakathāより)
「怒りや恨みに囚われ(Kodhano upanāhī)」
「Kodhano(コーダノ)」は「怒りっぽい者」、
「Upanāhī(ウパナーヒー)」は「恨みを持つ者」を意味する。
つまり、些細なことで怒り、長く根に持つ者を指す。
「他人の善を嫉む(Pāpamakkhī)」
「Pāpamakkhī(パーパマッキー)」は、「他人の善行を認めず、それを貶める者」を指す。
人の成功や善行を喜べず、妬みの心を持つ者を意味する。
「邪見を抱く(Vipannadiṭṭhi)」
「Vipannadiṭṭhi(ヴィパンナディッティ)」は、「誤った見解、邪見を持つ者」を意味する。
正しい教えを拒み、偏った考えに固執する者を指す。
「偽りに満ちた者(Māyāvī)」
「Māyāvī(マーヤーヴィー)」は、「偽りの言葉や行動で他人を欺く者」を指す。
自らの過ちを隠し、誤魔化す態度を持つ者を意味する。