龍樹『根本中頌』序論:「因縁の理を説く」サンスクリット語訳
導入
私たちは日常の中で、「物事は原因があって生じる」と考えます。しかし、ナーガールジュナ(龍樹)は、「そもそも『生じる』とは何か?」という根本的な問いを投げかけます。
本章では、仏教の根本原理である 「縁起」 を説き、「すべてのものは互いに依存し合い、独立して存在するものは何ひとつない」ことを示していきます。
現代語訳
生じることもなく、滅することもなく
生じることもなく、滅することもなく、
断たれることもなく、永遠でもない。
一義的でもなく、多義的でもなく、
来ることもなく、去ることもない。
縁起の法とは何か
この 縁起の法 こそ、すべての言葉を超え、
清浄にして究極の真理である。
この教えを説かれた完全なる覚者(仏陀)、
あらゆる言葉の達人たちの中で最も優れた師に、私は礼拝する。
要約:「すべての相対を超えた縁起」
ナーガールジュナは、生滅・永遠・断滅・同一性・相違・移動 など、あらゆる相対的な概念を否定し、これらを超えた真理として「縁起の法」を提示する。この法は 究極的な清浄(涅槃)であり、仏陀が説いた最も深遠な教えである。
注釈・補足
「不生不滅」:すべては因縁による
「生じることもなく、滅することもない」(不生不滅)
すべてのものは因縁によって現れるが、それ自体としては 独立して生じたり滅したりしない。仏教における「空」の概念を示す。「断たれることもなく、永遠でもない」(不断不常)
ものごとは 無常でありながらも、完全に断たれることはない。仏教では、「断見(すべてが消滅する)」と「常見(すべてが永遠に存続する)」の両極端を否定する。
「不一不異」:世界は一つではなく、かといって異なるものでもない
「一義的でもなく、多義的でもない」(不一不異)
物事は単一の固定した実体を持つわけではなく、かといって完全にバラバラでもない。すべての存在は縁によって関係し合い、相互依存している。
「不来不去」:固定的な存在はない
「来ることもなく、去ることもない」(不来不去)
存在は 固定された状態でどこかから来るわけでもなく、どこかへ消えていくわけでもない。因果の流れの中で変化し続ける。
ナーガールジュナ(龍樹)は、「縁起」こそが究極の真理であり、あらゆる言葉の限界を超えたものである と説く。そのため、この序論は仏教哲学の核心である「空」と「縁起」を端的に表現している。
解題:「縁起の理が示すもの」
「縁起」と「空」の本質
この序論は、『根本中論頌』の核心である「空」と「縁起」の理を明示する。
仏教は、「すべてのものが因縁によって生じる」と説くが、その根本には「固定的な実体は存在しない」という考えがある。
ナーガールジュナの教えの要点は、私たちが「ある」と思っているものが、実は縁起によって現れる仮の存在であること を理解し、それに執着しない智慧を持つことにある。
この智慧を深めることで、私たちは「生死・苦楽」の二元性を超え、涅槃(安らぎ)に至ることができる。
締めくくり
次の第1章では、「因縁」について詳しく考察していきます。
物事はどのように生じ、どのように関係し合い、消えていくのか?
縁起の法則を通じて、存在のあり方を検証します。
この「序論・序説」を読んで、皆さんはどのように感じましたか?
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