
スッタニパータ 第1章『卑賤者』 Vasalasuttaṃ(ヴァサラ・スッタ)第124偈
原文
「Yo mātaraṃ pitaraṃ vā, jiṇṇakaṃ gatayobbanaṃ;
Pahu santo na bharati, taṃ jaññā vasalo iti.」
訳
「母や父、
老いて若さを失った者を、
十分に養う力がありながらも、
扶養しない者、
その者を、卑賤者と知るべきである。」
話の背景
この偈では、「真に卑賤者(vasalo)とは誰か」を示すものの一つとして、
「親を養わない者」 が挙げられている。
仏陀は、「たとえ十分な資産や能力を持っていても、
老いた両親を見捨てる者は、
生まれではなく行いによって真の卑賤者となる」と説いている。
これは、家族への責任と孝行の重要性 を強調している。
注釈・補足
「母や父(Mātaraṃ pitaraṃ)」
「Mātaraṃ(マータラン)」:「母」
「Pitaram(ピタラン)」:「父」
これは、両親に対する敬意と責任 を指す。
仏教では、親を敬い扶養することは、子としての重要な義務とされる。
「老いて若さを失った者(Jiṇṇakaṃ gatayobbanaṃ)」
「Jiṇṇakaṃ(ジンナカン)」:「老いた者」
「Gatayobbanaṃ(ガタヨッバナン)」:「若さを失った者」
これは、「高齢になり、働けなくなった両親や年長者」を指す。
老齢の親が苦境にあるにもかかわらず、それを無視する行為は非難される。
「十分に養う力がありながらも(Pahu santo)」
「Pahu(パフ)」:「能力がある、余裕がある」
「Santo(サント)」:「存在している、備わっている」
これは、「経済的・身体的に扶養できる状況にあるにもかかわらず、
親を助けない者」を指す。
ここでは、単なる貧困ではなく、「援助できるのにしない者」が批判されている。
「扶養しない(Na bharati)」
「Na(ナ)」:「~しない」
「Bharati(バラティ)」:「扶養する、養う」
これは、「生活の面倒を見ない、支援を怠る」行為を指す。
仏教では、両親を養い、支えることは五戒や孝行の教えに深く関わる。
「卑賤者(Vasalo)」
「Vasalo(ヴァサロ)」:「卑しい者、徳のない者」
仏陀は、「生まれによって人は卑賤者になるのではなく、
行いによって卑賤者となる」と説いている。
この偈では、「親を見捨てる者こそが真の卑賤者である」
ことが強調されている。