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龍樹『根本中頌』第9章:「時間の検証(Kāla-parīkṣā カーラ・パリークシャー)」(サンスクリット語訳)
導入
時間(kāla カーラ)とは何でしょうか?
私たちは過去・現在・未来という流れの中で生きていますが、時間そのものは本当に実体を持つものなのでしょうか?
もし時間が固定されたものであるならば、それはどの瞬間にも変わらず存在していなければなりません。
しかし、時間とは絶えず移り変わり、過去は去り、未来はまだ来ていません。
本章では、時間がどのように認識され、その本質がどのように揺曳(ようえい/ゆるやかに動き、漂いながら存在すること) しているのかを検討します。
現代語訳
1. 時間は実体として存在するのか?
時間(過去・現在・未来)は、本当に独立して存在するのか?
もし時間が実体であるならば、
それは 常に不変 であり、
過去・現在・未来の区別は生じないはずである。
しかし、時間は 変化を伴うもの として認識される。
ならば、時間とは何によって成り立つのか?
2. 過去・現在・未来の関係性
もし 過去が存在するならば、それは現在にも影響を与え続ける ことになる。
しかし、過去はすでに過ぎ去ったものであり、現在には存在しない。
もし 未来がすでに存在するならば、それは今起こっている ことになる。
しかし、未来はまだ到来しておらず、現実のものとは言えない。
3. 現在という概念の不確かさ
もし現在が 固定されたもの であるならば、
それは 過去にも未来にも変化しないはず である。しかし、現在は常に変化し続けており、
それ自体が独立して存在するものとは言えない。ならば、「現在」とは 時間の流れの中における仮の状態 にすぎないのではないか?
4. 時間の独立性の否定
もし時間が 独立したもの であるならば、
それは 何ものにも依存せずに存在する はずである。
しかし、時間は 変化によって認識されるもの であり、
事物の変化がなければ、時間という概念も成り立たない。
ならば、時間もまた 縁起によって成立するものであり、実体ではない ということになる。
要約:「時間は実体として存在しない」
時間は 縁起によって成立するものであり、固定された実体ではない。
過去・現在・未来は、それ自体として存在するのではなく、互いの関係の中で認識されるもの である。
時間は変化とともに認識されるが、変化がなければ時間も存在し得ない。
ならば、時間もまた 「空(śūnyatā シューニャター)」 である。
注釈・補足
時間とは何か?
仏教では、「時間(kāla カーラ)」は、
過去・現在・未来という流れの中で認識されるもの とされる。
しかし、ナーガールジュナは、「時間は実体として存在するのか?」という疑問を投げかける。
もし時間が本当に存在するならば、変化することなく永遠に固定されるはずである。
しかし、時間は常に変化し、過去・現在・未来が移り変わるものとして認識される。
ならば、時間とは独立した実体ではなく、縁起によって成り立つものである。
時間の三区分の問題点
時間は 過去・現在・未来 に区分されるが、
それぞれの概念をよく考えてみると、矛盾が生じる。
過去が実体として存在するならば、それは現在に影響を与え続けるはずであるが、過去は消え去っている。
未来が実体として存在するならば、それはすでに現実のものとなっていなければならないが、未来は未だ訪れていない。
現在が実体として存在するならば、それは不変のものとしてあるはずだが、現在は瞬間ごとに変化している。
このように、時間の三つの区分はいずれも固定されたものではなく、
時間という概念そのものが、縁起による仮の存在であることがわかる。
時間と変化の関係
時間は 「変化があることで認識されるもの」 であり、
変化がなければ時間を認識することはできない。もし 何も変化しなければ、時間という概念も意味をなさない。
ならば、時間そのものが 独立した存在ではなく、因縁によって成立しているもの であると考えられる。
締めくくり
次の第10章では、「存在(サット)」について論じます。
何かが「ある」ということは、本当に確固たる事実なのでしょうか?
存在の実体について検証していきます。
💡 最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。
時間の概念について、皆さまはどのようにお考えでしょうか?
また、本記事の内容でわかりにくい点や疑問がございましたら、
どうぞお気軽にコメントにてお尋ねください。可能な限り詳しく解説させていただきます。