龍樹『根本中頌』第5章:「界(ダートゥ)の検証(Dhātu-parīkṣā ダートゥ・パリークシャー)」(サンスクリット語訳)
導入
仏教では、「界(dhātu ダートゥ)」は、存在の基本要素として説かれます。
地・水・火・風・空・識という六つの界が、私たちの世界を構成していると考えられています。
しかし、これらの要素は本当に固定された実体を持つのでしょうか?
本章では、界(ダートゥ)が単独で存在するのか、それとも相互依存して成り立つのかを検証します。
物質の根本的な性質が、揺曳(ようえい/ゆるやかに動き、漂いながら存在すること) するものであることを明らかにします。
現代語訳
1. 界(ダートゥ)は本当に存在するのか?
空間(虚空)や物質的な要素(地・水・火・風)は、
独立して存在しているのか?
もし、それらが本当に固定された存在ならば、
他のものに影響を受けることなく、
永遠に変わらないはずである。
しかし、それらが常に変化しているのならば、
それ自体に実体はないのではないか?
2. 空間(虚空)の本質とは?
もし空間(虚空)が固定された実体であるならば、
それは過去・現在・未来にわたって不変であるはずだ。
しかし、物体が存在することで空間が認識されるならば、
それは 他のものに依存して成り立っている ことになる。
ならば、空間そのものが独立して存在するとは言えない。
3. 界(ダートゥ)に境界はあるのか?
もし「空間(虚空)」と「物質的要素」が明確に分かれているならば、
その境界はどこにあるのか?
空間と物質がまったく別のものならば、
私たちは物質の存在をどのように認識するのか?
逆に、それらが同じものであるならば、
空間とは何なのか?
4. すべての存在は縁によって成り立つ
物質の性質(地・水・火・風)も、
それ自体で成立しているのではなく、
互いに影響を与えながら存在している。
ならば、それらは独立した存在ではなく、縁起の法則のもとにある ということになる。
要約:「界(ダートゥ)は独立していない」
「地・水・火・風・空・識」は、固定された存在ではない。
空間(虚空)もまた、物質の存在によって認識される。
もし界が実体として存在するならば、変化せず永遠であるはずだが、実際には変化する。
すべての存在は 独立して存在するのではなく、互いに依存して成り立っている(縁起)。
このことから、「界(ダートゥ)」もまた、空(śūnyatā シューニャター)であることが示される。
注釈・補足
「界(ダートゥ)」とは何か?
仏教では、「存在の基本要素」として「界(dhātu ダートゥ)」が説かれる。
主に以下の要素が含まれる。
地(pṛthivī プリトヴィー):固体の性質(岩・大地など)
水(ap アーパ):液体の性質(川・海・血液など)
火(tejas テージャス):熱の性質(太陽・燃焼など)
風(vāyu ヴァーユ):動きの性質(呼吸・風など)
空(ākāśa アーカーシャ):虚空、すなわち空間
識(vijñāna ヴィジュニャーナ):意識・認識の働き
ナーガールジュナは、これらの「界」が
本当に独立した存在なのか? を問う。
「空間は実体なのか?」
私たちは、「空間がある」と思っているが、
空間とは、物質との関係によって認識されるもの である。
もし空間が 独立して実在するならば、物質の有無にかかわらず存在する はずである。
しかし、私たちは 物質の存在を通じて初めて「空間がある」と認識する。
つまり、空間とは、物質に依存して成り立つ概念 にすぎない。
締めくくり
次の第6章では、「煩悩(ラガ)」について検討します。
私たちは欲望や怒り、迷いといった煩悩に苦しむことがあります。
では、その煩悩は本当に心の中にあるものなのでしょうか?
煩悩の実体について詳しく探ります。
この章を通じて、界の概念が涵養(かんよう/じっくり養い、深めること) されることとなるでしょう。
💡 最後までお読みいただき、深く感謝申し上げます。
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