
スッタニパータ 第1章『卑賤者』 Vasalasuttaṃ(ヴァサラ・スッタ)第128偈
原文
「Yo ve parakulaṃ gantvā, bhutvāna sucibhojanaṃ;
Āgataṃ nappaṭipūjeti, taṃ jaññā vasalo iti.」
訳
「他人の家に行き、
清らかな食事を受けながら、
その恩を返さず、来客をもてなさない者、
その者を、卑賤者と知るべきである。」
話の背景
この偈では、「真に卑賤者(vasalo)とは誰か」を示すものの一つとして、
「恩知らずで、もてなしの心を持たない者」 が挙げられている。
仏陀は、「他人の家で歓待を受けながらも、
自らは来客をもてなさない者は、
生まれではなく行いによって真の卑賤者となる」と説いている。
これは、感謝の心と互恵の精神の大切さ を強調している。
注釈・補足
「他人の家に行き(Yo ve parakulaṃ gantvā)」
「Yo ve(ヨー ヴェ)」:「誰でも」
「Parakulaṃ(パラ・クラン)」:「他人の家」
「Gantvā(ガントヴァー)」:「行く」
これは、「他人の家を訪れ、もてなしを受ける者」を指す。
この行為自体が悪いわけではなく、
もてなしを受けたにもかかわらず恩を返さないことが問題視されている。
「清らかな食事を受ける(Bhutvāna sucibhojanaṃ)」
「Bhutvāna(ブットヴァーナ)」:「食事をした後」
「Sucibhojanaṃ(スチボージャナン)」:「清浄な食事」
これは、「他人のもてなしによる食事を享受すること」を意味する。
「清浄な食事」とは、感謝の心で提供された食事を指し、
それを受けること自体は悪くないが、その恩に報いない態度が非難される。
「恩を返さず、来客をもてなさない(Āgataṃ nappaṭipūjeti)」
「Āgataṃ(アーガタン)」:「来訪者」
「Nappaṭipūjeti(ナッパティプージェーティ)」:「もてなさない」
これは、「自分が受けたもてなしに報いず、
他者を歓待することを怠る者」を指す。
仏教では「布施(ダーナ)」が重要な徳目であり、
もてなしの精神が欠如していることは非難される。
「卑賤者(Vasalo)」
「Vasalo(ヴァサロ)」:「卑しい者、徳のない者」
仏陀は、「生まれによって人は卑賤者になるのではなく、
行いによって卑賤者となる」と説いている。
この偈では、「恩を忘れ、他者をもてなす心を持たない者こそが真の卑賤者である」
ことが強調されている。