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龍樹『根本中頌』第13章:「結びつきの否定の検証(Saṃyoga-parīkṣā サンヨーガ・パリークシャー)」(サンスクリット語訳)
導入
私たちは、物事が互いに「結びついている」と考えます。
しかし、「結びつく(saṃyoga サンヨーガ)」という概念は、本当に独立した実体を持つものなのでしょうか?
もし、何かが結びつくという行為が実体として存在するならば、それは「結ぶもの」と「結ばれるもの」から独立しているはずです。
しかし、結びつきがそれらの関係性の中でのみ認識されるのであれば、結びつき自体はどこにあるのでしょうか?
本章では、「結びつく」という概念がどのように消散(しょうさん/跡形もなく消え去ること) していくのかを探ります。
現代語訳
1. 結びつきは独立して存在するのか?
結びつくという行為は、
「結ぶもの」と「結ばれるもの」のどちらにも依存しないものなのか?
もし結びつきがそれ自体で成立するならば、
それは「結ぶもの」や「結ばれるもの」がなくても存在することになる。しかし、結ぶものも結ばれるものもないのに、結びつきがあるとはどういうことなのか?
2. 「結びつく」と「結びついた」の区別
結びつくという行為は、
結ばれる前にすでに存在しているのか?
もし結びつきが結ばれる前から存在しているならば、
それはすでに成立したものではなく、独立した実体になってしまう。逆に、結びつきが結ばれた後にしか存在しないならば、
それは結びつきではなく、単なる結果である。
ならば、「結びつく」という行為自体は、
どの瞬間に存在すると言えるのか?
3. 「結びつくもの」が固定されているのか?
もし「結びつくもの」が固定されたものであるならば、
それはあらゆるものと常に結びついているはずである。しかし、結びつきは条件によって成り立ち、
ある場合には成立し、ある場合には成立しない。ならば、「結びつく」という概念そのものが、
固定されたものではなく、縁起の関係によって仮に成立するものではないか?
要約:「結びつくという概念は固定されない」
「結びつく(サンヨーガ)」という行為が実体として存在するならば、それは独立して成り立つはずである。
しかし、結びつきとは「結ぶもの」と「結ばれるもの」の関係によってのみ成立する。
ならば、結びつくという概念は、単独で存在するものではなく、
縁起によって成立するものであり、「空」である ということになる。
注釈・補足
結びつき(サンヨーガ)の哲学的問題
ナーガールジュナは、「結びつきとは何か?」という問いを通じて、
「関係が存在する」という概念そのものを探求する。
もし「結びつき」がそれ自体で存在するならば、
それは「結ぶもの」や「結ばれるもの」とは無関係に成り立つことになる。しかし、それでは何が結びついているのかがわからなくなる。
このように、「結びつき」という概念が独立した実体を持たない ことが示される。
「結びつく瞬間」はどこにあるのか?
もし結びつきが「結ぶ前」に存在するならば、
それはまだ結ばれていないのに、結びついていることになる。もし結びつきが「結んだ後」に存在するならば、
それはすでに成立した関係であり、「結ぶ」という行為ではなくなってしまう。
このように、結びつくという行為そのものが、
私たちの認識の中でのみ成立している可能性 を示唆している。
締めくくり
次の第14章では、「原因と条件(プラティヤヤ)」について考察します。
物事が生じるための条件とは何か?
原因と結果の関係は、本当に確固たるものなのでしょうか?
この概念を詳細に検討していきます。
💡 最後までお読みいただき、心より感謝申し上げます。
結びつきの概念について、皆さまはどのようにお考えでしょうか?
また、本記事の内容でわからない部分やご質問がございましたら、
ぜひコメントにてお知らせください。できる限り詳しく解説させていただきます。