【自分史】まず回想から始めよう
先日かるーく人生を振り返る記事を投稿した。
ありがたいことに沢山の方に読んでいただけた。
自分で書いていて思ったのだが「大学時代」から緩急が激しい。
「大学時代~社会人時代をもっと読みたい」とのお声もいただいた。
今日から不定期で大学時代以降の私を深掘ってみようと思う。
第1回は『上海回想編』とでも名付ける。
2009年4月某日
私は上海浦東国際空港に降り立った。
第一印象。
「死んだわ」
本気の本気で、肺病にかかって死ぬと思った。
見上げる空が真っ黄色なのだ。
誰しも体に悪いと思うだろう。
時は2009年。
「PM2.5」が世間をにぎわせていた。
私はなんの疑いもなく、空の黄色はPM2.5のせいだと思った。
思い返すと、あれは黄砂だったのかもしれない。
でも匂いもしたから黄砂とPM2.5の合わせ技だったのだろう。
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私はある留学斡旋会社を通して上海の大学へ入学した。
(裏口入学ではない)
その会社は一度上海で語学研修をしたのち、各大学へ学生を入学させていた。
「語学研修」
そう、新入生は中国語ができない子ばかりだった。
斯くいう私も、中国語など触れたこともない状態で上海へ上陸した。
広い空港ロビー。
中国語のできないひよっこ達が40~50人。
引率はたった1人。
空は黄色。
不安しかない。
その後、入学式までの記憶が、一切ない。
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入学式。
正確には入学式後の歓迎会。
私の記憶は歓迎会の食事風景までスキップしている。
中国語の分からない私は、せっかくの歓迎料理の名前が読めない。
まあバイキング形式だったから困らなかったのだが。
料理名を無視して皿によそう。
食欲は無かったが、次にいつ食べられるか分からないから。
「食べられるときに食べろ」
その後4年間で私に染み付いた考え方だ。
どんどん食べていく。
うまい、うまい。
さすが世界四大料理。
おや?米はお粥だけか。
お粥すきだからいいけど。
3種類もあるじゃん。
ラッキー。
それが罠だった。
おかゆがわなだった!
あ、甘い?!!!??
おろろろろ…
このお粥、甘いんですけど…
第二印象。
「やっぱ死んだわ」
私は、
お米が大好きで、
お粥はしょっぱい派です!!
主食が好みじゃない。
そんな場所で4年間生きていくのか。
やっていく自信がなくなった。
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歓迎会後、ホテルへ案内された。
その日から5ヶ月ともに生活するルームメイトができた。
ルームメイトがお風呂に入ったタイミングで母に国際電話をかけた。
「生きて帰れないかも知れない」
泣きながらそう告げた上海初日の夜だった。
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