丹生都比売《におつひめ》に出会う旅
2021年夏、仕事で和歌山県かつらぎ町に行く機会を得た。
ここには、「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている、丹生都比売神社がある。
名前の通り祭神は、丹生都比売大神。
天照大御神の妹神で、「水」と「丹」をつかさどる女神。丹からは水銀が精製され、水銀の持つとされた不老長生などの神秘的な力もつかさどると言われている。
私が好きな作家、梨木香歩さんの初期の作品に「丹生都比売」がある。
この物語に出会ったのは20年ほど前である。
自分の中で消化しきれない、それなのに魅力的なこの作品はずっと心の中にあって幾度となく読み返してきた。
物語の主人公は、後の天武天皇と持統天皇の息子である草壁皇子だ。
丹生都比売の化身と思しき少女が物語の鍵を握る。
下の本は『丹生都比売』を含む作品集。上記のものから改稿されている。もともとの短編のかたちに戻したものとのこと。
大学で国文学を専攻していた私は、壬申の乱と吉野の関係について講義を受けたことがあった。万葉集の講義だったはずだ。
吉野一帯には、水銀の地下鉱脈があり、その神秘的な力を得るために大海人皇子(後の天武天皇)が妃の鸕野讚良(後の持統天皇)と子どもたちを連れて吉野宮に引きこもったのだと言う。
今思えば、万葉集そのものからは脱線した話だったのだが、なぜか私はこの話にすっかり魅了された。
大学を卒業してしばらくして、梨木香歩さんの『丹生都比売』に出会ったとき、この講義のことをすぐさま思い出した。
やはりそうだったのだ。
物語の舞台の吉野からこの丹生都比売神社までは45キロほどしか離れていない。紀伊半島には三重県の丹生鉱山もある。かつて辰砂(硫化水銀)を産出したこのあたり一帯は、ひとつの文化圏だったのだろう。
この地で「水」と「丹」をつかさどる女神として「丹生都比売」は祀られていた。
私の住む土地から800キロも離れたその場所に、こうしていく機会を得たのも何かの縁かもしれない。
バスは2時間に一本。仕事の関係もあり、バス時間に合わせて行動する時間的余裕はなかった。妙寺駅からタクシーで神社に向かう。
かつて、高野山を参拝するときには、丹生都比売神社を参拝してから高野山へ目指したとされているだけあって、山道をタクシーは登っていく。
山の斜面にはキウイフルーツの畑が広がっていた。
駅から20分くらいだったろうか。
ひっそりとした山の途中の神社にたどり着いた。
まだ世の中は、コロナの真っ最中。
観光客はほとんどいない。
それでも花で美しく飾られた手水鉢が出迎えてくれる。
手水舎前の水甕には、古代蓮がつぼみを膨らませていた。
まるで桃のようで可愛らしい。
本殿をお参りした後、あたりを散策。
境内のはずれに、石碑がいくつかある野原のような場所があった。
後ろには木々が生い茂っている。
丹塗りの鳥居と鮮やかな色彩の花々の世界とは、異なる空気が流れているような気がした。
静謐で、少し寂しい世界。
「丹生都比売」の物語のキサ(少女の名前)がひょっこり現れてきそうな場所。
水と銀を司る姫神さまは、神社の中にとどまることなくこの自然の中にいらっしゃるのではないか。
8月の最中というのに、少しだけ涼やかな風が吹くこの場所で、私は丹生都比売と出会えたのかもしれない。そんなふうに思わせるほど、この時の、陽の光や空気の佇まいは私の心に残っている。
「ひとはみな、それぞれの生の寂しみを引き受けて生きていく。」
『丹生都比売 梨木香歩作品集』のあとがきにあるこの言葉の意味を、若い頃の私は本当の意味で理解していなかった。だから、この物語が消化不良のままで心の中に残っていたのだ。
そんな若い頃ではなくて、少しずつではあるがこの言葉の意味がわかり始めた年になって、丹生都比売神社に行くことができて本当に良かったと思う。
同じ景色を見ても、見えるもの、見えないものが、若い頃とは違っていたはずだから。
年を重ねるのも悪くはない。
少しだけ成長した自分自身を見つけ出すのも旅なのだ。