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「光る君へ」第43回「輝きののちに」暴走する道長?
前回、宇治川で輝く川面のもと、まひろに弱音を吐き、涙した道長は、カタルシスがすんだからかすっかり回復し、もはや暴走しているように見える。
妍子が出産するも女児だったことにあからさまにがっかりし、内裏の火事を理由に三条天皇に譲位を迫る。
帝はお目が見えず、お耳も聞こえておられぬ。このままでは帝としてのお務めは果たせぬ。
大鏡によれば、桓算という僧侶がもののけとなって、左右の翼で三条天皇の目を覆っていてその羽を動かすときには少しだけ見えるのだ、と書いてある。
実は、かなり昔、児童文学だったと思うのだが、そういう物語を読んだことがあるような気がするのだが、どなたか覚えている方はいらっしゃるだろうか。
ともかくお可哀想な三条天皇である。
そもそもちゃんと助けてくれる有能な公卿がいれば政はできるはず。少なくとも7歳児(東宮)よりはよろしいのではなかろうか。
さすがの行成もこんな道長を見かねて太宰府行きを望む。
権力のためになりふり構わぬ道長をみたくないのだろう。
その真意を理解しろよ、道長。
実資もまた、道長に苦言を呈す。
実資:左大臣殿の思う政とはなんでございますか。
道長:民が幸せに暮らせる世を作ることだ。
実資:幸せなどという曖昧なものを追い求めることが我々の幸せではございませ ぬ。朝廷の仕事は、何か起きたとき、真っ当な判断ができるように構えておくことでございます。
志を追いかける者が力を持つと、志そのものが変わっていく、それが世の習いにございます。
道長:ん、おい、意味がわからぬ。
その表情、本当にわからないのね、道長。
歴史を振り返ってみれば、どんな戦争も、正義や幸せを大義として行われてきた。
実資が言いたいのは、権力者がそういった抽象的なものを追い求めると、往々にして判断が狂うということではないのか。
しかし、道長にはこの実資の戒めが伝わらない。
そして、北の方である倫子の爆弾発言。
私は、殿に愛されてはいない。
私ではない、明子様でもない、殿が心から愛でておられる女がどこぞにいるのだと、疑って苦しいこともありましたけれど、今はそのようなことはどうでもいいと思っております。
彰子が皇子を産み、その子が東宮となり、帝になるやもしれぬのでございますよ。
私の悩みなど吹き飛ぶくらいのことを殿がしてくださった。
何もかも殿のおかげでございます。
私とて、色々考えておりますのよ。ですからたまには私のほうもご覧くださいませ。ふふふ
怖い。怖すぎる。
他に好きな女がいるのだろうと責められるならまだまし。
道長の愛なんて小さいものよりも、大きな権力を手にし、てっぺんに登りつめようとしていることを喜ぶ正妻。
怖い。
でもこれが道長のしてきたこと。
今回の道長は、現代ならみんなに嫌われる発言のオンパレードであった。
まひろの学識を貶めるような発言。
頼道の妻隆子への「子を産め」セクハラ発言。
行成への「俺のそばにいろ」勘違いな恋人発言。
しかも相手がみな道長を信頼している人たちというのも悲しい。
さて、来週は、道長が
「この世をば我が世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」
を詠む場面の登場。
権力を掌握した道長の傲慢さが現れる歌だとして解釈されてきたこの歌だが、実はさまざまな解釈があるのだとか。
さて、どうなることやら。
この記事でコングラボードいただきました。
ありがとうございました!
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