さみしくて眠れない夜は、山のあなたの空遠くを想うといい
なんとなく眠れない、眠りたくない夜に、気持ちが落ち着くかもしれないお話です。
朝から夜までずっと秋を感じられるようになった、東京の10月も終わるころ。
ふと自分の感受性が薄れていることに気づき、虚しくなってみたりします。
そんな自分の心に温度を取り戻したくて思い出すのは、ドイツの詩人カール・ブッセが詠んだ「山のあなた」です。
国語を勉強する理由っていろいろあるけど、私にとってはこの詩に出会うためだったと思えるほど、いつもそばにいてくれる不朽の名作。中学の授業で習って以来、心にずっとカール・ブッセの言葉が浮かび続けているような感覚があります。
そんな「山のあなた」を特によく思い出していたのは、さみしくてたまらなかった22歳の1年間だったと思います。
それまでの人生でさみしいという感情を持ったことがなかった(と自認していた)私は、22歳の時はじめて猛烈なさみしさが込み上げてきて、「なんだこれは~」と静かにうろたえていた日々がありました。
もしかすると以前にも「さみしい」と形容できる感情を抱いたことはあったかもしれないけど意識したことはなかったため、初めての体験にびっくり仰天。
映画に没頭したり、料理に励んだり、お散歩したり、とにかく行動が大事だとの意気込みでいろいろ試してみたけれども、「さみしい」が消えることはありませんでした。
四苦八苦したあげくには、人の心って無理やり変えられるものでもないし、このままでいっか、むしろこのままを味わおうと心に決めました。
その日の夜、あてもなく歩きながらぼんやり遠くの空を眺めていると、「山のあなた」が浮かんできたのです。
この詩にはいくつか解釈があり、読み手としてどのような解釈をしたかを議論するのも楽しいかもしれません。
ですが、私がこの詩を思い出すときはいつも、解釈なんてしていないように思います。意味を深く考えるより、カール・ブッセが描いた世界をそのまま感じようとすることが好きといいますか。
だから、「さみしい」という感情に対して、この詩が具体的に元気づけてくれる感覚はなくて、むしろ「さみしい」を肯定してくれる感覚に近いかなと思います。
そして自分の感情を肯定してくれる「山のあなた」のおかげで、もっと上手にさみしがれるようになる気がするのです。
田舎の空を見上げて、山のあなたの空遠くを想ったこの日以来、異国の地でも、住み慣れた東京の街でも、ふとした瞬間にさみしさとともに流れてくるこの詩と、何晩をともに過ごしたかわかりません。そして心の中で詩を詠む度に、一生明けないかもと思っていた薄暗い心に少しずつ日差しが差し込んでくれました。
そうして気づけば「さみしい」も「山のあなた」もすっかり遠ざかっていき、ただ月日が流れていました。
だけどやっぱり、私の人生からカール・ブッセがいなくなるにはまだ早かったようで、24歳の秋にまた心に浮かんでまいりました。以前のように「さみしい」という感情とのセットではなくなり、虚無感とのセットになりかけているけれど、夜空を仰ぎながら詩を唱えるのは変わっていないようです。
移ろいゆく自分の心とともに年月を重ねながら、その時がくるまで私は「山のあなた」を想うのだと思います。
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