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「古今和歌集」の創造力鈴木宏子

 

ひとり遅れの読書みち   第33回

    今から約1100年前に編まれた『古今和歌集』は、今も私たち日本人のこころに「それと気づかないところで」大きな影響を与えている。
    春になると桜前線に注目するし、桜が散ると、それを花吹雪と捉える。また、秋の紅葉を錦織物のように眺める。『古今和歌集』の「こころ」と「ことば」が日本人の「ものの捉え方」や「感じ方」を規定してきた、と著者は指摘する。『古今和歌集』の「フィルター」を通じて自然を見つめているというのだ。古今和歌集的感性の例として、次の二つの歌が挙げられている。

    春は名のみの風の寒さや
    谷の鶯歌は思えど
    時にあらずと声も立てず

    大正2年(1913年)発表の「早春賦」の一節。今も愛唱されている名歌だ。春と言っても名ばかりで、鶯もまだ鳴かないと歌う。なぜ「谷の鶯」なのだろうか。その答えは『古今和歌集』にある、と著者は次の歌を示す。

鶯の谷より出づる声なくは春来ることを誰か知らまし   (春上14)

(鶯が谷から出てきて鳴く声を聞かなかったら、春が来たことを、いったい誰が知ることができようか)

    大瀧詠一作詞作曲の「夢で逢えたら」(昭和51年発表)は、美しいメロディーの力で大ヒット曲になった。

   夢でもし逢えたら、素敵なことね あなたに     逢えるまで眠り続けたい

という詩にも多くの人の共感を呼ぶ力がある。この夢に願いを託すことに決定的に力のあったのが、『古今和歌集』の小野小町の歌だという。

思ひつつ寝ればや人の見えつらむ 夢と知りせばさめざらましを  (恋2・552)

(しきりに思いながら寝たので、あの人が夢に現れたのかしら。夢と知っていたなら、そのまま覚めずにいたものを)

    本書は『古今和歌集』の成立や構成、技巧を解説し、その魅力を明らかにする。200余りの歌を取り出し、それをわかりやすく訳し味わい方を示す。『古今和歌集』への著者の熱い思いが伝わってくる好著だ。

    全20巻1000余りの歌は、前半が「四季の歌」から、後半は「恋歌」から始まる。四季と恋を二本柱のテーマとして、「人が生きる中で味わうことになる」さまざまな「こころ」を「集成」し「分類」している。さらに「何をどのように感じるのか」、そしてそれはどのような「ことば」で表現されるかを示している。著者は「こころ」と「ことば」の「見本帖」と表現する。
    四季歌では、立春から歳暮にいたる四季の推移が写しとられている。恋歌は全5巻で、歌の数は360首。四季歌の342首を凌ぐ。恋の発端から終焉にいたるまでの移り変わりを描き出す。
    逢わざる恋、初めての逢瀬とその前後、熱愛から別離、失われた恋の追憶というような配列。恋を「瞬間的な情熱」としてではなく「時の推移とともに変化する感情の過程」として捉えている。

   さらに本書の価値を高めているのは、仮名序を書いた紀貫之をとくに重視して取り上げていること。「大歌人」であるとともに編集者、批評家の能力に光をあてている。貫之は『古今和歌集』編纂者四人の内のひとりだが、とられている歌は102首と最多であり、ほぼ主要なテーマを網羅している。編纂の仕方、歌の配列はその後の歌集の典型となった。
    貫之が仮名序の中で六歌仙と言われる人たちの歌を評していることはよく知られている。著者は、その批評がいかに的確かを具体的な歌を取り上げて説明する。
    例えば在原業平の歌。貫之は「こころ余りてことば足らず」と評する。あふれるばかりの感情が込められているものの、それに表現が追いついていないと手厳しい。著者は業平の次の有名な歌を挙げて、その批評の的確さを明らかにする。

月やあらぬ春や昔の春ならぬ 我が身一つはもとの身にして  (恋5・747)


    『古今和歌集』を始まりとする勅撰和歌集の歴史は、21番目の『新続古今和歌集』にいたるまで、500年以上にわたって続いていく。応仁の乱によって勅撰集の編纂は途絶えたが、それ以降も『古今和歌集』を仰ぎ見ることは続き、明治時代にまでその力は残存している。
    著者によると、勅撰和歌集の伝統は「日本古典文学史の背骨」にあたるものであり、『古今和歌集』は古典中の古典として尊重されてきた。
    例えば、『源氏物語』には『古今和歌集』の歌が幾つも引かれているという。「若菜」下巻には、柏木が女三の宮と密通していることを知った光源氏が吐いた言葉。柏木が恐れおののき、やがて病の床に伏してしまう重要な場面だが、その言葉、「過ぐる齢にそへては(中略)さかさまに行かぬ年月よ」。これは『古今和歌集』の次の歌が引かれている。

さかさまに年もゆかなむ とりもあへず 過ぐる齢やともに帰ると   (雑上896)

(さかさまに年月が流れて行ってほしいなあ。そうしたら捉えることもできず過ぎていった年齢が、一緒に帰ってくるかと思うので)

     「たとひ時移り事去り、楽しび悲しびゆきかふとも、この歌の文字あるをや」「歌のさまをも知り、ことの心を得たらむ人は、大空の月を見るがごとくに、いにしへを仰ぎて、今を恋ひざらめかも」

     貫之が仮名序の最後に記した言葉だ。時代が移り変わっても、歌は存在し続けるだろうし、歌を知る人は『古今和歌集』を「大空の月」を見るように仰ぎ見るとの確信だ。著者は編纂から1000年以上にわたって生き続け、今の私たちの感情や感性にまでつながっていることを「小さな奇跡」と呼ぶ。確かに計り知れないほどの魅力をたたえた歌集に違いない。

(メモ)
「古今和歌集」の創造力
  鈴木宏子
  2018年12月20日第1刷発行
   NHK出版
  

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