紫色のハット
「ハットが好き」ーー100年近く前、関西で生まれた人。この人がもしかして一番おしゃれをしたかったころ、国防婦人会の襷を掛けた女の人たちがパーマをかけた女の人の髪を掴んでジョキジョキ切ったりしても犯罪にはならなかった。吉本隆明さんのエッセイで読んだ。そんな時代だったから、あの人は着たかった制服を着られなくて、プリーツスカートではなくてもんぺを履いた。そんなもの履きたくなかったーー山田風太郎さんの「戦中派虫けら日記」だったかな、勤労動員で働かされてる若い女性たちが「勤労」に身を入れていないことを記述していた。「勤労動員」といえば目の色変えて「勤労」している人たちの映像をさんざん見てきたから、「勤労」しなかった人たちが存在していたことを知ってわたしはうれしくなった。
女学生のもんぺ姿を描いて、こんなんでしょ?と見せてみた。
「よう、知ってるなぁ、あんた、若いのに!」
へへ、そんなに若くないけどね。
敗戦のとき、ラジオを聞きましたよね、どんな気持ちでしたか?
祖母からは「うれしかった」と聞いていた。たぶんこの人もと想像して、うれしかったですか?と先に言ってから、悲しかったですか?とつづけた。宮城に向かって地面に正座して泣く、例の白黒写真(演出されたモデルたちかもしれないとか?)が頭にあった。
「そんなん、うれしくないよ。悲しくもないし」
あら、意外の返答。
「すぐ○○銀行の○○支店に行ってお金を下ろしました。そのお金で○○にあったダンス教室に行きました!」
おお!
その教室でだんなさんと出会ったのだそうだ。
そしてふたりでブラックプールへ行ったんですね!
「そうや! ブラックプールに行ったよ♪」
22歳でいのちを絶たれたイランの人が、おばあさんになって若い人に話してあげられたかも知れないことを想像する。
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