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【原発をとめた裁判長 そして原発をとめる農家たち】と【後世への最大遺物】 ④


飯田哲也さん

いいだてつなり|本作企画
1959年山口県生まれ。京都大学大学院工学研究科原子核工学専攻修了。東京大学先端科学技術研究センター博士課程単位取得満期退学。原子力産業や原子力安全規制などに従事後、「原子力ムラ」を脱出して北欧での研究、非営利活動を経てisepを設立。自然エネルギー政策では国内外で第一人者として知られ、先進的かつ現実的な政策提言と積極的な活動や発言により、日本政府や東京都など地方自治体のエネルギー政策に大きな影響を与えている。(パンフレットより)


自前の技術がない!

日本の原発に自前の技術はない (正確なことばを覚えていませんが)──飯田さんのことばが頭をガン!と打ちました。2011年当時、いろんな本やテレビで読んだり聞いたりしていたはずですが、すっかり抜け落ちていました。
小出裕章先生の本に書いてあったはず、と本を引っ張り出しました。

日本で原発が動いたのは、1966年の東海1号炉が初めですが、それは日本が作ったのではなく、英国から買ったものでした。その後、1970年になって敦賀原発、美浜原発を動かし始めましたが、それらも自分で作ったのではなく、米国から買ってきたものでした。世界の主要な原子力発電利用国、米国、フランス、日本、ソ連、ドイツ、カナダの中で、日本だけは独自に原子力発電の技術を開発してこなかった特異な国です。(116ページ)

『原発のない世界へ』小出裕章著 筑摩書房

「原発」みたいなものを買ってきて済ましてるって、しれっと澄ましてるって、どうなの?
「ポテトサラダぐらい買わないで自分ちで作れよ」でしたっけ?
価値が転倒、倒錯してんだよなー、世の中。

■原子力推進派が取った対策
①破局的事故は起こらないことにした
 ~原子力開発の一番初めから、破局的事故が起きた場合の被害の評価を繰り返し行ってきました。~もし破局的事故が起きると考えてしまえば、国家財政をすべて投げ出しても購いきれない被害が出ることが分かりました。~
格納容器が破壊されるよう事故は決して起こらないとし、そうした事故を「想定不適当事故」と呼んで無視してしまうことにしたのでした。
②電力会社を破局的事故から免責した
 ~電力会社を原子力開発に引き込むためには、どうしても法的な保護を与えねばならず、大事故時には国家が援助する旨の原子力損害賠償法を1961年に制定したのでした。~
 ~日本の「原子力損害賠償法」の場合には、「異常に巨大な天災地変又は社会的動乱災」つまり、地震や戦争などの場合にはもともと電力会社は一切の責任を負わないでいいと記されています。~
③原発を都会には作らないことにした
 ~そして、実際に、原子力発電所は一つの例外もなしに、過疎地に押し付けられました。~(112~115ページ)

『原発のない世界へ』

こんなに無理やり原子力開発に突っ走った人たち。
これほどの常軌を逸した強引さで、がむしゃらに、もし、太陽、風、地熱、潮力とかを活用するエネルギーに取り組んでいたなら、どんな世界が展開していたんだろう。
未だ横車はとまらない。

「みんな本当にちゃんとしていた」

少年時代から学生時代、原子力産業にいた頃から欧州での自然エネルギーとの出会い、isepの活動、世界と日本のエネルギー事情まで実に色々なお話しを語ってくださった。大学卒業後に就職した神戸製鋼からの出向先、電力中央研究所で体験した原子力発電界のハリボテのような安全審査のお話しは出来の悪いコメディのようで空恐ろしくもあり滑稽だった。

『監督日記51』⇩

90年代に入ってから欧州で自然エネルギーに出会い、日本で広めてゆくことを使命とした飯田さんは、東奔西走して市民電力をアドバイスする地を這うような活動と国にエネルギー政策を提言する活動の両方を担っておられる。その精力的な活動を支えるものは、子どもの頃に見たお父様を含めた周囲の大人たちの一生懸命で正直な生き方だったようだ。いつも理知的にお話しされる飯田さんも、この幼少時の影響についてはうまく言葉にできず、「みんな本当にちゃんとしていた」と表現するに留まっておられた。本当に豊かな社会に育まれたのだろうな、と想像したとき、二本松で有機農家さんたちに囲まれて育ち、農の仕事に就いた塚田晴さんのことがダブった。

『監督日記51』⇧

「よく発達した腹側迷走神経系」を持つ人

「本当に豊かな社会に育まれたのだろうな、と想像したとき、二本松で有機農家さんたちに囲まれて育ち、農の仕事に就いた塚田晴さんのことがダブった。」
「ハリボテ」を目の当たりにし、欧州で自然エネルギーに出会い、「地を這うような活動」をつづけてこられている飯田さん(たち)は、突然生まれては来なくて──原発に関係ないことを急に出してしまうですが──

むかし吉本隆明さんの本で太宰治と三島由紀夫のことを、あの育ちの悪さでは、あそこまで生きるだけでも困難で、ああした結末は無理もない、というような話を読みました。いまどの本か探す余裕がありません。わたしはそのように記憶していて、このことを考えてきました。
「育ちが悪い」ということばを吉本さんは世間的な意味では使っていません。このことばの使い方が、わたしは凄く気に入りました。

子(胎児期を含む)と母が安全な環境でいい感じに交流できなかったために、子が致命的なダメージ受けた、ということです。

三島由紀夫は、父方の祖母が赤ちゃんの三島由紀夫をお母さんから取り上げてしまったとか。非道い、子にも生母にも、そしてきっと父・祖母の息子にとっても非道い。他には覚えていませんが、十二分に非道い状況でした。
「育ちが悪い」は、子には、どうしようもないことなのに、どうしようもないことだというのに、育ちの悪い人は「まともには生きられない」を約束されてしまっている。を引き受けざるを得ない。否応なしに。
育ちの悪さは宿命、どうしようもない。
ええ!あんまりだよー!と思いました。

わたしに、一気呵成な自分殺しの思いきりはありません。
「緩慢な自殺」か~~~やだなー~~~「育ちが悪いから仕方がない」~~~そりゃないよー~~~緩慢な自殺~~~やだよー~~~ぐるぐるぐるぐる~~~なんとかして「仕方な・・・くはない」に、変容できないのか?と、ぐるぐるぐるぐる~~~うだうだ緩慢な自殺っぽく生き長らえてポリヴェーガル理論の本『その生きづらさ、発達性トラウマ?』に出会いました。
育ちの悪い人の育ちの悪さを解きほぐし、育ちの悪さは育ちの悪い人を一生涯支配して死に至らしめるとは決まっていない、そう教えてくれました。忍耐は求められますが、なす術なく緩慢な自殺に至るまま自分を眺めていなければならない訳ではない、と。

この映画には困難に打ち負かされない人たちがたくさん登場します。
その生きづらさ、発達性トラウマ?』を読む前なら、なんであの人たちはあのように在ることができるんだろう? 自棄にならないで、皮肉にならないで、感情が枯渇もしないで、大切なものを大切に保持できるんだろう? 破壊的にならないんだろう?と思い、わたしはだめだ。なんでわたしはこんなにだめなんだろう?と思ったはずです。でも今回はそんなふうに自分を苛むことにはなりませんでした。そうか! この人たちの腹側迷走神経系は健やかに発達してるんだ!と解ったからです。自分を卑下することなく、困難に打ち負かされない人たちを見上げて、その姿に力づけられました。自分破壊に使われてきたエネルギーが建設的に使われることを実体験しました。

「本当に豊かな社会に育まれたのだろうな、と想像したとき、二本松で有機農家さんたちに囲まれて育ち、農の仕事に就いた塚田晴さんのことがダブった。」と監督がおっしゃる「本当に豊かな社会に育まれた」人というのは「よく発達した腹側迷走神経系を持つ」人だと思うのです。



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