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「『学び合い』は生き方である」に迫れ
ここ数日ずーっと冷や汗である。
とりあえず発表が終わる。
オンラインなので、家でやってもよかったのだが、仲間が近くにいた方が圧倒的に心強い。
上越へひた走る。
ゼミ室を開けると、
朝8時30分の時点で、夜鍋して疲れ果てたゼミ生らの姿が…
なぞのハイテンション。
幸せを願う研究室がブラック化している笑
よくない教務室に見られるような、くたびれ果てた空気感がある笑
発表当日であるが、「あともうちょっとでデータ出ますー」とのこと笑
さすが我が研究室である笑
因みに、これは師が目指す姿ではないと思う笑
なんだかんだで、
我が研究室は4つの研究を発表した。
その一つ一つは、それぞれ個性があるものの、緩やかにつながる架け橋があるように感じた。
師は「『学び合い』の研究はほとんどやり切った。」と言う。
確かに方法論としての『学び合い』は確率しているのだろう。
そんなことを言われるもんだから、我々は「じゃあ、何するねん!」とやさぐれていたのである。
師は、「不立文字」などという。
そして『学び合い』はその人の考え方、生き方であるとなどと述べている。
今回の研究は、限られた条件の中でその本質に迫ろうと努めたものであると感じる。
研究としてどうかとか、検定の手続きがどうかとかいわれると、とても心苦しい。
我々も重々承知である。
私自身、『学び合い』が生き方であるということが、ここに在籍して輪郭を鮮明に捉えられるようになってきた。
ただ、この輪郭は、なかなか人に伝えられるものではないことも同時にわかってきた。
それでも、なかなか人に伝わらない『学び合い』の像を視覚化して、なんとか伝えようと取り組んだのが、今回の4つの発表であったように感じる。
今日はゼミの忘年会であるが、今日は欠席。
とりあえず家で休もう。