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『黒薔薇昇天』:1975、日本

 ブルー・フィルムの監督を務める十三は、和歌山の旅館で新作を撮影していた。彼は女優のメイ子とヒモである男優の一にセックスさせて、安さんがカメラを回す。石やんがライトを当てて順調に撮影は進んでいたが、メイ子が一から離れてしまう。「子供が出来たんや」と彼女が言うので、十三は「それはそれ、仕事は仕事や」と続行するよう要求する。しかしメイ子は拒絶し、撮影は中止になった。
 メイ子は十三たちに、「お腹の子に悪いと思うねん。そやさかい、子供を産むまで中休みさせてほしい」と切り出す。十三は一蹴するが、メイ子は泣いて断った。十三たちは仕方なく、10万円の赤字を出して引き上げた。

 十三は同じ歯医者に通っているが、治療が本来の目的ではなかった。彼は十七、八歳の少女が治療を入るのを確認し、歯医者を出て行った。しばらく時間を潰してから診察室に戻り、「忘れ物をしました」と言って、わざと置いて去った風呂敷包みを引き取る。
 そこには録音機が入っており、それを使って女性患者が治療を痛がる声を録音するのが彼の目的だ。さらに十三は、犬がハアハア言う声や猫がミルクを舐める音、イルカの鳴き声を録音し、それらを合成してエロテープを作成しているのだ。

 十三が歯医者で隠し録りしたテープをチェックすると、待合室で何度も見掛けていた幾代という女性が歯医者との密会に言及する声が録音されていた。十三は探偵社の人間を詐称して幾代と接触し、心斎橋へ呼び出した。大垣彦市という金持ちの二号である幾代は、彼が尾行させたのだと思い込んだ。
 十三は幾代にテープを聞かせ、2万円か3万円での買い取りを要求した。その上で彼は、「奥さんでチャタレー夫人やったら、エロいもんが出来るんやろうと思いますわ。チャンスがあったら、是非やらせて下さい」と出演を持ち掛けた。

 幾代は翌日に金を渡すと約束し、泣きながら立ち去った。なぜ追い掛けないのかと安さんに言われた十三は、「惚れてしもたらしい」と明かした。次の日、幾代は庭木で首吊り自殺を図る。だが、それを見ていた十三が、失神した彼女を木から降ろして立ち去った。幾代は指定された観覧車で十三と会い、3万円を渡す。
 「もうちょっとぐらいやったら用意できますけど」と幾代が言うと、十三は妻が子宮癌で手術代が3万だけ足りなかったという嘘を語る。十三は「妻は半年持つかどうか」と泣いて幾代の同情心を引いた後、どうしても渡したい写真があるので自分の家に来てほしいと頼んだ。

 幾代を部屋に連れ込んだ十三は、映写機を回してブルーフィルムを見せる。十三は「間違うてましたわ」と白々しい嘘をつくが、「ワイが撮った映画の中で最高傑作なんですわ」と言う。彼が「ステェーデンまで行って撮ったんですわ。主役のオナゴが不潔やったらあきまへんのや」「ファックっちゃうのんは、人間の行為の中で、一番崇高なモンなんですわ」などと語る中で、幾代は興奮していく。
 十三が「ワイの願い、聴いておくんなはれ」と抱き付くと、欲情を我慢できなくなった幾代は服を脱ぐ。2人がセックスしていると、安さんと石やんがカメラとライトを持って入って来た。幾代は驚いて抵抗するが、十三が押さえ付けていると、すぐに彼女も燃え上がる…。

 監督 脚本は神代辰巳、原作は藤本義一「浪花色事師=ブルータス・ぶるーす」(徳間書店刊)、プロデューサーは三浦朗、撮影は姫田真佐久、照明は直井勝正、録音は古山恒夫、美術は横尾嘉良、編集は鈴木晄、助監督は鴨田好史。

 出演は谷ナオミ、岸田森、芹明香、山谷初男、高橋明、東てる美、谷本一、庄司三郎、森みどり、牧嗣人。

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 藤本義一の小説『浪花色事師=ブルータス・ぶるーす』を基にした作品。監督&脚本は『赤線玉の井 ぬけられます』『宵待草』の神代辰巳。幾代を谷ナオミ、十三を岸田森、メイ子を芹明香、歯医者を山谷初男、安さんを高橋明、一を谷本一、石やんを庄司三郎が演じている。東てる美が十七~八歳の少女役で出演している。
 主演が谷ナオミでタイトルが『黒薔薇昇天』だとSM映画を思わせるが、実際は艶笑喜劇。たぶんタイトルは同年4月公開の『残酷 黒薔薇私刑』から取ったんだろう。

 ロマンポルノなのでトップビリングは女優の谷ナオミだが、実質的な主役は岸田森。彼が日活ロマンポルノに出演するのは、前年に小沼勝が手掛けた『ロスト・ラブ あぶら地獄』に続いて2度目。
 岸田森はTVドラマ『怪奇大作戦』や『ファイヤーマン』などに主要キャストとしてレギュラー出演し、映画『呪いの館 血を吸う眼』&『血を吸う薔薇』という代表作も既にあった。つまり、一般映画やドラマで充分な地位を築いていたわけで。しかも、1974年からは、あの『傷だらけの天使』もスタートしていたのだ。ただ、この映画の出演に関しては、たぶん神代辰巳が『傷だらけの天使』に演出で参加したのが、きっかけじゃないかと思われる。

 メイ子が泣いて引退を要求すると、十三は天を仰いで「助けてくれ」と漏らす。また天を仰いで「助けてくれ」と漏らすと、そこへダウン・タウン・ブギウギ・バンドの『買物ブギ』が流れて来る。で、その歌が流れる中で、オープニング・クレジットが入る。つまり正式な表記は無いけど、『買物ブギ』が主題歌のような使い方をされているわけだ。
 そこだけでなく、幾代と歯医者の関係を知った十三が彼女を尾行するシーンでも、また『買物ブギ』が流れる。さらに、探偵を詐称して幾代に接触するシーンでは、『カッコマン・ブギ』が流れる。
 だから劇中歌はダウン・タウン・ブギウギ・バンドで統一するのかと思いきや、十三と幾代がタクシーで移動するシーンでは奥村チヨの『終着駅』が使われている。でも、幾代が自殺を図る時は『知らず知らずのうちに』が流れるので、だったらダウン・タウン・ブギウギ・バンドに限定しておけば良かったんじゃないかと思うんだが。

 十三は歯医者の患者の痛がる声に動物の鳴き声などを合成し、まるで女性がセックスで喘いでいるかのような音声テープを作成して、それを販売している。そのために、わざわざ歯医者に通って風呂敷に隠したレコーダーを置いたり、しばらくしてから引き取りに戻ったり、犬や猫の鳴き声を集めたり、動物園を訪れてイルカの鳴き声を録音したりする手間と時間を費やしている。
 ハッキリ言って、メイ子に喘ぎ声を出してもらって録音した方が、遥かに手間も時間も掛からずに済む。ただ、そこは十三の「俺は映画人として仕事をしているのだ」という充足感を味わいたい感覚が優先されているんだろう。

 十三は自分の仕事に誇りを持っているようで、メイ子が引退したいと言い出した時も「ワイらは芸術作ってんのやで。日本は性的に後進国やさかいな。バレたらサツにしょっぴかれることになっとる。しゃあけど、それはワイらが悪いんやないで。遅れてる日本が悪いんや。スウェーデン見てみい。教育やで。子供まで見とる。どこが胎教に悪いんや」などと説法する。
 ただ、メイ子の心には全く響かず、それどころか「アンタ、理屈ばっかりや。もう聞き飽きてます」と言われる。そのメイ子の言葉は、見事に的を射ている。その通りで、十三は「それっぽいこと」は言っているものの、理屈だけで中身は伴っていないのだ。口先三寸とは、彼のことである。

 十三はメイ子の説得を諦めず、「ワイらがやってるのんはな、そこらの暴力団が資金稼ぎにやってるのとはワケが違うで。カメラかて、16ミリやで。これはテレビ並みや。それを8ミリに縮小してや。そうせな、ええもんはでけへん。それに時間と知恵を結集させてや、より美しいファックを撮るんや。ワイらのスローガンは、ファックの美や」などと熱く語る。
 ちなみに十三は、セックスのことを「ファック」と表現する。これは、それが一般的だったってことではなく、キャラとしての特徴ってことだろう。

 さらに十三は、「なんちゅうても、現代人が一番真剣に取り組むのが美や。人間、ファックしてる時に神様にもなれば動物にもなる。より真剣に自分をさらけ出す。より赤裸々に精神風土がやな、そこにあるっちゅうても過言やない」などと語る。
 言葉だけを拾うとイマイチ伝わらないかもしれないが、映画を見ていれば、前述した台詞も含め、彼の「それっぽい台詞」は全て「アホらしい」という印象になる。それは本気で唾棄したくなるってことではなくて、喜劇としてニヤニヤできる台詞ってことだ。

 十三は「ワイの信条は、尊敬する大島渚はんとか今村昌平はんと、何ら変わらんつもりやで。お前という美しい素材を、一人の女優として追及していくんや」と語るが、誰が見たって大島渚や今村昌平とは全く違う。
 その辺りで、たぶん大半の観客は気付くだろうが、そもそも十三の言葉は「そういう志なんて全く無い言葉」なのである。ブルー・フィルムの監督だから、高い志に中身が追い付いていないってことではない。彼は単純に、口の上手い詐欺師みたいな男なのだ(でも本人は立派な志があると思い込んでいる)。

 谷ナオミはSMの女王として人気を博したポルノ女優だが、そっち系ばかりに出ていたわけではない。こういうSMが全く絡まない役柄も演じている。今回の幾代というキャラクターは、簡単に情にほだされてしまい、簡単に騙される女だ。
 まあ、悪く言えばオツムが弱いってことになるが、でも可愛いのよ。十三がブルー・フィルムを見せた時、最初は困惑しているのに「ワイが撮った映画の中で最高傑作なんですわ」と言われると「そうですかあ」と受け入れる。喜劇として面白いし、幾代も魅力的に感じさせる。

 幾代は「主役のオナゴが不潔やったら、あきまへんのや」「ファックっちゃうのんは、人間の行為の中で、一番崇高なモンなんですわ」と十三に言われると、「そうですか」と納得する。
 その辺りは「十三の口が上手い」と言うよりも「幾代が簡単に騙され過ぎる」という状態になっているが、ぶっちゃけ、そこはどっちでもいい。「十三が演説をぶっている中で、どんどん幾代が興奮していく」という様子に、可笑しさがある。いちいち幾代が「そうですか」と返事をするのが、可笑しさに結び付いている。

 幾代は十三とのセックスで絶頂に達した後、我に返って彼を責める。すると十三は、「ワイとアンタに功徳を施したつもりでんねん」と悪びれずに告げる。この辺りまでは喜劇として受け入れられるんだけど、その後は引っ掛かる。
 幾代が腹を立てると、十三は態度を急変させて凄み、「資本主義の代表者みたいな男から金を貰い、その上、歯医者みたいな男とチチクリおうて、わりゃあ、自分がどんな女が考えさらしたことがあるんか」と殴り付ける。さらに、「おんどれはな、ワイに抱かれるような価値のある女か」と言うと、なぜか幾代は「嬉しいわあ」と喜んで彼とセックスする。
 そういうのが当たり前の時代だったのかもしれないけど、そこまで極端に「暴力と恫喝で支配しようとする男に女がコロッといかれる」というのを描かれると、拒否反応が起きちゃうなあ。そういうの、笑えないのよ。

 幾代は旅館での撮影を承諾するが、一とセックスいることについて「ホンマに焼きまへんな?」と十三に確認する。十三は平然とした態度で、「誰とファックしようと、それは仕事や。世の中見てみい。女優を嫁はんにしてる監督は一杯いてはるけど、嫁はんのファックシーンで焼く監督がいてはるか?」と言う。いざ撮影が始まると、メイ子が嫉妬して「イッたらあかんで」と騒ぎ出すので十三が押さえ付ける。
 ところが、その十三も見ている内に耐えられなくなり、「イッたらあかん」と一を幾代から引き離してしまう。安さんが激怒すると、彼は「修業が足らんのや。焼き餅なんて焼いてしもた」と漏らす。幾代が「ウチ、イッてしもて勘忍な」と言うと、結婚行進曲が流れて映画は終わる。この締め括り方は悪くないだけに、前述したシーンの傷が無ければなあと勿体無く思うわ。

(観賞日:2016年9月3日)

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