『風が吹くまま』:1999、イラン&フランス
TVディレクターのベーザードはスタッフのジャハンやアリたちと共に、車で田舎のクネクネ道を進んでいた。彼は途中で道が分からなくなり、畑仕事をしていた女性にシアグレ村の場所を尋ねた。
一行が丘を越えた先にある村へ向かっていると、ハシェミの甥のファザードが迎えに来ていた。一行は彼に案内を頼み、村人たちには目的を内緒にするよう頼んだ。もしも誰かに訊かれたら、宝探しだと答えるようベーザードは指示した。
一行は丘を越えようとするが、オーバーヒートで車が動かなくなった。ベーザードはジャハンたちに水を調達するよう指示し、ファザードに案内させて歩いて村まで赴いた。ファザードはベーザードたちを宿泊させるため、叔母の家を手配していた。
叔母は狭ければ他の部屋を使うよう勧めるが、ベーザードは「2日間だけなので、お構いなく」と告げた。彼はファザードに、病気を患っている祖母の家へ案内するよう頼んだ。ベーザードは祖母の家だけでなく、丘の上にある墓地の場所も教えてもらった。
翌朝、ベーザードはファザードが学校へ行くことを聞き、途中まで同行する。その日から2週間、ファザードはテスト期間に入っていた。ファザードは祖母の具合を訊かれ、「寝たきりで何も食べないし、喋らない。もう見込みが無いと医者は言ってる」と述べた。祖母の面倒は、ファザードの母と近所の人と小叔父が見ていた。しかし小叔父は休暇が終われば、街に戻ることになっていた。
ファザードと別れた後、ベーザードは車に忘れたカメラを取りに行く。するとカメラは無かったが、カフェを営む女性が事前に回収してくれていた。ベーザードは彼女から、車に放置しておいたら確実に盗まれると忠告した。
ベーザードはカフェで休憩し、オーナーの女性が夫と話す様子を眺めた。2人が口論になったのでベーザードはカメラを向けるが、夫から撮影するなと怒られた。カフェにいたハーテムという老人が立ち上がって歩き出したので、ベーザードは後を追った。その際、彼はカフェにカメラを置き忘れた。
ハーテムはファザードの祖母の家に着き、玄関前に座り込んだ。携帯電話が鳴ったのでベーザードは話そうとするが、電波が悪いので車で高台に向かった。
丘の上に着いたベーザードが携帯を使うと、相手は妻だった。身内の死を聞かされた彼は、「葬式には行けない」と告げた。深い穴の中で歌うユーセフという男を見つけたベーザードは声を掛け、電話線を埋めていることを知った。
ベーザードは電話で上司のグダルジと話し、「準備は出来ています」と伝えた。村に戻った彼はファザードと会い、また祖母の病状を尋ねた。するとファザードは、スープの差し入れが飲めない状態になっていると教えた。
ベーザードはファザードの叔母のカラマンに、皆の朝食に牛乳を出してほしいと頼む。カラマンが「ファザードに頼むわ」と言うと、彼は「せっかくだから地元の牛乳がいい」と告げる。カラマンは「でも牛も羊も飼っていないの」と述べ、「若い人は?村を散歩したが、老人と子供しか見なかった」というベーザードの言葉に「若い人は畑に行ってるわ。今は忙しい時期なの」と説明した。
ベーザードは丘の上へ言ってグダルジに電話を掛け、ファザードの祖母の病状を報告した。そそくさと走り去る若い女性の姿を目撃した彼は、ユーセフが歌っていたのは恋心からだと理解した。
村に戻ったベーザードは、またファザードに祖母の病状を尋ねた。するとファザードは、昨晩に母親が様子を見に行ったこと、元気だと言っていたことを伝えた。ベーザードは丘でグダルジに電話を掛け、「順調です。待つしかないでしょう」と述べた。
ユーセフを見つけた彼は、「また穴を掘っているのか」と話し掛ける。「岩にぶつかった」とユーセフが言うと、ベーザードは「僕らもだ。君のような大きなツルハシが無い。もうお手上げだ」と述べた。彼は紅茶を貰い、「君の彼女に牛乳を貰えるか?」と尋ねる。するとユーセフは、「苗字はカクラマンだ。村で訊けば分かる」と告げた。
ベーザードは村へ戻る途中、学校の教師と出会った。彼は教師を車に乗せ、村まで送って行く。教師はベーザードたちが村へ来た目的について、葬式の取材だと分かっていた。ベーザードが「この村の葬式をどう思う?」と訊くと、彼は「痛ましい話だ」と口にする。彼は母が葬式で情やお悔やみの気持ちを示すため顔に傷を付けたことを語り、「因習の根っこには貧しさがある。それが儀式となって、何世代も受け継がれてるんだ」と語った。
村に戻ったベーザードはファザードと会い、祖母の病状を尋ねる。ファザードは彼に、「昨夜はスープを飲んだ。小叔父さんの顔が分かって、色々と聞いてた。小叔父さんは休暇を取り直すため、町に戻った」と話した。
ベーザードはカクラマン家へ行き、ユーセフの恋人であるゼイナブに牛乳を分けてもらう。彼はゼイナブに一編の詩を教え、学が無くても詩人にはなれると告げた。村へ来てから2週間が経っても何も起きず、ベーザードの部下たちは不満を漏らすようになった。
ベーザードは「あと3日だ」と訴えるが、スタッフは「ただ漫然と待ってて何も無かったら?」「見通しも立たずに待つなんて時間の無駄です」と言う。ベーザードは「あと3日だけくれ」と頼み、何とかスタッフに残ってもらう…。
監督&脚本はアッバス・キアロスタミ、原案はマハムード・アイデン、製作はマリン・カーミッツ&アッバス・キアロスタミ、撮影はマハムード・カラリ、編集はアッバス・キアロスタミ、音楽はペイマン・ヤズダニアン。
出演はベーザード・ドーラニー、ノグレ・アサディー、ルーシャン・カラム・エルミ、バフマン・ゴーバディー、シャープール・ヘイダリ、マスード・マンスーリ、アリ・レザ・ナデリ、フランジス・ラハセパル、マソーメフ・サリミ、ファルザド・ソフラビ、リダ・ソルタニ他。
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『オリーブの林をぬけて』『桜桃の味』のアッバス・キアロスタミが監督&脚本を務めた作品。カンヌ国際映画祭のパルム・ドールや全米映画批評家協会賞の外国語作品賞などを受賞した前作の『桜桃の味』に続き、この映画も世界的に高い評価を受けた。ヴェネツィア国際映画祭では審査員賞特別大賞や国際映画批評家連盟賞を受賞している。
これまでのアッバス・キアロスタミ作品と同様に著名な俳優は起用せず(そもそもイランに国際的な有名俳優がいないという事情もあるが)、無名俳優でさえ出演していない。主演のベーザード・ドーラニーは撮影技師で、他の出演者は現地で起用した素人だ。
ドラマティックな出来事は、特に何も起きない。ザックリ言うと、「ベーザードが取材クルーを伴って田舎の村を訪れ、そこで数日間を過ごす」というだけの話である。滞在中、ベーザードは村の人々と会話を交わしたり、色んな場所を歩き回ったりする。
もちろん、普段のベーザードの生活からすれば、それは「非日常」ということになる。だが、この映画では「村の人々の日常」がベースになっていて、その中にベーザードが少しずつ染まって行く様子が淡々と描かれている。
前作の『桜桃の味』と同じく、「生と死」がテーマになっている。「死」から始まり、「生」に至るのも『桜桃の味』と同じだ。前作では自殺志願者が主人公だったが、今回のベーザードは老婆の死を取材しようとしている。
前作では「自身の死」、今回は「他人の死」を望む男が主人公になっているが、いずれも「死」に目を向けている。ベーザードは老婆の死を望んでいるが、そこに罪悪感など全く無い。老婆の死に対して彼が考えていることは、「取材スケジュールがあるので早く死んでほしい」ってことだけだ。
ベーザードの老婆に対する感情は、表面的に見れば冷酷ってことになるかもしれない。しかし多かれ少なかれ、大半の人間にとって「赤の他人の死」というのは、「どうでもいいこと」だろう。いちいち悲しんだり落ち込んだりしている人なんて、皆無のはずだ。
そもそも赤の他人の死なんて、著名人でもなければ、なかなか情報として入って来ないしね。身の周りの死でなければ、なかなか感情なんて動かない。決して死に対する神経が鈍いわけじゃなくて、それが当たり前だ。
ただし我々とベーザードの間には、大きな違いがある。我々は赤の他人の死に対して無関心なだけだが、ベーザードは老婆の死を積極的に望んでいる。その不謹慎ぶりに当初、ベーザードは全く気付いていない。
しかし村に滞在し、ファザードや教師など村の人々と話す内に、「ひょっとすると自分は悪人なのではないか」と罪悪感を抱くようになっていく。ベーザードは決して冷酷な悪人ではないので、きっかけさえあれば、すぐに気付くのだ。
ベーザードたちはスケジュールを組んで村に来ているが、いつ老婆が死ぬかなんて、誰にも分からない。その死を当てにして取材の予定を立てている時点で、大きな過ちだ。しかし彼は早く老婆が死なないことに苛立ったり、焦ったりする。
とても身勝手ではあるのだが、そのことに彼は気付いていない。彼以上に苛立ちを覚えるのがスタッフで、取材を切り上げて帰ろうと言い出す。ベーザードは説得するが、スタッフは耐え切れなくなって途中で帰ってしまう。
終盤、ユーセフが穴で生き埋めになると、ベーザードは彼を救うために奔走して村の人々に来てもらう。ずっと人の死を待ち望んでいた男が、人が死ぬことを阻止するために必死になるのだ。ベーザードが死を望んでいた相手が年寄りで、目の前で死の危機にある相手は若者というのも、意図的な対比だろう。
そして映画の終盤、スタッフが去った後で老婆は死ぬ。当初のような気持ちは完全に消え失せているため、ベーザードは葬列だけを遠くから撮影して村を去る。生も死も、風がが吹くままに、ただ流れていくのである。
(観賞日:2021年4月2日)