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短編166.『どんなハッシュタグを付けても世界は変わらない』
「きっと神様も分かってくれます」
確か去年も聞いた台詞だな。
オリンピックが良くて、盆の墓参りや例大祭が駄目な理由が分からない。
たかだか人間風情があまりにも神や死者を蔑ろにし過ぎやしてないか?
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「今は国難だから拝むのは棚上げで」という国に難を突破するだけの神通力が備わるのだろうか。
古い?
今って確か、十八世紀か十九世紀初頭なのではなかったか?
今流行っているのは後の世でスペイン風邪と呼ばれるものなんだろう。
だとすると、二十世紀の間違えか?
少なくともこれが二十一世紀と呼ばれる、過去からの集積を背負った未来世界だとはどうしても思えない。
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世の中を覆う空気は十八世紀的だ。
教育系YouTuberからは啓蒙主義の匂いがする。
それは十九世紀に絶滅したはずの亡霊の声だ。YouTuberが喋っているのではなく、志半ばで葬り去られた亡霊の大合唱。
(啓蒙主義:真っ暗な体育館に蝋燭一本立てただけじゃ手元だけが明るいだけで、その全容は分からない。でもそこに、一本また一本と蝋燭を増やしていき、千本に及べば体育館の構造は一目瞭然となる。体育館とはつまり世界のことだ)
「無知蒙昧な民を教育してやるぜ」という、実にキリスト教的いらぬお節介が生み出した植民地政策とその果ての帝国主義時代。確か皆が嫌悪する様式のはずなのだが、何故か無条件に歓迎されている。
人は歴史を忘れ、そのまま繰り返す生き物らしい。その際に流された血も涙も乾いて蒸発してしまえば勲章ということか。もしくは歴史の壁に付着した単なる染み。
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未開の地に上陸する順番は決まっている。【宣教師→商人→軍隊】という原則に則り、それは動く。
既に教育系YouTuberは布教の後にモノを売り始めている。
それは需要と供給。欲しがる人がいて売りたい人がいる。しかし、その欲望は点火されたものかもしれない。
地獄への道は善意で舗装されているらしい。
悪意の無さが逆に怖い。
YouTube系軍隊がどのようなものかは分からない。
ただそれは思考統一された、実に厄介なものに違いない。
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「世界を均一にしたい」という欲望は共産主義者だけのものではなく、人に元々備わっている性質なのかもしれない。
入れ墨やボディピアスが「野蛮」と云われる国もあれば、それが無い事こそが「野蛮」の象徴となる国もある。
それこそ皆の大好きな多様性のはずなのだが、「みんな違ってて良いのだよ〜」と言いつつ、やっていることは自身の価値観の押し付けでしかない。
もしかすると、そのこと自体に無自覚なのかもしれない。
誰か、千差万別、という言葉の意味を教えてあげて欲しい。
* *
先日まで三百人だ、四百人だと騒いでいたその口が十倍の数を叫ぶ。
別段変わらないトーン、疲弊しきった政策の焼き直し。
この先、どんなハッシュタグが流行ろうと人の本質は変わらない。
目の前の痛みを避け、快楽には忠実。
単なる動物。
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