思い出になってしまうのが癪だって話
4月にいきなり転勤になって、新天地での生活も2ヶ月たった。
相変わらずバタバタはしているけれど、夜の時間には少し余裕が出てきたので、仕事が関係ない人とのやりとりがしたくてREALITYを始めてみたりしている。
(※多分転勤してなければ、この時間はいつも通りにいつもの店で飲んでた)
配信をして、コメントを読みながらあーだこーだと話していると、大学生の時にニコ生をしていたことを思い出した。
そして、その時に一緒に配信をしたり、今懐かしいツールになってしまったSkypeで夜通し話をしていた、顔を知らないニコ生主たちのことも思い出した。
今、彼らと僕との繋がりは一切ない。
きっと、それぞれ新しい仕事をしたり、結婚したり、家庭があったりしているのではないだろうか?
そんな感じで、思い出になってしまうと、段々その人達のことを鮮明に思い出せなくなってしまう。
小学校や中学校の頃に毎日一緒に通学したり、遊んだりしたアイツの顔や声なんて、あんなに一緒に日々を過ごしたのに思い出せなくなっている。
ふと、そのことに恐怖を感じたりした…
そして、今仲良くしている人達の中で「思い出」ってカテゴリーの存在になりたくないと強烈に思った。
30歳を超えて、流石に社会的におかしな事をして存在を示そうなんてことは考えないけど、せめて仲の良い人たちには、リアルタイムな存在でいたい。
その点インターネットは便利だ。
自分について発信し続けれる。
そんなわけで
「30歳を超えて、まだこんなTwitterの使い方してんのかよ」って最近自省をしたのだけれど、
変わらずそんな使い方も発言もしていこうって思う今日この頃。
いつまでも思い出ってカテゴライズをされないために。