見出し画像

発達障害があることで、働きにくい社会であってはならない

こんにちは,umenoです

発達障害をもつお子さんの親御さんとよくお話することです

「将来自立して生活してほしい」

仕事をして収入を得て生活をしてほしい,そう願うことは多いです

もちろん働くことが全てではありません

ただ親御さんの気持ちとしては当然だと思います

専門職がどれだけ前向きな言葉,支援という言葉を口にしても

「所詮は他人でしょ」
「どこで働くかもわからないのに・・・」
「そもそも教育課程が終わった後は受け入れてくれる社会なのか···」

こういった考えも当然あると思います.

発達障害は一見わかりにくいです

保育,公教育は発達障害に対する認識,そして対応が変わりつつあります.

一方その先,”教育課程が終わってからの社会”はどうでしょうか.

個人的には教育課程とその先では,かなりギャップがあるように思います.

教育課程で守っていても,その先で理解されず病んでしまうことは無いでしょうか?

また会社の方針と現場の様子のギャップはどうでしょうか?

「配慮してください」

その指示だけで,現場はどう対応したらよいでしょうか?

人間は感情の生き物です.当然トラブルも起きます.

ではどうするのか?

私が考える一つの仮説は
”各職場で個別に専門的な評価をして,対応を一つ一つOJTで考えることが良い”ということです

配慮は何も「その人の仕事量を減らすという意味ではなく適材適所、適切な接し方と仕事の方法を考える」という意味として認識する必要があります.

発達障害に限りませんが,何か特別な配慮が必要な方が職場にいるのであれば,現場で専門的に特性を評価して,”どういったことが得意で,どういったことが苦手なのか、そして、”最大限得意を引き出す環境づくりとは何か”を個別に考えることが必要です.

そして,そういったことをする専門職に依頼した時,その専門職は迅速かつ適切な対応をしていくことが重要です.

このようなことが普通に行われるような社会になっていくと,幼児期に発達障害が発覚し,将来を不安に思う親御さんも安心することが出来るのではないでしょうか.

①本人は教育課程でしっかりと学習経験を積み上げること
②社会(企業、民間教育機関など)が発達障害の理解と対応方法について,個別事例ごとに一緒に考え学んでいくこと

私の事業では、この2つを通して教育課程~社会に至るまで一本の筋を通したいと考えています

はじめは個人で始める小さな活動にはなりますが,一つ一つ丁寧に積み重ね,広げていきたいと考えています.

今回は私の事業計画の背景に関するお話になりました

本日も最後まで読んでいただき,ありがとうございました。



いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集