わたしのためだけに撮った写真
少々遠回しな言い方をしたが、要するに「空(そら)」の写真について書く。
Top Photoは鳥取県で車の窓からシャッターを切った1枚だ。
“星取県”と広報されるほど美しい鳥取の夜空を撮ったわけでもなく、鳥取のシンボル・砂丘が垣間見える空でもない。曇の隙間から太陽のひかりが差し込んだ。本当にそれだけの写真である。
私としてはとても気に入っている1枚だが、鳥取旅行の写真の中でこの写真だけは第三者からの需要がひとつもなかった写真だった。
鳥取で撮影した写真で需要があった一例を挙げると、水木しげるロードであったり、ベタ踏み坂であったり。大半は旅行サイトやグルメサイトに掲載されることが決まったが、最後まで手元に残った写真がこの1枚だった。
もしかしたら、撮っている最中の私は「誰のモノにもならない」ことを期待して、撮ったのかもしれない。
そもそも誰のためにシャッターを切るのか、ときどき私は自問する。
ポートレートであれば被写体のため、
商品撮影であればモノを生み出した人のため、
スポーツ写真や動物の写真であれば第三者同士での感動の共有のため……
空の写真は、どこにも属さず、ただ私のために切られたシャッターである。
ただの空。
それでも、この1枚の撮影背景について「どこまでも地味に続く鳥取の道のりに退屈して、夫が運転する車の助手席から見て一番映えるものを撮った結果が、空だった」とコメントを添えると、この1枚はやはり私にとってだけ、特別な1枚となる。
そうこうするうちに、なるほど空は気持ちを反映しやすいぞということに気が付いてきた。
これは、宮崎旅行に行ったときの1枚。
遠くにちいさな三日月が光っていた。撮影したのは12月23日、息が白くなるような寒空だったことを覚えている。
福岡から宮崎まで日帰りで旅行するというなかなか無謀なスケジュールで計画を立てた。ところが、往路で車のタイヤがパンクしてしまい、ただでさえタイトなスケジュールの中タイヤ交換に追われ、現地についたのは昼15時を過ぎていたと記憶している。
かろうじて日が高いうちに天岩戸神社を訪れた、その帰り道に切った1枚。「無事に来られて良かった」という想いとは裏腹、閉所恐怖症だった私はうっそうと生い茂る神社に若干の恐怖を感じていた。(恐怖、だなんて書くと罰当たりかもしれないが怖いものは怖い)
この写真を見ると、「宮崎まで往復7時間かけて、1時間も滞在せずに帰るウチら!」と女子4人で笑い転げたドライブを思い出す。
そして今日も、やはり私のためだけに家の窓から見える空を撮った。
夕飯の買い出しに出ようと思っていたところに突然の雨。
諦めて冷蔵庫のありものでなにか作ろうと思いきや、通り雨だったようでスッとやむ。夜まで降り続ければ諦めもついたのに、と中途半端な気持ちで見上げた空には、手を伸ばせば届きそうな位置に雲があった。思わずカメラを構える。
空に向けて何枚もシャッターを切るうちに、時間はどんどん遅くなり夕飯の支度もずれこんで……とカメラのせいで私の生活リズムは常に後ろ倒しで進行しているが、夫が帰宅するまでに夕飯はできあがったので良しとする。
今回公開した3枚の空の写真。
今は私のためだけの1枚でも、いつか、どこか、だれかに必要とされて違う形で日の目をみることもあるかもしれない。
見た人が「きれいだ」とか「上手」だとか、最近では「エモい」だとか…どんなことであれ私とはまた違う感情を抱いてくれたら、それも写真の面白さだろう。ちょっとした好奇心で、私がそっと大事にしてきた空の写真を、載せてみた次第である。
自己満な写真を載せたところで、結局どうあがいたところで結論も自己満で終わる。あいまいなnoteをここまでお読みいただいたあなたに感謝を。
明日も私はカメラを構える。
2020/08/26 こさい たろ
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